キルギス大使館で聞いたキルギスと日本の兄弟伝説

キルギス大使館での松宮外務政務官の演説

『「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚を好きな者は東に渡って日本人となった。」と言われていると伺っており、またキルギス人と日本人は顔がそっくりであるともよく聞いています。』

在京キルギス大使館の開館セレモニーでの松宮外務政務官の演説(2004年4月22日)より

これは、キルギス大使館の開館セレモニーでの松宮外務政務官の演説の一部です。

この伝説の真偽を確かめようと、2010年、キルギス大使館(目黒駅から1kmぐらい)を訪問しました。アポなしだった為、中には入れませんでしたが、玄関にいた大使館職員の人と話をしました。

大使館でキルギスと日本の伝説について聞いた

以下、m(私)とK(大使館職員の人)との会話。

m「キルギス人と日本人が兄弟という伝説は、キルギス人のどれくらいの人が知っているのですか?」
K「ほとんどの人が知ってます。半分ぐらいの人は信じているみたいです。」

m「私がキルギスへ行ったら、キルギス人で通用しますか?」
K「しゃべらなければ、通用します。」(つまり、私がキルギス語を話せれば、誰もがキルギス人と思うという事でしょう)

大使館の中から若い日本人似の男性が出てきた。
m「あの方もキルギス人ですか?」
K「そうです。」

イケメンのキルギス人でした。突然、訪問した私の強引な質問に丁寧に答えてくれたのも、キルギスが親日国だという現れでしょう。

キルギスやウズベキスタンが親日な理由

  • キルギスの国民と日本人は顔立ちが似ている。キルギス共和国は、キルギス人が70%、ウズベク人が15%、ロシア人が5%などの多民族国家です。全てのキルギス国民が日本人に似ている訳ではありません。

    私が知っているキルギス人は、大使館職員のお二人だけですが、日本人に似ていたのは、そのうちのお一人だけでした。

    私は、モンゴル西部のツァスト峰に登山をした経験があります。その周辺は、遊牧民しか住んでいません。その中には、青い目の人もいましたが、日本人によく似ている人もいました。

  • 冒頭で書いたとおり、「キルギス人と日本人の兄弟伝説」をほとんどのキルギス人が知っている。義経が海を渡って生き延び、ジンギスカンになったという伝説をほとんどの日本人が知っているという事は、ないでしょう。
  • 日本の技術に対する信頼性。ウズベキスタンのナボイ劇場は、ソ連に抑留された日本人捕虜によって建設されましたが、1966年のウズベキスタン大地震で全くの無傷でした。この話は、隣接するキルギスにも伝わり、日本をモデルとした国づくりをしようという動きにつながったのです。

これらの中央アジアの国々は、シルクロードの天山南路・北路が通っていました。「奈良の平城京はシルクロードの東の終着点」と日本では教わります。キルギスでも、そう教えられているのかもしれません。

キルギス人と日本人の兄弟伝説の根拠

下の地図は日本とキルギスの位置関係を示しています。緑色の部分がキルギス共和国です。東京とキルギスの首都ビシュケクの距離は6000kmもあります。さらに、その間には、天山山脈やタクラマカン砂漠があります。キルギスタン (正射影)

という訳で、キルギスと日本の間に関係があるというのは無理があるように感じるかもしれません。

キルギスと日本のマイマップ

下の図は、キルギスと日本の位置関係を示すマイマップです。キルギスと日本はシルクロード天山南路・北路でつながっています。

キルギスwikiによると、「キルギス人の祖先は、シベリアを南北に流れるエニセイ川上流に定住していたと考えられています。エニセイ川とは、ロシアとモンゴルの国境付近から北極海へ流れる川です。

エニセイ川上流から、魚の好きな人々が東の日本へ、肉の好きな人々が西のキルギスに移動したと考える事は可能です。

キルギスと鞍馬寺

キルギスの南東にカイラス山があり、カイラス山の麓にウエサク渓谷という所があります。ここで、ウエサク祭というのが、大昔から行われています。京都の鞍馬寺でも、「五月満月祭」と言う、同じような祭事が行われていました。今は、「ウエサク祭」とか「五月満月祭」と呼ばれ、五月の満月の夜7時頃から行なわれます。ウエサク祭 鞍馬寺

キルギスと日本は遠く離れていますが、昔から、様々なつながりがあります。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。