江戸通泰(えど・みちやす) ?〜1535

佐竹氏重臣。常陸国江戸氏。江戸通雅の子。通称は彦五郎。但馬守。常陸国水戸城主。
江戸氏は佐竹氏の宿老でありながら独立性が強く、通泰も父・通雅と共に佐竹氏当主・義舜に敵対する行動を度々取っており、永正7年(1510)に再燃した足利政氏高基父子の抗争に際して高基に従い、政氏方に与した佐竹義舜と敵対している。
同年12月には義舜より佐竹宗家と『一家同位』の家格を認められて和を結んでいるが、永正9年(1512)4月に宇都宮家中で勃発した宇都宮成綱と芳賀一族の対立(宇都宮錯乱)において、これに介入して宇都宮成綱を支援する足利高基に与し、芳賀一族・政氏の陣営に属した義舜と再び対立している。
天文4年(1535)7月に没した。