宇都宮成綱(うつのみや・しげつな) 1468〜1516

宇都宮氏第17代当主。宇都宮正綱の嫡男。通称は弥三郎。下野守。下野国宇都宮城主。
文明9年(1477)11月に父・正綱が没したのちに家督を相続した。
このとき若年であったために正綱の実家であり姻族の芳賀高益・景高父子の補佐を受けているが、長じても芳賀一族の勢威を抑えることができずにいたことが発給した寄進状や安堵状などから見受けられる。
永正3年(1506)、娘婿である足利高基がその父で古河公方の足利政氏と対立して逐われてくると自領に保護し、成綱は高基を、芳賀氏は政氏を支援したため、宇都宮家中における権力闘争と足利父子の抗争(永正の乱)が結びついた。成綱は永正8年(1511)5月から翌永正9年(1512)3月までの間に家督を嫡男の忠綱に譲って隠居しているが、この家督交代も政氏あるいは政氏と結んだ芳賀氏の圧力を受けたものであろう。
この直後の4月、成綱は芳賀高勝(芳賀景高の子)を誅殺したが、これがきっかけとなって主家である宇都宮氏と重臣筆頭である芳賀一族との全面抗争が勃発。この内訌は『宇都宮錯乱』と呼ばれているが、永正11年(1514)7月頃に芳賀氏が降伏したことによって終息した。
永正13年(1516)11月8日没。