武田家臣。三枝虎吉の嫡子。幼名は宗四郎(宗次郎とも)。勘解由左衛門尉。
少年時代は信玄の奥近習として出仕した。永禄7年(1564)に侍大将となり騎馬30騎、足軽70人持となる。
小田原の北条攻め、永禄12年(1569)10月の三増峠の合戦に従軍。
永禄13年(1570)の駿河国花沢城の戦いでは一番槍の功名を立てた。元亀3年(1572)12月の三方ヶ原の合戦にも従軍。
天正2年(1574)7月の遠江国高天神城の戦いの功により山県昌景の猶子となり、名を山県善右衛門と改めた。昌景は、守友のその武勇に感じ入って婿にしたという。
翌天正3年(1575)5月の長篠の合戦で信玄の弟・河窪信実の相備えとして鳶巣山の戦いに参加、徳川方の酒井忠次軍の奇襲を受けて戦死した。38歳か。