尾張国の織田信長は美濃国の斎藤氏を攻めるにあたって、尾張・美濃国境付近に拠点となる砦の構築を考えた。その候補地が墨俣であった。そこは木曽川などが乱流するところであり、昔から交通上の要地だったからでもある。
信長は家臣の佐久間信盛や柴田勝家に命じて墨俣に砦の築造にかからせたが、低湿地という自然条件のほか、斎藤方の妨害も激しく、2人とも失敗に終わった。
最終的には木下藤吉郎(羽柴秀吉)が命じられることになるが、秀吉はその地域の土豪を巧みに使って、わずか数日で完成させている。
それが永禄9年(1566)7月のことといわれ、ここに信長の美濃侵攻の足がかりが確保されたのである。
実際に一夜にして城が完成したわけではないが、斎藤方の妨害を受けながらも短期日で出現した砦は、斎藤方には大きな脅威となった。