武田信玄に関連する史料や図書などにおいて、武田家臣のうちで「二十四将」という格付けがされることがあるが、実際にはこの「24人の武将」の顔ぶれは定まっていない。
これは、例えば『甲陽軍監』と『甲斐国志』といった甲斐武田氏研究の根本資料とされるものでも相違しているためであり、どの史料の記述を定説とするのか、という定義が明確でないためである。また24人の選考基準も「武田信玄を含めて24人」なのか「信玄配下の24人」なのか、「『配下』の中には信玄の子弟や一族をも含めるのか」など、解釈によって顔ぶれが変わってくるためである。また、「○○年当時における24人」なのか「信玄時代を通して選ばれた24人」なのか、といった見解も生じてくるために、史料から特定することができないのが現状である。
以下、各史料に共通して「二十四将」として挙げられる武将を列記する。
横田高松・原虎胤・小幡虎盛・山本勘助・馬場信房・内藤昌豊・山県昌景・土屋昌次・原昌胤