三嶺を守る会の紹介


1 三嶺を守る会の発足

 三嶺を守る会は、今から約25年前、1975年(昭和50年)12月20日に発足しました。  それは、高知営林局が香美郡物部村三嶺一帯を「三嶺自然休養林」として指定するとともに、この地域について風致保護地区、施業調整地区等の線引きを行い181haもの自然林を伐採しようとしたこと、材木の搬出や「山桜の保護のため」と称して林道を延長しようとしたことなどに対し、「三嶺の自然をこれ以上破壊されたくない」「三嶺を石鎚山系や剣山のような山にしたくない」などの意見を持った登山愛好者や自然保護活動に関心を持っている者が集まって結成、発足したものです。

(写真は1976年に伐採された「自然休養林」内の「施業調整区域」 1977年6月撮影)

2 三嶺を守る会の現状

 この20年の間に三嶺周辺でも多くの自然林が伐採されました。また営林局が林道建設の理由とした「山桜」も自然の法則に従って寿命を終えようとしています。  私達の活動も、当初の「自然休養林」のあり方をめぐっての営林局との交渉や、自然保護に関する講演会、写真展、公募登山といった市民を巻き込んだ運動であったものが、時代の推移とともに営林局の経営方針が森林の多様な価値を認める方向になったこともあって、外に向かってのエネルギーを失いつつあります。 こうしたなかで、一貫して取り組んできたゴミ持ち帰り運動、清掃活動については、現在にも受け継がれ成果を上げています。

3 三嶺を守る会の清掃活動について

 (1) 清掃活動の発端

 今でこそゴミの持ち帰りは、登山者にとって当たり前の話になっていますが、1975年当時は三嶺頂上の小屋にも、お亀岩避難小屋にも「ゴミ捨て場」があり、ほとんどの登山者はそこにゴミを捨てていくという今では信じられない状況でした。  そんな中にあって、私達は「少なくとも登山者が自然を破棄する立場には立つまい」とゴミの持ち帰りと、清掃活動を開始したのです。  そして、登山者にゴミの持ち帰りを訴えることによって三嶺のゴミを減らそうと、2年にわたって夏の登山シーズン前にポスターを作成し登山者に訴えるとともに、1976年以降毎年清掃登山を実施してきました。

 (2) 清掃地域

 三嶺を守る会の清掃活動は、当初三嶺を中心に
  @八丁分岐からお亀岩を経て躄峠に至る登山道・お亀岩避難小屋周辺
  A八丁分岐からフスベヨリ谷沿いに三嶺頂上に至る登山道・三嶺頂上周辺
  B三嶺頂上からお亀岩までの稜線
  C光石登山口から八丁分岐までの山麓
の4つのコースで開始しました。その後
  D堂床からさおりが原を経て三嶺頂上に至る登山道
  E堂床から韮生越を経て白髪分岐に至る登山道・白髪分岐小屋周辺
  F峰越し林道の白髪山登山口から白髪山に至る登山道
と地域を広げ現在7つのコ−スで実施しています。

 (3)清掃登山の結果

 1976年から始めた清掃登山ですが、ゴミの集計を記録しだしたのは1978年からです。というのも、初めの2年は山からゴミを降ろすのに手がいっぱいで、とてもそれを分別して、計量する余裕はありませんでした。しかしながら、1978年からはゴミの量も減り、また、どこにどのようなゴミが、どのくらいあるかを明らかにすることによって、次の対策の手がかりにしようということでルート別、種類別の計量を始めました。 その結果、1978年から1999年の22回の清掃登山で、ビン1,126.7kg、カン1,098.3kg、可燃物1,189.1kg、合計3,414.1kgのゴミを回収しました。

 22年間で3,368.6kgという量は、他の山域に比べると随分と少ないと思いますが、初めから少なかったわけではありません。


グラフを御覧いただいたら分かると思いますが、記録を取りだした第3回清掃登山(1978年)には、ビン216.0kg、カン141.5kg、可燃物149.0kg、合計506.5kgのゴミがありました。それが今年(1999年)は、ビン1.5kg、カン9.5kg、可燃物34.5kg、合計45.5kgと当初の一割以下にまで減りました。これはゴミの持ち帰り運動が全国的に広まったという事もありますが、ゴミを持ち帰るようねばり強く訴えてきた三嶺を守る会の活動の成果でもあると思います。

3 三嶺を守る会の今後の活動について

 三嶺を守る会は今後とも三嶺の清掃活動を続けていくのはもちろんですが、それだけでなく貴重な自然を保全するためには現状の規制区分の見直しが必要でありその取り組みもしていきたいと思っています。また、三嶺の自然をより多くの方に理解していただくための自然観察会や、写真展を開催する予定です。


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