四国の山々




こに紹介するのは高知新聞社が昭和62年に発行した「四国百山」に掲載された山中二男先生(当時高知大学教授)の文章です。
四国の山の成り立ちから、山の特徴、植生などを解説されています。 四国の山を理解していただくために転載させていただきました。
今後四国の山の中から、山登りの対象となる山を紹介させていただく予定です。いい山がたくさんありますのでご期待ください。

四国の山


高知大学教授 山中二男

個性と風格の山々

 四国に高山性山地は無い。そういえば、長野県に山梨県を加えた面積よりも少し広い四国には、中部山岳のように3,000メートルを越す山を見ない。山の本でとりあげられるのは、ほとんど石鎚山と剣山だけというのも事実である。いうまでもなく、石鎚山は西日本で最高、それに次ぐのが剣山である。だが、ほかにも四国にはよい山が多い。

 きれいな山といえば三嶺や笹ヶ峰。植物相の特異な石立山と東赤石山。また低くてもいわゆる個性とか風格のある山は少なくない。無いのは火山であるが、これも一つの特徴といえる。

 四国は、中央構造線で外帯と内帯に分かれ、外帯は北の三波川帯から南へ秩父帯、さらに四万十帯となる。四国山地は、その外帯にどっしりと座を占めるが、中部で2,000メートル近い山なみが海に迫っているのが、まず人目を引く。ここには、よく知られた石鎚山断層崖があり、これにそって笹ヶ峰、瓶ヶ森、石鎚山、二ノ森などが連なる。この山地は、源流に旧別子のある銅山川をへだてた北では法皇山脈となり、二ツ岳や東赤石山の岩山をつくっている。これらの山は、結晶片岩を主とした三波川帯にあるが、地質や地形には変化が多い。石鎚山の上部は安山岩、二ツ岳は角閃岩、東赤石山は超塩基性岩からなり、ゆるやかな斜面の氷見二千石原の近くには、子持権現山の岩峰がそびえる。

 三波川帯の山は、なお工石山や白髪山のほか、吉野川の南に稲叢山、大歩危・小歩危の横谷を越えた剣山地では国見山、中津山、矢筈山などから高越山へと続く。また西では、皿ヶ峰や障子山が、道後平野から望まれる。

 御荷鉾構造線で三波川帯が秩父帯へ移ったあたりには、剣山地に三嶺、天狗塚などの高峰がある。秩父帯の主峰は剣山で、その東の雲早山、高丸山、高城山の勝浦三山、西の石立山、白髪山、綱附森、梶ケ森などもこの帯に入る。山容はおだやかなところもあるが、石灰岩やチャートのけわしい岩場も見られる。秩父帯には、ほかに高知平野の北の工石山、仁淀川と四万十川の流域では中津山、鶴松森、不入山、大川嶺、さらに愛媛・高知県境の天狗ノ森から大野ヶ原へと続く四国カルストの高原もある。

 剣山地の南東の山は、四万十帯になり、甚吉森、千本山、天狗森などが豊かな森をはぐくんでいる。この帯は、堆積岩を主にするが、四国西部の高月山とその付近は花崗岩からなり、ふもとに滑床渓谷をつくる。1,000メートルを越す四国の山で、最も南に位置しているのは篠山である。

 高さによる山地の分け方や、山地と丘陵との境は必ずしもはっきりしていないが、四国の内帯はおもに低山と丘陵である。東には和泉砂岩層(和泉層群)の讃岐山脈があるが、1,000メートルを越すのは竜王山と大川山だけである。讃岐平野とその北では、瀬戸内火山岩の讃岐富士や国分台のように富士の形をした孤立法や卓状の台地がよく目につく。 西の高縄山地は主として花崗岩類で、1,200メートルあまりの東三方ヶ森が最高である。

複雑、多様な植生

 山の景観は、地形とともに植生によっても、非常に異なってくる。今は広い範囲がスギとヒノキの人工林になり、二次林も普通で、ことに北四国ではアカマツ林が多いが、もともと複雑で多様なのが四国の山地の林である。

 植生には、土地もさることながら気候の影響が大きい。平地や丘陵は暖温帯でシイノキ、カシ類などの常緑広葉樹林が見られるが、1,000メートル前後で冷温帯に移行してゆく。この推移地帯ではカシ類とブナが混生し、モミ、ツガなどの針葉樹も多く、工石山、鬼ヶ城山など市街地に近い山にもそれが見られる。また、東部にはスギをまじえるところもあり、千本山はその美林で知られる。数は少ないが、ニホンカモシカやツキノワグマが生息しているのは、主にこの地帯から上である。

 冷温帯のブナ主体の落葉広葉樹林は各地に残り、季節による相観の変化がめだつ。なお、岩石地にはしばしばヒノキ、ゴヨウマツ、コウヤマキなどの針葉樹が生じ、白髪山、不入山、面河渓などによい林がある。

 1,700から1,800メートル以上では、人によって寒温帯ともいう亜寒帯になり、剣山、笹ヶ峰、石鎚山などの頂上近くには、シコクシラベともいわれたシラビソの林があらわれ、ダケカンバの変種のアカカンバもまれでない。ともに四国が日本での南限である。

 こうした林のほか、四国山地の尾根には、コメツツジなどの低木をまじえたササ地が多く、冬には霧氷が付き、雪におおわれる。高山植物が残存し、四国の固有植物がよく目につくのは、おもに露岩地でことに石灰岩や超塩基性岩地帯でいちじるしい。

人と山の歴史古く

 ここではほとんどふれないが、自然史的に見てこのような四国の山は、人とのかかわりも古い。万葉集の”伊予の高嶺”は石鎚山であろうといわれ、役小角がそこで修行したのは、八世紀の初めと伝えられている。四国にも、信仰によって開かれた山が多い。いま山登りに欠かせない地形図を見るとわかるが、石鎚山や剣山の周辺の測量は、おもに明治39年から40年にかけて行われている。石鎚山地を苦労なく歩ける縦走路をつくったのは昭和の初めであるが、それにたずさわった人や、そのころの苦労を知る者はしだいに少なくなった。

 かわりに近年、山は急に身近になり、登山はますます多様化してきた。選ばれた名山とか百山とかは、もとよりすべてではない。それにこだわることなく、山をもっと知ることこそ、山登りの冥利というべきである。


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