会長の独り言
ボクシングのゲームの区切り画像

眠れないボクサー
私にとってのボクシング
魅力
リング過
ボクシング技術
倒すために必要な事
左ジャブ
トレーニング
ボディブロー

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眠れないボクサー

布団に入って眠ろうとすると
たまに眠れなくなる時があります。

疲れていて絶対に眠いはずなのに、
明日のために早く寝なければならないのに…

ボクシングを経験した人なら誰でも一度は
こんな想いをした事があるのではないでしょうか?

頭に浮かんでくる相手の様々な攻撃、
横になっているのに勝手に反応する体。

スウェー、ダッキング、ステップワーク。

ボクシングのイメージが次々と浮かんできて
頭の中を占領、それはまったく消える気配がない。

一瞬の隙を絶対に逃さない、自分の全神経。
次に動いた瞬間、クイックで右カウンター!

大丈夫。
万が一、外れた場合の追撃左も用意してある。

(さあ、いつでも打ってこい…)


こんな経験、自分だけでしょうか?


元々、スタミナが不足している自分は
無駄を省き、最低限のアクションを好む。

よって自分から積極的に動いたり、
強引に攻める場面は極端に少ない。

ボクシングを始めた頃は、スタミナの使い方を知らずに
ガンガンとパンチを放っていたのですぐに疲れた自分。

(テクニックでは俺のほうが絶対に勝っている。
この疲労感さえなければ、彼に負けないはず…)

早速、足りないスタミナを補うために練習を重ねたが、
どうやら体が弱かったようで逆に調子は落ちていった。

頑張って練習すればするほど、眠れないほど痛くなる体。
努力すればするほど、結果的に理想の動きができない体。

いつの間にか、手数が減って消極的になった自分。
が、それは決して無駄ではなかったようだ。

スタミナは依然として情けないレベルだったが
少ない好機を逃さない眼力と
相手を空転させようとする意識が芽生えた。

スパーリングを能率的に行うため
じっくりと洗い直したそれぞれの動作。

疲れないためのフェイント、
相手を騙すための偽パンチ、
動きつつも忘れない呼吸、
乱戦時にも決して慌てない心。

あの頃の自分よりも明らかに洗練された「ボクシング」。
自分よりも体力のある相手に勝てた快感。

もう疲れた末の自滅だけは絶対にしない。

自分から攻めそうな気配こそ漂わせているが
それは全て嘘であり、実際は機会を待っている。

数少ない攻め口となる相手の空振り。

頭で考えるよりもずっと早く反応してくれる、
自分の拳を信じてフェイント越しに待つ…

だからこそ人一倍、好機を逃した時の悔しさが残る。

(あっ、今だったんだ…)


そんな一瞬が夜になると蘇ってきて
自分の眠りをしつこく邪魔します。

(次こそ絶対に逃さないぞ、集中力だ!)

あーぁ、今晩も目が覚めていく…

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私にとってのボクシング

先日行われた東洋太平洋のタイトルマッチ。

通好みのテクニシャン大塚選手が
若きチャンピオン、林田選手に挑んだ。

チャンピオン林田選手は馬力こそあるが、
空振り後の隙も目立つし
左フックの際に体が開いているので
カウンターを浴びる要素も多分にある。

序盤、大塚選手は私の予想通りに
決めるべき要所に確実なパンチを決めていく。

(自分と同じようなタイプだなぁ…)

が、ラウンドが進むにつれて
体力で勝る林田選手の圧力により
徐々に乱戦気味となりペースは傾いた。

打てる場面で下がる大塚選手を見て
なんだか自分の限界を教わっている気がした。


自分も序盤に一方的にポイントを取ったのに
体力のある相手に押し切られる時がある。

が、なぜかそれは悔しくない。
(問題発言だと自覚しています)

恐らく、決めるべき好機に決めた自分に
やるだけやった、と満足しているのだと思う。

その上で逆襲されたのなら
自分は元々体力がないのだから限界。

「仕方ない」

この感情こそが自分にとって最大の欠陥であり、
プロへの道を歩まなかった原因である。

「なるべく勝ちたいが、勝てない相手もいる。」

これは事実であり現実なのだから当然の感情である。

が、プロとして頂点を目指すためには
決して自覚してはならない、隠すべき部分だと思う。

結果的に自分はボクシングを心から愛してはいるが、
それは格闘技としてではなく、スポーツとしてだった。

休日に友達とテニスをするのは、スコアの勝ち負けよりも
ラリーを楽しみながら得意技を披露するのが目的だと思う。

プロ野球は真剣勝負で頂点に近い男達の舞台ですが、
週末ごとに仲間と集まって草野球するのも同じ「野球」。

我々が心から好きなボクシングというスポーツ、
色々な楽しみ方があってもいいのではないでしょうか?

私はボクシングをこれからも
スポーツとして楽しむと思います。

近い将来、私も歳をとって
ボクシングができなくなるでしょう。

今は寂しくて考えたくないなぁ…

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魅力

「キレれば誰にも止められない」

これはある程度、一般社会で
通用してしまうイヤな部分である。
(自分自身の周囲にもそんな人がいたっけ)

上記だけで人間関係を乗り切ってしまう、
そんな無茶苦茶な方法しか知らない人もいる。
(どれだけ周囲を傷付けてきたのだろう…)


が、リングの上では冷たい位に真の実力差が
ハッキリとしたコントラストで描かれてしまう。

ラリアートの直前に腕を上げてアピールしたり、
必殺技の名前を叫ぶ暇なんてリングにはない。
(プロレスやストUが嫌いな訳じゃありません)

あるのは、無表情で相手の僅かな隙を必死で探す、
規定の体重内ギリギリに鍛え上げられた二つの肉体。

その日を満足して終えるために
数ヶ月に渡って耐えてきた男二人。

ここでは先にキレてしまった男こそが敗者であり、
異常な状況の中でどこまで不動心を保てるかが鍵となる。

そこには威張るタイプの人間は不思議なほどいない、
どちらかというと感謝を忘れない謙虚な男達が勝つ。

そんな男達が眩しいライトに照らされて
鍛え上げた拳だけで世界の頂点を目指す物語。

ボクシング、その魅力は言葉じゃ書きつくせない…

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リング過

去る4月9日、中屋ジムの伊礼選手が亡くなりました。
意識が戻らないとのメールが届いてから
本当に心配していましたのですが…

それは西沢ジムで少年達を指導している自分にとって
大きな衝撃であり、今後を考える切欠となりました。

練習生にも同じ事が起こる可能性があるかと思うと
とてもじゃないけれど練習会を行う気持ちになれません。

まして私のジムは、無料の代償として「無保険」での活動…

事故が起こった場合、練習生の御両親に
どんな顔で報告をすればいいのだろうか…


ボクシングというスポーツ自体にも
実は疑問が芽生えてしまいました。

素晴らしいスポーツと信じて教えてきたのですが
本当に万人にとって得る物が幸となるだろうか…?


元世界王者、山口の負けっぷりも同じ気持ちです。

自分のステップで今にも足をくじきそうな元チャンプは
反応が鈍い上に次なる作戦もないまま、無残な敗北。
(あえて無残という言葉を使います)

焦点の合わない目を見ていると不安になってきます。


私の大好きなボクシング、好きな選手達、練習生達…

聞けば、伊礼選手はしっかりとした実力の持ち主だったとの事。
決して下手だから事故に陥ったのではない事実。

ボクシングというスポーツの持つ危険は避けられないのでしょうか…

しばらく練習を行う気持ちになれません。
伊礼選手の事故が原因の全てではありません。

私個人が心のどこかで不安に感じていた要素が
今、とてつもなくクローズアップされています。

半年ほど前から、怖くて強く殴れない状況、
及び積極的に攻撃できない心境が続いていたのですが…


エキサイティングな試合を前に
熱狂的な声援を送る大観衆。

「倒せ!」「もう一撃!」「ボディから顔面! そう!」

日本ボクシングの聖地、後楽園ホールでは
ごく日常的な光景であり、その感情は自然だと思っていました。

が、身近な選手の「命」が代償になるのなら
それは非人間的で残酷な感情ではないだろうか?
(置き換えれば「殺せ!」の意味合いもあるのでは…)

難しいですよね…
殺し合いだと思って観戦しているのではないのだから…

でも結果的に死んでしまうケースが確かにある。


今の自分の感情をどうコントロールすればいいのか、
納得のいく出口があるのか、今はわかりません。

御家族の方が「ボクシング」をどう感じるだろう…
とにかく、伊礼選手のご冥福を心からお祈りいたします。


ここまで書きながら、私はボクシングを心から愛しています。
恥ずかしいくらいに「大好き」なんです。

だからこそ、ちゃんと考えたくて…


上記に対して、練習生の小島君から返信がありました。



こんにちは、免許取りに東京に帰ってきましたので書き込ませてもらいます。

今回の伊礼選手のことは自分にとってもショックでした、

打たれた瞬間意識が無い、ぶっ倒れて足が動かない、
長時間のスパーで疲れているところで無防備にもらってしまった、
自分でもこんなことは良くあります。

そして時にそれが死に至ってしまう事があるというのは承知しています。
はっきり言って怖い一面です。

が、それは自分がボクシング(又は他の格闘技)を
止めようと思う理由の一つにはなっていません。

怖い一面以上に魅力があるのはここにいる方々は
重々承知でしょうし自分もその一人です。

サンドバックさんの
>素晴らしいスポーツと信じて教えてきたのですが
>本当に万人にとって得る物が幸となるだろうか…?
という疑問がありましたが、
少なくとも自分はサンドバックさんに会え指導してくれた事に感謝しているし、
得るものは非常に大きかったです。間違いなく幸となっています!

ボクシングに限らずスポーツには危険がつき物です。
しかし危険なのになぜ多くの人がスポーツを楽しんでいるのかを考えた時、
果たして自分は自分の好きなスポーツをやめられるのでしょうか?

ボクシングで危険を0%にするというのは不可能だと思います。
しかしそれをできうる限りの危険管理とルールの上でやって
0に近づける事で本当の楽しみが体験できるのではないでしょうか?

そしてそれが指導者としてできなくなった、
又は練習生がそれを考えなくなった時に
ボクシングはボクシングで無くなり凶器になるでしょう。

伊礼選手の事は誠に残念です。
しかし自分にも考えるきっかけを与えてくれました。

自分でも何が答えでどうすればよいのかはまだ分かりません。

サンドバックさんは指導者であり、その事についても
僕にはその心配の全てはわかりません。
が、上に書いたことが自分の思った事です。

最後に自分はボクシングが好きです。
再び教えてもらえる日が来ると信じてますので
今はじっくり悩んでください。

それでは。

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ボクシング技術

練習のない週末、一人でサンドバックを叩いていると
1才8ヶ月になる娘「萌花」がいつも邪魔をしてくる。

足元にまとわりついてくるので、仕方なく中断して休憩。

なぜか怒っている萌花、理由をジェスチャーで説明している。

「…」

どうやらグラブを「私の拳にも付けろ!」と要求しているようだ。
早速、渡してみると左右逆ながら自分で装着。
(もちろん、親指が正しく入っていない)

満足したはずが、しばらくするとまた怒っている。
今度は抱っこしてサンドバックの前に連れて行ってもらいたいらしい。

面倒だけど抱っこ、サンドバックの前へ。

すると「ダーン」とかいいながら
グラブを叩きつけ始めた。
(直後、私の顎に頭突き!)

が、全てのパンチが上から叩くようなオープンブロー。
プロの世界でも反則、アマの世界では相当厳しく減点されるようだ。
(よく考えたら、なんで反則なんだろう…?)

「違う、こうだ!」と教えても
絶対にオープンブローになってしまう。

どうやら人間の本能は「殴る」という行為を
上や横から叩くように認識しているようだ。

幼稚園等での子供の喧嘩、浮気がばれて女性が男性を叩く…
どちらも上から何度も叩くシーンが思い浮かぶはずだ。

が、ボクシング選手が試合中にそんなパンチを出したら
見切られた末にカウンターの標的となるでしょう。
(当たったとしても頭頂部や肩には急所がない)


そういえば、どこかの原住民が年に一度だけ
村の祭りの舞台で拳闘大会を開いていました。

私はそのテレビ番組を興味深く見ました。

(ボクシング、知らない彼らが
どんな戦い方をするのだろうか…)

クローズアップされていたのは、
数年に渡り王者に君臨していた老人。

確かに眼光も鋭く、迫力もある。

が、去年の大会で若者に敗れてしまい、
王者返り咲きを狙っての参加である。

彼の練習風景を見ているととにかく走っている。

(こりぁ、相当強いんだろうなぁ…)

期待していた私は、その大会の試合状況を見て
ある意味「唖然」としてしまった。

野外広場の中央で観客が作る空間の中で
両者が対戦相手をガンガンと殴りつける。

確かにエキサイティングな拳闘大会なのだが、
その打撃は我々にとって有り得ない方法だった。

肘を伸ばした状況で打つフック、
と説明すれば通じるのだろうか。

拳の打撃状況は全てオープンブローであり、
相手を効果的に痛めているとは言いがたい。

攻撃目標は全て顔面側頭部、
ボクシングを少しでも体験した事があるのなら、
全てガードできるし、ダッキングすれば全弾空転である。

彼らは棒立ちの姿勢で打ち続けるので
お互いの攻撃命中率は100%に近い。

ほとんどの試合は30秒前後、
どちらかの試合放棄で終わる。

リベンジを狙った老人は決勝まで残れず、
無念の涙を流して、引退を表明した。

優勝した若者も戦闘スタイルは同じなので
ジム練習生と戦っても1Rもたないと予想される。

この拳闘大会の歴史はオリンピックよりも古いそうだ。

ずっと革新的な技術進歩のないまま今に至っているが、
その参加選手達は殴られる恐怖と真剣に戦っていた。

決して、手を抜いているのではないのだ…


この貴重なドキュメンタリー番組を見て、
私はボクシング技術の素晴らしさを改めて感じる事ができた。

究極的に洗練された打撃方法、
それを受け止める優れた防御技術、
それらを理解した大勢の観客…

今のボクシング技術を根底から覆すような新スタイル、
それが登場するとしたらどんなスタイルなのだろうか?

見てみたいなぁ♪


大きくなったらぶつぞ!

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倒すために必要な事

「強く打つ」という事を深く考えてみた。

サンドバックを叩いている姿を見ると
「こりゃ凄い強打者だなぁ…」と驚いてしまう選手でも
実際に手合わせしてみると、どこか重心がずれていて
「あれ?」と思ってしまう事がある。

おまけにそんな選手は力む傾向があるので
総じて酸欠気味、筋肉疲労も溜まりやすい。

逆に軽くサンドバックを叩いている選手が
スパーで「ガツン!」と決めてくるのが目立つ。

私の経験でも「強いのを決めて一泡吹かせるぜ!」と
意気込んで挑んだスパーよりも
「防御重視、隙があったなら入れてみよう…」と考えて
リラックスして放ったパンチがダメージを与えたりする。


果たして強く打つと与えるダメージは高いのだろうか?

サンドバックに当てる場合、衝撃力は確実に増しているはず。
(それは拳から感じられる感触が教えてくれている)

これはスパーの場合でも「イコール」なのだろうか…


パンチを被弾する側、逆の立場の視点で考えてみよう。

私はこれまで不覚にも数百(千?)発のパンチを
懲りずに食らってきましたが、
どんな状況での一撃が効いたのか、思い出しました。

思い返すとやはり一番効いたのは「カウンター」です。

こちらの重心が攻撃のために前方に移動した瞬間に
相手の攻撃がガツン!とヒットするカウンター。
(相打ちカウンターも含みます)

が、何度か経験するとカウンターされるパターンを読み、
むやみにチャンスを与えるような先制攻撃を行わなくなりました。

経験と意識によってこれは防げる一撃だと思います。
(完全に防げるとは思いません。名手はいます。)

受けたとしても攻撃時に心のどこかで
「相打ち」を意識しているので
無意識に衝撃を逃がしているようです。

次に効いたパンチは「死角から飛んできたパンチ」です。

基本的に相手のパンチは全て見ているつもりなのですが、
時にガードの影やダッキングの頭上から受けてしまいます。

手数に目がついていかずに体が対応できない時もあります。

見ていなかったパンチは見た目以上に効くうえ、
予想外の衝撃なので動きが止まってしまいます。


ダメージ量は受け手の状況により決まる。

強く力んで打つと初動が大きくなり
相手に察知されるので直撃できない。

結果的にダメージが減ってしまうのである。


倒すために「怒り」や「力み」は必要ない。

相手を前にして「リラックス」できる冷静な気持ち。
これって簡単なようで難しい…

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左ジャブ

拳が最短距離で相手に到達するパンチは左ジャブである。
おまけに初動が少なく察知されにくい特性を持つ。

最近では現役世界王者である徳山昌守が左ジャブの名手。

一見、バランスが悪いぎくしゃくしたフォームに感じられるが
「全てのボクサーは常にガードを上げろ!」は一昔前の常識だ。

ガードを下げることによって得られる広い視界と
相手の注意を拡散させる効果は重要である。

徳山は広い視界から得た情報で常に距離を一定に保つ。
相手の接近を防ぐためにはフットワーク移動だけではなく、
左拳によるフェイント・バリアーが一役買っている。

徳山のフェイントは巧妙で分析が難しい。
しかも左フェイントの最中に右肩もピクッと動いたりするので
右のストレートが飛んでくるのでは?と気が気ではない。
(彼の右がこれまた切れるパンチ!)

時にフェイントもせずにシンプルな即ワンツー、
ワンを無視したダイレクトな右も打つので
カウンターを狙っている選手としては混乱の極みである。

沖縄出身の強打者、名護の強烈なフックをマトモに食らい、
横倒しのダウンを喫した徳山はその後の試合展開を記憶していないという。

無意識状態でのボクシングにも関わらず、
徳山の巧みなフェイントは名護の追撃・前進を退け、
更には有効打・ポイントまで奪っている。

あのフェイントは考えてやっているのではなく、
自然と体に染み付いているのだろう。

徳山としては自分の身を守るためのフェイント、
苦手な接近戦を拒否するためのフェイントだろう。

が、相手とすればいつ飛んでくるか分からない脅迫なのだ。


別の意味での左ジャブの名手はサーシャ・バクティンだろう。

彼の場合、フェイントが巧みとかの問題ではなく、
とにかく左ジャブの基本性能が高いのである。

ノン・フェイントにも関わらずバシバシと当たる。

拳だけが別の生き物のように自在に動く印象で
まったく初動が感じられない別次元のパンチでした。

初動がないということで破壊力には欠けるのですが、
勝負どころでは力を込めても打てるようなので問題なし。

おまけに追撃の右ストレートも全然読めない。

中途半端な位置を漂っていた右拳が
突然ビュンと飛んでくるのだから脅威だ。

サーシャはロシア人特有のポーカー・フェイス。

日本人ではその表情から攻撃意思を察知できない。

国内屈指のカウンターパンチャーである額賀は
何百発もの左ジャブを受け続けた末にストップ負け。

得意の必殺カウンターは着火の機会すら掴めなかった。

サーシャの実力はまだ底を見せていない。
今後の活躍が楽しみである。


徳山とサーシャの共通点は共にガードを下げて戦う点である。

今、ファイティング原田氏の自伝を読んでいるのだが、
ガードを上げるスタイルが日本国内で定着したのは彼の活躍だと思う。
(古本屋でゲット、貴重品かも!)

もしくはガッツ氏が解説時に「ガード上げて!」と連呼するシーン、
小林がガードの低い沼田をKOした、日本人による初の世界戦…

これらが更なるガード神話の固定を産んだのだと思う。


初代王者、白井義男氏のファイト・フィルムを観ると
意外にもガード位置が低く徳山に近いスタイルである。

今後は危険な距離以外では視界を得ることが最優先だと自覚し、
古い考えに縛られている指導から脱却する勇気も必要なのだ!
(もちろん、ガードすべき状況もあるので勘違いのないように!)

国内王者、本望のようにしっかりとガードを上げていても
素晴らしい先制ジャブを放つ選手も存在する。

ボクシングのスタイルに「絶対」の文字はない…!

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トレーニング

部屋の大掃除をしていたら、
ダンボールに梱包されたままのマウスピースが10個セットも出てきた。

西沢ジムでの活動が懐かしく思い出され、体を動かさずにいられなくなった。


カビ臭くなったグローブを寝室のベッドの下からひっぱりだし、拳に深々とはめてみる。
寝室に置いてある実物大辰吉の映画宣伝用立て看板に向かって久々に構える。
(レンタル・ビデオ屋さんの了承を得て譲り受けました。決して盗んでません!)

一年前には生き生きと動いてくれた拳が別人のように重く感じられ、
ふと自分がボクシング経験者ではなかったような錯覚に襲われる。

軽く上体を動かしながらサンドバックが設置されている居間に戻る。
ぶるさがった洗濯物を無造作に放り投げ(後でかみさんに怒られた)、
部屋の中央まで黒い鉄骨をギシギシと音を立てながら移動させる。

部屋を出る前に電源を入れておいた自作パソコンが無事に立ち上がり、
久々に自作ソフト「時間でボクシング」のショートカットを探す。

スパーリング用のタイマーソフトだが、これも自分で作ったのが嘘のように感じられる。
もう一度作れといわれてもソースの組み方などさっぱり忘れている。
(ボディビルやキックボクシングのジムで活用されているとか。嬉しい♪)

タイトル画面で流れる映画ロッキーのテーマソング、
スパー前に背筋をくっと伸ばして深呼吸する自分の癖、
スタートしようとしたらグローブのせいで動かせないマウス…

どれもあの頃と寸分も変わらない。
大丈夫、きっと俺は昔のように動ける。


「カーン!」

フォームをキチッと固め、パンチングボールに向けてまっすぐジャブを伸ばす。
昔と変わらない感覚にちょっとだけ安心を覚えた私は
更なるアクションをひとつづつ試していく。

戻ってくるボールをダブルのジャブで弾いた時点で自分のスピードに気付く。
「遅い…!」

戻りのボールをヘッドスリップする際にも同様の危機感を覚える。
ギリギリかわしているがその動きに反撃できる余裕がない。

「もっとスピードを上げねば!」

意識的にギアを上げてやっと打ち終わりの体勢維持に自信が持てたので、
軽い右ストレートを合間に混ぜて自分の更なるスピード限界を調べる。

打ち始めこそモーション無しを意識してうまく打てるのだが、
腰の回転が悪く右を打った後にクイッと体が元に戻らない。

前方に流れ気味、いかにも狙われそうな頭位置に我ながらビビる。
筋力が衰えているのが無残に宣告されたが、悔しいのでハイペースのまま続行。

ボクシング姿勢(やや前方重心)すら久しぶりだったので、
上半身を支えているだけで腰が悲鳴を上げている。

パソコンの画面を見るとまだ一分前だったので、
落ち着いてバックステップでフェイントによる時間稼ぎ。

頭を振ってボールに近づきつつ、ヒョイと下がったりする。
相手の空振りを引き出すための動作なのだが、
パンチングボール相手にやっているのは大抵サボリである。
にも関わらず、ボクシング姿勢を維持するだけでもキツイ腰の筋力。

自分の防御の柱であるスウェー・スピードが泥の中のように鈍い。
このままではジャブの刺し合いで遅れをとるだろう。

仕方なくプランを変更、
気分転換のため隣のサンドバックに移動して今度はフックを試す。

ストレート系のパンチとは使う筋肉が違うので、
意外と疲れている時でも強く打てちゃったりする自分の奥の手。

フェイクの手打ちワンツーから強い左のボディフックまで繋げ、
ダッキングしつつ右フック。(スパーでは余裕がある時限定パターン)

拳に残るサンドバックの懐かしい感触。
下から上に、上から下に。
トリプルをセットでガンガンと打つ。

強く打っていると上体が硬直して立ち気味姿勢になるので
心のどこかで柔らかさを意識しておく。
これだけで打たれた時、ダメージが違う。

相手にアッパーがなければ頭を下げて肩の上で
フックをしつこく振るうパターンで通用するはずだ。

打つ、打つ、打つ。
動く、動く、息切れも許容範囲だ…

が、ラスト20秒になると技術的プランを
頭で理解している人間とは思えないほどのスピード低下。

鍛えていない二本の足が躍動している上半身を支えきれず、
今にも自爆スリップしそうな危うい失速ボクサーになる。

恐らくサンドバックに意思があったなら、ヒョイと私の鈍いフックを避けるだろう。
即座に私が回転しながら無様なスリップダウンを喫する様子が想像できる。

危険を自覚した私は体勢を立て直し、
ジャブの距離に戻ると終了ゴングまでひたすらワンツーを連打する。

実戦で決して使う事のない動作だが
今の自分を限界に追い込むにはいい選択かもしれない。

「どりゃ〜!」

無呼吸にならないようにきちんと呼吸をしているのだが、
両腕が別人のように重くなって、
とてもじゃないけど経験者を倒せないのが分かる。

今にも止まりそうな旧式機関車のピストンがイメージされる。
絶対にこれを止めないと決意して残り数秒を意地で耐える。

そんな意地なんて楽にカウンターを取られる原因となるだけだが、
とりあえず最後に強く右を打ってカッコだけ決めてフィニッシュ。
(周囲には誰もいないが、カッコは大事でしょ?)

が、正直その右も会心の感触とはいかず手首を傷めただけだった。

無慈悲に「時間でボクシング」がインターバルタイムを加算していく。
呼吸を整えながら次の3分にどう動くか最低一つでも計画する。
そうしないとインターバル・タイムの貴重な意味が半減してしまう。

サンドバックがきしむ音と自分の呼吸音だけが聞こえる室内にいると、
やっと俺はボクシングをやっているんだ、という気分になる。

さあ、次のラウンドが始まる。もうすぐ…

ボクシングのゲームの区切り画像

西沢ジムへ。
中央広場へ。
実ボクとは?/トップ/掲示板/ダウンロード/ボクシングの街/グラボクとは?/