四国巡礼てくてく編(伊予4) 四国巡礼てくてく編(伊予4)

12月7日


 無明さんは僕よりネボスケでした。
「うう〜、布団には魔物が棲んでいる。臨、兵、闘、者、皆、陳…!」
と、布団の中で九字を切っていました。
「起きるのが九時になりますね」
「そのとおり、わはははは」
どこまでもおかしな人だ。

 ぼくは土間の掃き掃除、無明さんは布団たたみをして、ぼくが一足先に通夜堂を出ました。
「すぐ追いつかれると思いますけど」
「いや、私はこの先で何軒か托鉢してきますんで、追いつくのはだいぶ先になりますよ」
その言葉どおり、今日はその後、無明さんに会うことはありませんでした。

 僕の持っている地図はドライバー用なので、歩き遍路道は載っていません。道しるべだけを頼りに28km先、60番横峰寺を目指します。
 朝昼飯は、スーパーで買ったちらし寿司と金時パンとバナナ二本。光明寺というお寺の境内で食いました。トイレに寄ったら、便器に金色の魚の像がくっついているのが謎でした。
「金の鯉(肥)」
という洒落なのでしょうか。

 今日はどういうわけかお接待の当たり日で、午後にお接待が立て続けにきました。
 1回目は、通りすがりのおばさんその1が、後ろから追いかけてきて「ミックスカリント」を。
その30分後、信号で停まっていた軽自動車からおばさんその2が降りてきて、
「がんばって」とみかん二つとヤクルトを。
その30分後、じいちゃんからみかん4つ、柿5つ、干し柿7つ、キウイ6つを。
その1時間後、会社の事務所みたいなとこから出てきたおばさんその3が、
「荷物になるかもしれないけど、これならいいよね」
と、ペットボトルのお茶1本とアーモンドチョコ1本を。

 結果的にすごく荷物になって、椎間板ヘルニアになるかと思いました。とくにじいちゃんからもらった果物詰め合わせ、もとい寄せ集めは、殺人的な重さでした。
 このじいちゃんは角張った禿げ頭で鳶職人みたいなダブダブズボンを履いており、ガタイが強そうで仁王様みたいな顔をしていました。道で目があったときぼくは
「こわそーだな、係わりあいになったらやだな」
と思ったのですが、実は随分と気のいいじいちゃんで、
「茶あ飲んで行かんかい」
といって煮詰まった薬草茶を、作業場の裏でごちそうしてくれたのでした。そのお茶はじいちゃんが自ら摘んできた「ジュウヤク」、「オニノバラ」、「(忘れた)」の三種の薬草を煎じたもので、肝臓病や糖尿病によく効くんだそうです。
「うちは建設業を仕事にしとるんよ。わしはもう仕事を息子に譲ってな、まあ好き勝手なことをして遊んどる。
 今度な、軽トラの荷台に屋根つけてな、テレビとか発電機とか積んでお四国巡りしてやろうかと思うとるんよ」
などと、石油カンの火に木っ端をガンガン放り込みながらおしゃべりしてくれます。ガンガン煙が出て、ぼくに襲ってきます。
「あはは、珍しい人が来よったいうて、煙まで寄って行きよる」
と、じいちゃんは楽しそうです。
 じいちゃんとの会談は一時間程度。
 この前接待した女の歩き遍路さんは31歳で、結婚しとるんかと聞いたら「遍路を巡り終えたら結婚できそうに思います」というとったとか、
 じいちゃんの家の土地は真ん中を古い街道が通っていて、これは珍しいことで、以前土の中から謎の石塔が出て来たとか、なんやかんや。
 そして
「道中食ってけや」
ということで、作業小屋の奥から果物をどさりと入れたスーパーの袋を持ってきてくれ、
「ぐおっ、来た!」
と、ぼくは内心のけぞったわけです。
「待っとれや、ビニールに穴が開いとる。柿がこぼれてあとからお猿がついてくるといかんから、もう一枚袋重ねてけや」
と、こわもてなのにずいぶんかわいいことを言う愛嬌じいちゃんでした。

 肩と背中の痛みに泣きながら、番外札所生木(いきき)地蔵にお参りして歩き続けました。夕方になると道はまっしぐらに山脈に向かって行きます。
 60番横峰寺は、八十八ヶ所の3大難所の一つで、雨天には山道が川になって通行不能になるという所です。
 山道に入る手前で野宿する考えで歩いていると、ふもとの集落のおばあちゃんが
「お遍路さん、氏神さんとこに泊まってきなさい。畳しいて寝てきなさい」
と教えてくれました。
 しばらく歩くと湯浪というさびれた集落に出、神社の拝殿の戸を開けてみると確かにガラリと開きました。
 電球もつくし、ありがたい限りです。氏子総代さんなんかに断った方がいいのかなと思いましたが、どこに行けばいいかわからないし、歩き遍路がしょっちゅう泊まっているらしいので、神様に挨拶し、お賽銭100円をお供えして泊まらせてもらうことにしました。

 晩飯はバナナの残りと、じいちゃんにもらった果物です。干し柿は咳が出るほど甘く、キウイは咳が出るほど酸っぱいです。一生懸命食べて、ようくやく半分に減りました。
 明日は朝から4kmの山登り。60番横峰寺をクリアして山を下れば、63番あたりまでは寺から寺まで2km足らずのところばかり。そして64番前神寺を打った後、いよいよ四国最高峰(だっけ?)石鎚山に挑戦です。

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12月8日


 八幡様の拝殿での一夜は初めての経験で、お化けでも出やしないかと内心は怖かったのですが、無事朝を迎えました。
 ちゃんと掃き掃除をして神様にお礼をいい、8時頃、横峰寺に向かって歩きだしました。登山口の東屋で、区切り打ちで歩いているという遍路のおばさんに会ったので、ピーナツチョコをお接待しようとしたら、
「食べ物は、減らさなきゃいけないほどありますので」
と断られました。

 おばさんに「お先に」と言って山道へ。山道は約3km弱、1時間程度。難所難所と聞いてはおりましたが、さほどきついという印象はありませんでした。
途中うっそうとした木々の間を行く石畳などいい風情のところもあって、ハイキングにはちょうどよいのではないでしょうか。もっとも、汗はしっかりかいたので、寺に着いてしばらくすると寒くなりました。
 納経すると、歩き遍路さんには生姜湯とみかんの接待がありました。
 私の後から、さっきのおばさんを含め3人ほど歩きの人がやって来て、ぼくはおばさんから逆にあんぱんをもらいました。
 また、おばさんは、接待用に「ご自由にお持ちください」と箱に入れてあったみかんを数個、もらっていきました。ぼくのチョコレートを、荷物になるからって断ったくせに(根に持ってるつもりはないんだけど)。

 横峰寺の裏山に、「星ヶ森」という場所があるということで行ってみました。江戸時代に建てられたという小さな鉄の鳥居があり、その向こうに逆光の石鎚山がきれいに見えました。
 石鎚山は、坂東真砂子の「死国」なんかの舞台にもなって、前々から憧れていた山です。
 よく見ると、確かに山頂部は雪が積もっています。ひえ〜、尾形君はあんなとこ登ったのか。俺に登れるんかな、と内心舌を巻きました。
 この星ヶ森は、昔弘法大師が「星祭」というものを行ったのでその名がついたというのですが、 どんな祭りなんでしょう。密教坊主のやることにしてはちょっとロマンチックな名前です。

 61番香園寺へは、10kmの下り坂です。膝への負担がかなりきつい。寺に着いたのは4時近くになっていました。
 この寺の建物は、すごいです。3階建のでかいビルで、寺というより市民ホールか、新興宗教の総本山といったところです。
香園寺の大ホール本堂
香園寺の大ホール本堂

 本尊とお大師様は3階にあり、それこそ文化ホールのように観客席の並んだホールの真ん中にでかい金の大日如来がでんと鎮座しています。そのホールの脇には「導師控室」「マイク室」なども完備されておりました。
 宿坊は真四角の鉄筋コンクリートでまるで学校の校舎。納経所では、数人の寺人が机に書類を山と積んで仕事をしており、まるで事務室か職員室。
 なんでもこの寺には、難産の女をお大師様が助けたとかで「子安大師」が祭られており、ここの住職は日本内外に布教を展開し、「子安講」という信者団体を作って勢力を拡大したのだとか。
 営業努力は大したもんだと思いますが、だからって本堂を文化ホールにするこたあないじゃないですか。
 札所の寺がこんなてんで勝手なことをしていながら、
「八十八ヶ所を世界遺産に」
とは笑わせやがる。「こちら大師堂」などの案内をする看板の一休さんも、どことなく居心地悪そうでした。

 次の札所はすぐ近くなのですが、夕暮れになってしまったので、途中のスーパーで晩飯を買い、62番宝寿寺の駐車場でテントを張りました。

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12月9日


 63番札所宝寿寺の駐車場での一夜、田舎の暴走族が結構うるさかったです。
 この駐車場は家の廃墟を取り壊して無理やり駐車場にしたものらしく、ぼくがテントを立てたところには便所の汲み取り蓋と思われるものが残っていました。
 寺自体、お堂を改修中で、なんかゴタゴタした感じの寺でした。せいぜい面白かったのは、汚い小便器の壁に
「!!女の人はここで小便をしないで下さい!!」
と注意書きが殴り書かれていたこと。
 こんなところで立って小便する女がいるわけ…なんだろうねえ、きっと。この寺は便所が大小一つずつしかないうえ、遍路ツアーは7割がおばさん。世の中には立ち小便が得意な女性も意外と多いらしいし。
 女性も滴を切るときは体を揺らすんですかね?
また下種な心配をしてしまいました。すいません。

 道を少し戻って郵便局に寄り、62番の前を通り過ぎて63番に行こうとしたら、ジャケットに細いパンツ、帽子をかぶった少し軽そうな服装のにいちゃん(つっても30後半か)が、
「兄ちゃんお遍路だろ、札所はここだぜ」
と声をかけてくれました。
「いや、さっきお参りしたんで」
「ああ、じゃあ次はね、この道をずーと行って、すぐ近くだから。64番も近くだし、65番三角寺さんが遠いんだけど…」
と丁寧に道を教えてくれました。そして
「ずっと歩いてんの?何日くらいかかるの?野宿なの?」
などと質問攻め。こんな遍路に興味のあるにいちゃんは初めてです。3ナンバーの車にもたれて暇そうにタバコをふかしているようなキャラクターなのに、その実かなりおばさん的な中身の人でした。

 これまでの傾向から言えることは、お金をくれる人は女性、道を教えてくれる人は男性が多いことです。

 63番吉祥寺も、これといって特徴のない寺だったので、鐘つき堂に置いた自分のリュックを絵葉書に描きました。
 描いている最中、小さな女の子を連れたおばあちゃんがお参りに来て、おばあちゃんに倣って女の子も
「かんじーざいぼーさあぎょーじんはんにゃあ」
と、幼い声で般若心経を唱えていたのが可愛かったです。
 お経の意味もわからず唱えているのは大人も同じなのですが、そんな子供を見るとぼくみたいな男でも
「お嬢ちゃん、偉いねえ」
と頭を撫でてやりたくなるものです(撫でませんでしたが)。

昼飯は、石鎚神社前のローソンで買った洋風幕の内弁当とカップラーメン。大鳥居の下で飯を食い、石鎚神社に参拝しました。
 昔は前神寺が石鎚修験道を一手に担っていたのですが、明治の神仏分離政策で前神寺はべつの場所に移され、石鎚神社が新しく作られたそうです。
 現在石鎚山を信仰対象として修行したり信者を集めたりしているのは、石鎚教(石鎚神社)と真言宗石づち(金偏に夫)派(前神寺)、大きくこの二つに分かれるようです。
 規模としては石鎚神社の方が社殿もでかく、四国を中心に全国に「組合」と呼ばれる信者組織があるようでした。
 境内に入ると、週末だからか、信徒さんたちが石段の掃除をしているところでした。お母さんやお父さんが掃除をし、子供たちがはしゃぎ回り、おばあちゃんがそれを見守る。団地の公園掃除みたいな、のんびりした光景でした。
 本殿への階段の手摺りには、石鎚山頂の鎖場に使われていた先代の鉄鎖が使われていました。鎖というより、鉄アレイの両端に穴を空けて繋いだ感じの大迫力な代物で、
「ひえ〜、明日おれはこんなのをよじ登るんか」
と内心びびりました。

 本堂もとい本殿では、今しも信者さんが神前でお祓いを受けている最中で、
「ドンドンドカカカカドンドンドカドカ」
という、ハイテンションの太鼓の乱れ打ちが拝殿内に響き渡っており、すごくかっこよかったです。
 石鎚神社のマークは〇に「石」の字という、なんとも木訥なデザインです。金毘羅宮のマークも〇に「金」の字ですから、四国の人達はこういう、酒屋の屋印みたいなデザインが好きなんでしょう。
 カッコよさと言う点では、仏具や種字などを取り入れた真言密教の各種デザインの方に軍配が上がると思いますが。

 お札(800円)を買い、霊水をペットボトルに詰め、64番前神寺へ。石鎚神社からは200m先です。
 神社と比べると、ずいぶんこぢんまりした寺です。本堂の屋根は、寺というよりもなんとなく神殿風。「真言宗石づち(金偏に夫)総本山」のプライドでしょうか。階段を上がったところには、線香の煙も絶えがちな「石鎚大権現」が祭られていました。
 納経所の人に、石鎚山へのアクセスを聞いたら、西条駅からバスが出ているとのこと。市街地から山のふもとまでは約20km、歩いて行くのはちょっときつそうです。
「ロープウェー使わないの?今時下から歩く人なんていないから、道だって通れるかどうかわかんないよ。だいいちその服装じゃ、山頂には行けないよ。ただの山じゃないんだから」
 寺の人は呆れ顔ながらも、バスの発着時間を教えてくれました。

 明日は石鎚登山。テントを張る予定の西条市街もすぐ近くのようなので、寺の門前にあった公共温泉「石鎚の湯」に入りました。澤谷さんちで入って以来、約1週間ぶりです。
 入浴代は450円。温泉にしては安い方だと思いますが、備え付けのシャンプーや石鹸はありませんでした。また、大きな湯船がなく、泡風呂やマッサージ風呂、薬湯、サウナなど、ちまちました浴槽ばかりでした。泉質はこれといって特徴がありませんでした。
 風呂上がり、休憩所でたまった日記を打っているとあっと言う間に外は真っ暗。  湯上がりのいい心持ちで3kmほど歩き、ねぐらは市民公園の植え込みの中。晩飯はあいかわらず、スーパーで割引になった弁当と発泡酒。

 思うのですが、日本の市街地の公園て、木が植えられている割に、木に接する機会がありませんね。木が生えている植え込みは柵に囲われ立ち入り禁止。人間はその外の、ちょっと気取った舗装のされた通路を歩くだけ。
 今の世の中、どこもかしこもアスファルトやコンクリートに覆われて、人間が土を踏む機会がありません。せめて公園くらいはふかふかの土や落ち葉を踏んで歩きたいものなのに。
 日本では、
公園=庭園=目で見て楽しむもの、
という伝統的な考え方を、現代の都市計画でも引きずっているのではないでしょうか。
「自然公園」と名のついたところでも、通路がしっかり決まっていて、そこから外れてはいけないようになってる場合が多いような気がします。

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12月10日


 今日は石鎚登山。6時半に起き、7:40発のバスに乗りました。移動機関に乗ったのは、48日前に1番札所で自転車を降りて以来初めてです(エスカレーター等は除く)。
 バスの中でも、ロープウェイにしようか歩いて登ろうか迷っていましたが、下車するバス停が近づいて、歩いて登ることに決心が固まりました。
 難所と脅かされていた横峰寺も大したことなかったし、最近アスファルト道ばかり歩いていて飽きが来ていたこと。
 山頂付近はかなり雪が積もっているらしく、登頂できない可能性もあるので、せめて行けるところまでは歩いて登りたいと思ったこと。
 後は、尾形君へのライバル意識が少し。

 徒歩での登山口、「河口(こうぐち)」で下車するとき、バスの運転手さんが聞いてきました。
「お客さん、どこから登るの。今宮口?黒川口?」
何のことやら分からなかったのですが、適当に
「今宮口」
と答えると、運転手さんは
「それならいいか」
居合わせたおばあさんも
「黒川口は危ないって聞いた」
と言います。
「気をつけてな」
と励まされてバスを降りたのですが、内心
「今宮口?黒川口?なんだそれ?」
とかなり焦っていました。
 地図もないまま登山口を探します。バス停のすぐ近くに古ぼけた鳥居があり、「成就社6km」の道しるべがあったので、その道を進みました。成就社とは石鎚神社の本社の一つで、石鎚山の中腹にあるお宮です。
 きっとこの先で道が分かれており、間違った道を選ぶと谷底に落ちてしまうに違いない、とびくびくしながら登って行きましたが、途中「今宮登山道」の標識が出ており、この道で正しいことが分かりました。
 運転手さんが言っていたもう一方の登山口は、河口とは全く別の場所(たぶん横峰寺)から登る道のようでした。たぶん、運転手さんも、登山口の名前は知っていても、それがどこにあるのかは知らなかったのではないでしょうか。
 道は、階段や手摺りなどはないものの、ところどころ道しるべも出ていて、比較的登りやすくなっていました。天下の石鎚山ですから、徒歩での登山客も少なくないに違いありません。
(前神寺のおっさんめ、石鎚修験の総本山のくせに知らないんだな) と少しいい気味でした。
 道端には「ナントカ王子」とかいう石仏がぽつぽつと祭られ、民家ともお堂とも知れぬ廃墟が点在しています。今は薄暗い人工林ですが、恐らく戦後すぐあたりまでは、この辺でも段々畑が作られ、人が住んでいたようでした。
 標高が高くなるにつれ、人工林が自然林に変わり、うっすらと霧が出て肌寒くなってきました。 およそ3時間、オープン前のスキー場を横切り、奥前神寺(無人)にお参りし、成就社に近づくと、 木々には霧氷がこびりつき、斜面には清水が凍りついたツララが垂れ下がるようになりました。
 成就社一帯には、売店兼民宿が数軒軒を連ねていましたが、冬場の平日、スキー場もオープン前ということで、すれちがったのは中年夫婦一組だけで、ゴーストタウンのように静まり返っていました。
 成就社に参拝すると、張り紙が目につきました。
「石鎚山は御神体です。登山なさる方には、無料でお祓いをいたします」
なに、タダでお祓いが受けられる!?ラッキー!
ということで、さっそくお願いしました。
神職さんが出てきて幣を振り、ドスの効いた声で
「かけまくも、かしこみかしこみ、石鎚の御神、この者の道中、悪しき気の及ばぬよう…云々(うろ覚え)」
と、丁寧に祝詞を上げてくれました。祝詞の中に
「加えて交通安全・・・」
という言葉が聞こえました。もしかしたら神主さんはぼくが歩き遍路であることを察して、登山の安全だけでなく、遍路道中の安全も祈願してくれたのかもしれません。ありがたいことです。
 お祓いが済むと、神主さんは
「気をつけて、無理をせぬように。登山計画書を民宿白石屋で書いて行くように」
と言って、ずっとぼくを見送ってくれました。ありがたいことです。

 白石屋に行くと、店の人がでかけていて、しばらく待たされました。石鎚そば(700円)と白飯(300円)の昼飯を食い、リュックを預かってもらい、ペットボトルにお湯を詰め、お菓子や絵道具と一緒にずた袋に入れて、レインウェアに身を固めて出発。12:30でした。外は雪まじりの横風が吹いていました。
 門をくぐって山頂への登山道、約3kmの道のりへ。リュックがないのでひょいひょい進めます。
 しかし、調子よく進めたのも初めの500mほどでした。進むにつれ雪は強まり、道は凍り、坂は急になってきます。特に細い丸太を組んだ木道は、凍ると滑りやすく、ぼくの履いている擦り減ったウォーキングシューズにとっては危険そのもの。登りはいいとしても、帰りは大丈夫かなあと、恐る恐る進みました。
 1kmほど歩いて、ついに鎖場へ。といっても、「試しの鎖」という、いわば小手調べの鎖場です。
 90度とまではいきませんが、80度くらいの傾斜の岩肌に、例の ぶっとい鎖が垂れております。どこまで続いているのか、下からだとよく見えません。
石槌山試しの鎖
石槌山試しの鎖

 ともあれ、気合を入れて鎖に飛びつき、登ること約5m。
「だめだこりゃ」
と悟りました。
 岩肌が、真冬の滝のように氷に覆われていて、足を踏ん張る場所がないのです。これまで、歩くことにかけては自信がつきつつありましたが、腕力については全く鍛えてこなかったわたくし。このまま登ったら、降りるに降りれなくなる、と恐怖感がこみあげてきました。
 5mを降りるのにも、ずいぶん骨が折れました。
「負けた、石鎚には負けた!」
一人で叫びながら、鎖場のない迂回路を登ってみましたが、これも数十メートル登ったところで気力が萎えました。この先道がさらに険しく、雪がさらに深くなっていることを思うと、生きて帰れる自信が全く持てなかったのです。
 半分壊れたような休憩小屋で一息つき、元きた道を引き返しました。先程の自分の足跡が、積もった雪でかき消されていました。
 成就社に戻ってお守り売り場の巫女さん(おばさん)に報告すると、
「この天気じゃ無理しなくてよかったですよ」
と慰めてくれました。
「昨日は日曜でお客さんも多くてね、天気も晴れてたから皆さん頂上まで登ったみたいですけどね」
そうだったのか。でもたぶん、昨日でも僕には無理なんじゃないかなあ。
 照れ隠しに身代わりお守り(600円)を買い、白石屋に戻って荷物を受け取り、ロープウェイ(片道1000円)で下山しました。  登りは歩いて正解だったと思います。ロープウェイで登って、ちょっと歩いて引き返す羽目になったら、敗北感しか残らないもの。「四国遍路は修行だ」というなら、石鎚山山頂に札所作れば、随分と修行になると思います。

 ロープウェイの山麓駅で、トイレで充電したり、水戸黄門のテレビを見たりして暇をつぶし、5:20のバスで西条市に戻り、昨日と同じ場所でテントを張りました。この場所は、木の陰で落ち着けるのと、下が落ち葉でふかふかなのがけっこう気に入っちゃったんですよね。

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12月11日


 朝起きると、二の腕が筋肉痛でした。鎖場を5m登ったせいです。
 今日は、愛媛最後の札所、65番三角寺への道です。約50kmあるとのことで、寺に着くのは明日になります。
 三角寺から約5km離れた仙龍寺という番外札所がなかなかいい風情だと澤谷さんから聞いていたので、明日はそこの宿坊で泊まりたいなと考えています。そのためには、今日のうちに30kmは進んでおきたいところ。

 今日もお接待日和でした。国道沿いの直売所の脇でココナッツサブレを齧っていたら、おばさんAが直売所で買ったばかりとおぼしきリンゴとみかん、そして500円を。
 新居浜市内を歩いていたら、スクーターのおばちゃんBが酒まんじゅう2個を。
 番外札所「いざり松」延命寺の手前では、これもスクーターのおばちゃんCが、トイレに行きたくて必死で歩いているぼくを呼び止め、バナナ2本と500円玉を。
 夕方、軒先で道を教えてくれたおばちゃんDが、
「ちょっと待っとって」
といって家の中に入って行き、
「何もないけど」
とリポビタンDを。みなさん、ありあわせの買い物袋から、なけなしの財布からお接待してくれて、ありがたい限りです。

 この日寄った番外札所は「いざり松」。松が夜な夜な這い回って村人を襲ったのを弘法大師が退治した、
という伝説があるわけではなくて、
松の下で足の立たない人(いわゆるイザリ)が苦しんでいるのを、お大師様が紙に呪文を書いて飲ませ治してやったという、さして面白くない伝説があります。
 このお大師様のまじないの紙切れは「千枚通し」といい、これを飲めば万病に効くというわけで、吹けば飛ぶような紙片が500枚1000円で売られています。
 紙ですから繊維でできてるわけで、飲めばその分便秘くらいには効くのかもしれませんが、 百歩譲っても万病に効くはずがありません。そんなうさん臭いものを大きな顔して売れるとは、宗教とは大したものです。
 一方ではこの「千枚通し」を印刷してる会社がいるわけで、せめて大豆インクで印刷してほしいものです。
 地元の印刷屋とお寺との間で、こんな会話がされているのでしょう。

「あー、千枚通し在庫なくなっちゃったから、増刷お願いね」
「どうですか、おまじないの書体を変えて版を新しくしてみては。今は丸ゴシックが受けがいいんですよ」
「いいよ、そんなの。おたくはなんやかんや言って値段が高いよ。印刷屋なんて他にいくらでもあるんだからね」
「いやその、千枚通しはサイズが小さいんで、切断と袋詰めで人件費が…」
「あーうるさいうるさい。これ珍念、ちょっと龍〇印刷に電話しておくれ、ちょっと頼みたい仕事があるって」
「あ〜和尚様、堪忍して下さい!」

 お札の背景には、こんなドラマが展開されているに違いないと、印刷屋あがりのぼくは想像してしまうのでした。

 この日のねぐらは、つぶれた靴屋「三島靴流通センター」の空き店舗の軒下。
晩飯は、向かいの回転ずし。生中500円を含め、一人で1950円分食べてしまいました。
 回転ずしは、食いたいネタが次々と流れてくるので、のっけから食い急いでしまい、すぐに腹がふくれます。
 ちょっと贅沢してしまったので、あしたは緊縮しようっと。食って財布の緒を締める。

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12月12日


 前日は朝7時に出発するつもりで寝たのですが、結局身支度が終わったのは朝8時でした。
 通学の高校生の自転車に追い立てられながら、狭い旧道を歩きます。このあたりは製紙業の工場が多く、港の方では、王子製紙のでかい工場が煙を吐いています。

 9時頃、仙龍寺に電話して宿坊の予約を入れようとしたら、
「宿坊はやっておりません」
と言われました。おっやあ、話が違うぞ、と思いましたが、まあやっていなければテント泊をするだけのことなので、逆に気分が楽になりました。
 機会を失ったので、今回の旅では宿坊に泊まることはないでしょう。個人客は相手にしないところも多いらしいし。

 65番三角寺は、みかんの段々畑を登った山の上にありました。けっこうしんどかったかわりに、晴天であることも加わって、道端から見る瀬戸内海と港町はなかなかの眺めでした。

 さらにしんどかったのは、番外札所仙龍寺への道。番外なので歩き遍路が少なく、道しるべが少ないので一時間ほど、霜柱の立つ山道を迷い歩いてしまいました。
 正しい道を捜し歩いても、斜面からの倒木が道をふさいでいたり、下草が茂って薮になっていたり。いい修行をさせてもらいました。
 そして急な谷にへばりつく集落を横切り、急な山道を下ってようやく寺に着いた頃には、すっかり夕方になっていました。

 しかし、寺の風情は澤谷さんが一押しなのも頷けました。狭い渓谷に石積みをして本堂や六角堂を建てているのですが、どれも古びたいい感じ。特に本堂はまるで温泉旅館のような作りになっていて、ご本尊が祭られている部屋まで、黒光りする廊下をギシギシ踏みながら歩いて行くのです。
仙龍寺本堂
仙龍寺本堂

 ご本尊の部屋では岩肌が剥き出しになっていて、神仏の名が書かれた提灯が吊るされた奥は、真っ暗な洞窟になっているようでした。
 堂内を少し歩き回ってみたら、食堂と書かれた部屋もあったので、恐らく遍路シーズンには宿坊もやっているのでしょう。
 こんな山深い古い寺に泊まれたら最高なのになあと思いました。

 この寺の絵葉書を描いて送ることを澤谷さんに約束していたので、建物の絵を描いているうちに夜に近くなってしまいました。
「町までずいぶんあるぞ、ついでだから送ってってやる、強情張らないで乗ってけ」
とお寺で働いているおっさんに言われましたが、意地でお断りし、絵葉書は下書きだけして寺を出ました。
寺の人がいろいろ道を教えてくれたのですが、あまりよく覚えていませんでした。真っ暗な道中、2台ほど
「乗せてってやろうか」
と声をかけられましたが、お断りし、それでも1時間30分くらい歩いて、川之江市街の夜景が見えるところまで来ました。
 里まで下りることも考えたのですが、めんどくさくなったので、ちょっとした東屋にテントを張りました。明日は雨になるとのこと。この程度の東屋では雨避けにもなりませんが、なんとかなるさ、とテントにもぐりこみました。
 飯は、一昨日買っておいたおむすびとビスケット。今日はどこにもお店に寄っていません。

 こんなところ誰も来ないだろうと思ったら、やっぱり来ますね。声からすると中年の男女、たぶん不倫かなんかでしょう。
「なんだ、夜景、見えねえじゃねえか」
というおっさんの声、そして忍び笑い、そしてやがておばさんの「んふっ、んふっ」という乱れた鼻息。
「ここじゃ何だから、車に戻ろう」
とおじさんが言って、二人は笑いながら階段を降りて駐車場の方に戻って行きました。
いやあ、テントごしに聞くと、妄想働いちゃってよくない。しかし、怪しいテントが張ってあるすぐとなりで、よくやりますねえ。

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