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藤里町の中心部から北東方向にある藤琴線との分岐点付近です。
ここで西に90度進路を変えて藤琴川を渡っていました。 |
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藤琴川を渡っていた鉄橋の橋台です。
鉄橋は2連式の鉄骨造で、廃線後もしばらくは残っていました。
鉄橋は対岸で河岸段丘にぶつかっており、反対側へはトンネルで抜けていましたが、度重なる川の増水による激しい浸食で対岸の橋台とトンネルの坑門は流出し、現在も崩落が進んでいます。 |
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ところで、藤琴川を渡る橋については上述のとおりですが、実はその橋の50メートルほど上流には吊り橋の橋脚が立っています。
これが軌道の跡なのか、歩道の跡なのかは不明です。 |
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吊り橋の橋脚は対岸にもあります。
すぐ後ろは崖になっていますが、崖に沿って道が付いていたのか、トンネルで山の反対側に抜けていたのかはわかりません。
橋脚は相当腐食が進んでおり、かなり古い年代に建設されたのは確かです。 |
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トンネルを出た軌道は、直角に南下し、寺沢川と県道322号線を横切っていました。
廃線跡を辿っていくと、民家の横にトンネルが口を開けていて、反対側の出口の明かりも見えます。
坑口は塞がれることなく、缶やバケツが置いてあるなど、生活の一部に利用されているようです。 |
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上のトンネルの出口です。
出口は粕毛川付近にあり、坑口からの築堤も残っている様子がわかりますが、この先は土砂崩れにより築堤は切断されています。 |
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粕毛川の東側を北上した軌道は、素波里ダム手前で粕毛川を渡っていました。
県道322号線の浅渡橋の横には、吊橋の橋脚がそびえ立っています。建設当初は木製吊橋でしたが、昭和30年2月に全長90mのプレートガーダー橋に変更されています。 |
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対岸にも吊橋の橋脚が残っていますが、プレートガーダー橋に変更した際に新設した川中の橋脚は全て撤去されています。
この先は、昭和45年に完成した素波里ダムによって水没してしまいましたが、渇水期には、素波里園キャンプ場付近から旧猿ヶ瀬橋の橋脚が湖面から顔を出す姿を見ることができます。 |