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起点のJR和田駅前です。
ここには広大な貯木場が広がっていましたが、現在は宅地化されていて、当時の面影はありません。 |
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和田駅を出た線路は国道13号線を斜めに横切って山の裾に沿うように北上していました。
現在も大半の部分が道路として残っています。 |
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河辺高岡の部落の北側にある軌道跡です。
山の裾に沿って北上していた線路は、ここで90度右に進路を変えて岩見川を渡っていました。 |
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岩見川に架かっていた橋梁付近です。
航空写真では橋脚の跡が確認できますが、現地は草木が生い茂り、川の水も多いことから確認は困難です。 (川の中央にある土盛りは橋脚ではなく、単なる中洲です。)
川を越えた線路は、今度は対岸で45度北東に進路を変えて岩見三内を目指していました。 |
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岩見三内地区の岩見大橋です。
当時の道路橋は現在も東側にある小さな橋で、現在はこちらの橋がこの地区の主要道路である県道308号線の橋梁となっています。
なお、この橋は軌道橋を撤去してから昭和40年12月に竣工したものですが、記録上は岩見線の廃止は昭和42年となっており、実際には記録よりも2年以上前に軌道が撤去されていたことになります。 |
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岩見三内地区で三内線と分かれてからは、岩見川の北側を山の裾に沿って東進していました。
岩見線は大半が道路に転用されたり田畑用地に造成されたりして遺構がほとんどないのですが、唯一と言っていい遺構がこのプレートガーダーです。
岩見川の支流である岩見杉沢川に架かっていた橋梁で、朽ちた枕木も残されています。
この橋梁までは築堤が直線で接続していたはずですが、現在は一面の水田に変貌しており、痕跡は確認できません。 |
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県道28号線と同化した軌道跡は、岨谷峡で再び岩見川の縁を進みます。
遊歩道の山寄りには今でも軌道跡が残っており、その境界にはレールの切れ端で作った柵が刺さっています。 |
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岨谷峡の南側を進んだ軌道は、中間付近で渓谷を横断して北側に進路を変えていました。
対岸には軌道敷と思われる部分がありますが、橋があった痕跡は完全に失われています。 |
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岩見川の北側を進んだ軌道は、再び川を越えて南岸に進路を変えます。
現在は道路橋となっているこの橋が、軌道橋を撤去して設置したものと思われます。
ここから終点の鵜養地区まではもうすぐです。 |