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母の旅立ち・T



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バラ

2000年12月10日 No.01号

平成12(2000)年12月10日午後4時10分上野発札幌行、北斗星一号に乗り込んだのは発車10分前であった、北海道に行くか止めるか迷ったからである。

母親が肺がんで自宅療養中である、出発前に何故今この時期に北海道に行くのか母親に話していたらどうも鼻風邪をひいたらしく鼻水がだいぶ出ている事に気が付いた。これはまずいかなと思い北海道行きはあきらめるか、検討をはじめた。自分なりにいろいろ考えたがやはり行く事にしたが、それは非常に不安でもあった。それまでもして行かねばならない理由は何処にあるのか?疑問に思う。

話は遡るが、昨年の平成11(1999)年5月21日に母親は急に胸が苦しいと言って、かかりつけの医者に行き状況を説明し検査をしてもらった。診断結果は、肺に水が溜まっており即入院をする必要があるとの事で、入院設備が整っている所を紹介され即日入院をした。

私のところにその情報が入ったのは午後5時ちょっと過ぎである、すぐその病院に行ったら、肺から水はすぐに抜けず、徐々に抜く必要があるので時間をかける必要があると主治医から言われ、とりあえずはひと安心をした。しかし検査結果が一週間後に出るとの事で、改めて確認しに行ったら、なんと肺がんであると宣告された。

その日はその後プールに行き飲み会があるはずであったが、私はショックで病院から呆然として歩き始め四谷三丁目まで歩いていた。四谷のプールに行き今日の飲み会は遠慮をしたいと話し、すぐに帰った。家に帰り家族に話したらこれまたショックで私は足が地面につかない不安の極地であった。

この状態は思い起こすと26年前、私は協力会社に直行し仕事を始めた時に母から電話があった。父親が勤めている会社で仕事中に脳溢血で倒れ、病院に運ばれたとの連絡が会社から母の所に入り、その連絡が私に来た時と同じであった。その時は結局意識が戻らずその日の内に息を引き取ってしまったが、何かあっけなく感じた。その時父は65歳であった。

その母も頑張り、病院の主治医によると、余命半年との事であったが、いろいろ考えて3ヶ月で、自宅療養に切り替えた。その後1年半が過ぎ母親も84歳になった。まだまだ元気でいてもらいたいが最近めっきり弱って来て心が痛む思いである。どの様に接したら良いのか、あれから毎日考えているが思いつかない、いましてあげられる事はいっしょに側に居て話をしてあげるしかないのではと思っている。


バラ

その母が鼻風邪を引いた感じなので迷った、何かあったらと思うと心配である。しかし北海道へは行きたい、なぜそんなに北海道行きにこだわるのか?




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