旅 日 記
母の旅立ち・U
あんちゃんの旅TOP |
バックナンバー |

エゾスカシユリ
2000年12月12日 No.02号
私の趣味はいろいろあり、その中にキップの収集があります。今回は平成12年12月12日の日付が入った硬券のキップが欲しく、購入する為に行くのである。
平成12(2000)年12月12日のキップを買い集め、13,14日は観光をして15日頃帰京する予定であった。だが、なぜかキップを買い集めた翌日、母が呼ぶかの様に13日に東京へ帰ってしまった。
翌12月14日、やはり心配なので、母に病院へ行く様話した。私が付いて行くから行こうと言う言葉で、納得したのかすぐに支度を始めた。やはりあまり良くないのではと咄嗟に思った。
普段は何とか一人で歩けていたが、その日は伝わり歩きでないと非常に不安定で、手を引いてあげる必要があった。急に体力がなくなったように感じた。
病院で主治医と話していたら、すぐに入院をするようにとの話になった。しかし母は、今回の入院は覚悟が必要と感じ、心の準備をしたいと思ったのか、次の日に伸ばした。
翌日12月15日、私と母は荷物を準備してタクシーで病院に向かった。早く病院に来て良かったと母はタクシーの中で言っていたので、やはり相当辛かった様であった。
12月18日病院の主治医から呼び出しが有り、今回は非常に厳しい状態になっている、親戚等にはそろそろ連絡をしておいた方が良いのではとの話である。後一ヶ月と言う単位ではない、何日と言う単位であるとの事。私は驚き連絡をして良いものか迷い一日待った、結果として12月20日に連絡をする事にした。
我が家の親戚は多く、父方は14人、母方は5人の兄弟姉妹がいる、ただ全員が存命ではないが私の父は長男であり本家となっていて、又母も長女で一番上である。その関係でお正月には、みんなが集まり大変であった。それだけ多いと中にはなぜ連絡をしなかったのか?と言う人が必ずいる、過去にもこのようなトラブルはいっぱいあった。
案の定21日には大勢病院に来てしまい母からは叱られた、体はなかなか思うように動かなくても、頭は衰えていなくその辺は鋭い。主治医からなんて言われたのだ、と聞かれたがその通りに話さなかった。
入院してからは更にやせ細りエアコンで暖房を効かせており空気が乾燥しているせいか肌がかさかさとなり見るも哀れな状態になって行った。何とかそれをくい止めようとクリームを塗ったり、努力をするがあまり効果が無い。その内床ずれが出来、それで苦しみ始めた。主治医に相談をして12月28日にベッドをエアークッションの物に替えてもらった、この方が良いみたいであまり訴えなくなり、少し良かった。

ハマナス
一時は年末を越せないかと思っていたが何とか乗り越えた。平成13(2001)年1月1日、家族3人でそろって母を見舞いに行った、そのせいか元気を取り戻しちょっと安心した。母は大正生まれの頑張りやである、もしかしたら春までもつのではと思った。が!!!
続きは"Next"をクリックして下さい。
Back |
Next |
Twinkle Plaza-No179号に戻る場合"ここを"クリックして下さい。