旅 日 記
母の旅立ち・V
あんちゃんの旅TOP |
バックナンバー |

チューリップ
2001年01月02日 No.03号
平成13(2001)年1月2日になったら急に呼吸が困難になり、1月3日になると更に呼吸が困難になってきた。母は突然、永久に家へ戻れないからと、お寺の事を言い出した。正月はお寺で会合があるはずである、だから出席を妻にお願いしたいと言い出した。この件は私が行く事に決めていたが、良く気が回る人である。いくらお金を包めばよいか、お彼岸は年二回いくら、お盆はいくら、食事が出る時は一人いくら等細かい指示を出した。もう今生のお別れかと思わせるような言い方をするので非常に不安になった。
この様な話を聞くと何か胸騒ぎがして母と非常に親しくしていた、母方本家のいとこに連絡をしておいた方が良いのではと思い、早速連絡を入れた。前回の件で連絡はこりていたので、その件を考慮しての話し方をしたが、やはり次の1月4日には、いとこ3人が病院に来てくれた。今回はすごく喜び昨日の状態が嘘の様で、元気を取り戻したようであった。私には気を許すのか現状がそのまま出るが、人が来るとまだまだしっかりしている所を見せたいのか、しゃきっとする。
1月5日も呼吸が困難ではあるが落ち着いた一日であった、しかし6日になったらどうも調子が悪いらしく呼吸が荒く身体のあちこちが痛いらしい、言葉には出さないがそれが分かる。母は話したり、食べたり、動いたりすると呼吸が困難になる、私が病院に長居するのは良くないのではと思い早く帰る事もある。帰り際に母は早く楽になりたいと言い出した、我々の想像を絶するほどの苦しみと闘っているのではと思った。
1月8日(成人の日)は朝起きたら雪がベランダの淵に2〜3cm位積もっており寒い一日であった。毎日一回は母の居る病院に行き状況を確認しているが、この日もあまり調子の良くないところを見てきた。
その晩お風呂に入り一休みしている時、電話が鳴った。何かいやな予感がしたが、案の定相手は病院からで、内容は母の呼吸が止まったとの話である。家族も電話があった時から関心をもっており私の話す内容を聞いており次ぎの行動に移っていた。
その時は午後の10時30分頃であった、妻と娘の3人はタクシーを拾い病院に急行した。私はとうとう時期が来てしまったかと思いながら病室に飛び込んだら、中では看護婦3〜4人ヘルパーさんらがベッドを囲み何かを話していた。ちょうど、のどに詰まった痰を取り除き元気になるのを待っていた所であった。

アジサイ
実は母の喉に痰が詰まり呼吸がストップしていたが根性でベルを押した。ナースセンターのモニターには呼吸がストップした形となり、確認をした後すぐに我が家へ連絡を入れたとの事であった。幸いタイミングが早く、看護婦の対応も良く何とか持ち直した。我々はとりあえず安心をして夜中の12時過ぎに病院を後にした。
続きは"Next"をクリックして下さい。
Back |
Next |
Twinkle Plaza-No179号に戻る場合"ここを"クリックして下さい。