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母の旅立ち・W
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デイジー
2001年01月09日 No.04号
平成13(2001)年1月9日、早朝に病院へ出かけ主治医と会い、昨日の状況説明を聞いた。そろそろ個室に移った方が良いようであり、その場でお願いをした。
主治医と話した後、母親の病室へ行った。これから会社へ出かけると話したら、非常に悲しそうな顔をして、何かを訴えたいようであった。 私が出かけた後に、妻が面会に行ったら、 “ありがとう” と言ったそうだ。もしかすると、母は妻に会いたいと、言いたかったのかもしれないと思った。
8時40分頃に303号室に決まり移動したとの連絡が携帯電話に入った。ところが、昼休みになろうかと思われる11時58分、胸ポケットに入れておいた携帯電話が突然ブルブル暴れながら鳴った。あわてて出ると病院からである、内容は母が24時間監視している心電図のコードをはずしてしまうので家族の方に来て欲しいとの事であった。
12時半頃病院に着き病室に入ったら、目をつぶり空気をたくさん取り入れようと口を開け荒い呼吸をしていた、その後すぐ妻が来て娘も追っかけ来た。その日は結局目を開けずに声も聞けずじまいであった、3人は一晩中ベッドの周りで1月10日も過ぎた。
しかし1月11日未明の4時過ぎに心電図の大きさが小さくなっていると看護婦が診に来た。昨夜から必ず一時間おきに血圧、脈拍、等を確認に来ている、皆が協力をしてくれているのが良く分かる。午前5時ちょっと前に自動測定をしている血圧計が何度も測定をしなおしているのに気がついた。なぜだろうと思っていたところに看護婦が来て、心臓の心拍が半分に落ちているとの話である。心臓の力が落ちて血圧計の自動計測が出来なかったのである。
その内、母は呼吸するのを忘れたのか口が開かなくなった、看護婦は脈を確認し、聴診器で心臓の周りを何度も確認したが何も聞こえないらしく、瞳孔の確認をして当直の担当医を呼びに行った。
担当医は眠っていた所を急に起こされたのか顔がまださえていなかった。しかし事態が許さず緊張して来たみたいで真剣な顔つきで脈拍の確認、聴診器での確認、瞳孔の確認、をした結果、 “平成13(2001)年1月11日午前5時15分死亡の確認をした” と、私と周りの人に告げた。
私は母が生前より積み立てをしていた葬儀社に電話をして手配をした。さすが専門にやっているだけあり行動が速く午前6:30には車で病院に迎えに来た。しかし迎えに来た葬儀社の2人はあまりにも事務的で良い感じがしなっかた。最初は母を葬儀する所が決まるまで葬儀社の冷暗所に連れて行くとの話であり、私は反対した。何とか話し合いで、母を我が家に連れて行くことが出来た。

スミレ
母は近所の人との付き合いが多く、しかも84歳で当然付き合っている人は老人が多い、その為葬儀は家の近くで行いたかった。幸い近くのお寺(正受院)が決まり日程も、お通夜が1月13日(土)、告別式が14日(日)になった。その間に旅立ちの儀として湯灌納棺があり、母の身体は綺麗になり少し満足した。
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