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『 本 当 の 復 興 は ? 』

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港の近くに残った家を、何で片付けないのか?

何か理由があるのかもしれない。




2015年03月10日(火)No.117号


水泳の大会が盛岡で行なわれ、参加して来ました。折角盛岡まで来たので、帰りは 2年前に訪問 をした気仙沼に行って見ようと思い、前日は一ノ関に宿泊した。




(左)気仙沼駅現在のホーム
(レールの変わりにアスファルトが埋められている)

(右)商店街は誰もいない、2年前と変わらない

2015年3月10日(火)朝早く一ノ関駅から大船渡線で気仙沼駅に向かった。気仙沼駅に着くと盛駅方面のレールが撤去されアスファルトで固め、気仙沼駅〜盛駅間はBRT(バス高速輸送システム)の発着所となっていた。




(左)港近くは瓦礫は片付けたが、下水道から海水が入り込んでいる

(右)波で倒された街灯も、未だに手が付けられていない



気仙沼駅前の様子は、観光客以外で地元の人が見当たらず、かつての賑わいが無い。前回と同じルートで港に向かって歩いたが、駅に近い商店は一部開店していたが、大半はシャッターが下りている。港に近付くと道路はかさ上げされ、ダンプカーや工事用車両が多く走って、前回来た時と変わっていない。住民は仮設住宅に転居しているので、壊れたままの家が立ち並んでいた。


(左)現在の桟橋(かさ上げ工事が行なわれている)

(右)桟橋の先にある“気仙沼お魚いちば”

気仙沼湾にたどり着きフェリーの発着所は沿岸のかさ上げ工事中であった。そこを過ぎると“気仙沼お魚いちば”の大きな看板が見えてくる、前回はそこでお土産を買ったので今回も買う事にした。そこで働いている人に、この港はどうなるのですか?と聴いてみたら、防潮堤の高さは決まったが、湾の内側はまだ決まっていないとの話。地元の方々は海が見えないと逆に怖いから見えるようにして欲しいと要求をしている。高速道路を作るので、それを利用しようと考えている様であるが、なかなか決まらない。

港を見ていると、かさ上げ工事用の車、砂利等を運ぶダンプカーが頻繁に走って、近くには運転手が立ち寄るコンビニだけが繁盛している。それだけ見ると活気があり復興真っ只中と言う感じである。


(左)かさ上げ工事の為に巨大なベルトコンベアーが
たこの足の様に伸びている

(右)少しずつではあるが、かさ上げ工事は進んでいるが
何年かかるか?・そこに住民が戻ってくるのか?

しかしながら、明日で震災から丸4年、住民は生活をする為に、仕事を探しに出かけて行き、そこで働いている。土地のかさ上げ工事・防潮堤が出来て、防災対策が完成しても、そこに仕事があるかどうか分からないので、直ぐに戻って来るとは限らない。これが本当の復興に結びつくのか疑問を感じた。

今回の震災は余りにも規模が大きすぎる為、対応には時間がかかり、周りの状況・環境が変わり、以前と同じ様にならないかもしれない。そんな中、地元でガンバッテいる住民もいるので、もっと頻繁に行政と住民との話し合いが必要であるのではと思った。

前回の訪問レポートはこちらから。



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