連載 「持続可能な暮らし方 in オーストラリア」
<目次>
〜電気のない、真の豊かさのある暮らし〜
ピーター・コックスヘッド(タスマニア州ダービー在住)

タスマニアの第二の首都・ロンセストンから、かなり揺れの激しいバスで3時間、ダービーという町を目指す。ダービーに着くと、バス停にピーターが迎えに来てくれていた。びっくりするほどやさしい目をしている人だなあ、というのが最初の印象だ。15分程歩き、山道に入ったところに止めてあった軽トラックの荷台に乗って更に10分。山の中にあるピーター家に到着だ。
ピーター家は電気がないだけでなく、なんとガスも水道もなかった。50エーカーの土地の中に、メインの建物(ウーファー用宿泊場所、台所、風呂場)と野菜畑、果樹があり、すこし離れた場所にピーターの寝泊りする小屋や、男性ウーファーの宿泊場所がある。メインハウスもピーターの手作りだ。私立ちが到着した時には、既にオーストラリア、イギリス、韓国から来た3名のウーファーがステイしていた。多いときには10名ほど受け入れているという。
水道がひかれてないので、シャワーの水は敷地の上にある泉からパイプを引いてきて、利用している。シャワーのお湯は屋根の上に備え付けられた、黒く塗ったドラム缶によって供給されている。昼間太陽熱でドラム缶が暖められ、それによって水が温まるのだ。シンプルだが、ソーラーパネルで電気をつくるよりもはるかにエコロジカルである。現在、オーストラリアは旱魃で水が非常に少なく、ピーターの家も泉の水が普段よりも大分少ない。水は少し茶色がかった色で、少々臭いもあるが、本来はもっと水があってきれいなのだそうだ。飲み水は川にポリタンクで水を汲みにいく。
トイレはコンポストトイレで、木の便座の下にはバケツが置いてある。用を足したら木屑や土が混じった炭素物をたっぷり入れる。水分を吸い取っておくことで、臭いが全くないそうだ。とても快適である。バケツがいっぱいになったら、大きな堆肥場所に入れ、みみずに分解してもらう。台所の残り物などもすべてここに入る。1年程発酵させた後、堆肥は畑に使用される。ピーターは町に行っても、できるだけ家で用を足すようにしているという。私が笑うと、「我が家でご飯を食べる人は、我が家でトイレをしていってもらわないと困る。持ち出し禁止。」と真剣な顔のピーター。ここでは無駄になるものは一つもないのだ。ピーターの家から出るゴミは、主にウーファーが持ち込む歯磨き粉チューブなどで、1年間で膝の高さくらいのゴミバケツ1杯分くらいにしかならないというから驚きである。
ピーター家の一日は、7時の朝食ではじまる。お湯で煮たオートミールに、ブラックベリーのジャムや、カリンシロップ、3種類の種を粉にした「特製モーニングミックス」をかけて食べる。今まで食べたオートミールの食べ方の中で、一番おいしい。朝食後は、作業だ。8時〜10時半、11時〜1時半と5時間働く。春は野菜の種まき、秋は収穫や種取りや保存食作りなどある。ピーターはオーストラリアの種会社に種を売って、生活費を稼いでいる。夏はあまりすることがないので、結果的には体力仕事となる。畑の畝立て、水のパイプひき、森の道路の防火帯づくりなど、なかなかハードだ。「体力仕事は、初めの3〜4日がきついんだよ。自分の体だけでなく心も試される。でも1週間も過ぎたら、もっと楽しくなって前向きになって自分に自信が出てくる。現代の社会では、鬱や精神的な病が多いけれど、そういう人は頭を使わずに体を使うことがすごく大切なんだ。」とピーター。
ピーターの所には、持続可能な暮らしに興味がある人や、都会の雑踏を離れて静かな場所を求める人など、様々な人が訪れる。ピーターはどんな人でも受け入れることができる度量のある人だ。ピーターの家に来て、ピーターの生き方や考えを聞き、人生観が変わる人も多いのではないかと思う。
お茶の時間や、食事を作るときは、薪で火をおこす。マッチがあるので、慣れれば一瞬だ。火の加減は、かまどの中央に置くか、端に置くかによって調整するが、基本的には普段の2倍くらいの時間をかけて、ゆっくり茹でたり焼いたりする。冷蔵庫がないので、じゃがいもやにんじん、たまねぎなど保存のきく野菜や、畑からサラダ用の菜っ葉などを直接とってきて作る。農家の食事がそうであるように、台所や畑にあるものでメニューを考える。本来の自然の暮らしは、メニューを決めてから野菜を買いに行くのではなくて、手元にある野菜からメニューを考えるものなのだ。同じ野菜ばかりが続いても、飽きないような料理法で。毎日じゃがいも料理をみんなで考えながら、旬もなにもなくなってしまった日本の豊かな食生活のことを思う。 ピーター家ではパンやジャム、シロップ、石鹸など、たくさんのものを手作りでつくる。もちろん、電気がないので、小麦粉は手作業で粉にする。1カップを粉にするのに30分程かかるので、ウーファーの間で小麦粉は別名「金の粉」と呼ばれていた。パンなんか作ろうものなら、全員総出で小麦粉挽きだ。
仕事が終った後は自由時間だ。川へ泳ぎに行ったり、散歩をしたり、本を読んだり、昼寝をしたり。ピーターは時々、町のネットカフェに店番のボランティアに行く。その代わりに、パソコンを使わせてもらうのだ。「パソコンを使うから電気がない暮らしなんてできない、と初めに思うのではなく、パソコンも使えて、電気がいらない暮らしをするにはどうしたらいいだろうと考えるんだよ。そこに創意工夫が生まれるんだ。実現のための道を探すんだよ。」 いい話を聞いても『確かに素晴らしいな。でも自分は○○だから、それは無理だな』と、考えることもあるかもしれない。けれど、できない理由は探せば無限とあるものなのだ。どうやったらそれを実現できるか、近づいていくことができるか、というプラス思考と創意工夫こそが大切なのだ。
夕食の後は、ランプをつけてみんなで語り合う。電気のない幸せを感じるのは特にこの瞬間だ。ランプの明かりの下では、なぜかいつもより深い話ができたりするものなのだ。毎晩、いろいろな話をした。肉産業の残酷さについて。フェアトレードの是非について。日本の農業について。化粧水はなぜ必要なのか。ピーターはすばらしい知識と頭脳の持ち主で、議論をしていても、その知識の深さには何度も驚かされた。タスマニアの環境運動も、長く最前線で関わっていたそうだ。そんなピーターに、この生活を始めた理由を聞いてみると、思ってもみない答えが返ってきた。「パートナーと農業をして暮らしたいと思い、土地を買おうと思ったんだ。それで土地代を稼ぐために、手工芸のビジネスを始めた。10年くらいやったかな。その頃には、5つくらいの違うビジネスもはじめていて、週に7日働いているくらい成功していた。けれど、ある時、僕たち夫婦と子ども3人が乗った車が正面衝突の事故にあって、その事故でパートナーと子ども一人を失った。僕自身も体はぼろぼろで何ヶ月も入院し、残った子ども達は大きなトラウマを抱えていた。入院費や子ども達を育てるため、今までの会社を売り、家具や家もすべて売り払った。それからは、いろんな仕事をやったよ。カジノで稼いだりもした。でも、そんな稼ぎ方にも疲れてしまい、今の場所に車一台に家財道具を一切乗せて引っ越してきた。貧乏だったよ。でも家を自分の力で建てて売ったりしながら、子ども達を育て、ここまでやってきたんだ。」今のピーターの強さと包容力とやさしさが培われてきた過程を、ほんの少し垣間見たような気がした。
ある日、ピーターとせっけんシャンプーの話をしていると、「中にはエコ商品を買ってついつい満足している環境活動家もいるけど、せっけんシャンプーを買う、という行為と、自分でせっけんを作って髪に使う、という行為の間には、大きな幅があるんだよ。」とピーターに言われる。確かによく考えてみると、私自身も心のどこかで『私は○○まではできなくても、まあ、せっけんシャンプーは使っているから・・・』と思っていた傲慢さがあったかもしれない。「エコ商品が儲かるとなると、企業はいくらでもエコ商品を開発するだろう。消費を促す仕組みをつくり、魅力的な広報で心をくすぐって、結局は今と同じ大量生産大量消費が続いていく。エコ商品を買うことだけで、満足しているのでだめなんだ。」環境に悪い消費を買うよりはエコ商品を買う方がもちろんいい。けれど、大量消費大量廃棄の流れを止め『本当に必要なものは何か』と立ち止まって考えたり、『足るを知る』ことの方が、もっと大切なのではないだろうか。そして、そういった暮らしにこそ、真の豊かさがあるのではないかと思う。私がピーターの家で感じたもの、それは真の豊かさだった。電気のない夜の豊かさ。手作りの豊かさ。月や星を眺め、自然の風を感じる豊かさ。畑から採れたての野菜を食べる豊かさ。消費のデメリットを理論として理解し「消費は良くないからできるだけしないようがんばろう」という想いと、「自分で創りだす暮らしは、なんて楽しくて豊かなんだろう!」という想いとの差こそ、本当に大きなものだったんだなあ、としみじみと感じた。

なにか始めたいという人に、ピーターのお勧めは、まず家計簿をつけることだ。「食費、外食、ガソリン、交通費、衣類、娯楽など、いろいろな項目を設け、毎月その合計をじっくりと見つめるんだ。これは本当に自分にとって必要なのか?これを削減できないかな?これを自分で作れないかな?この需要は減らせないかな?…と。そして、すぐ大きなことを達成しようとせず、まずは自分のできる小さな目標をたくさんつくるって、そしてたくさんの変化を達成するんだ。月に1日、電気を使わない日を作ってみるとか、そんなことでもいいよね。」

ピーターとの別れが寂しくなり、思わず「いつか日本に来ることがある?」と聞くと「そうだなあ、僕が日本に行くとしたら、ヨットかなあ。」と笑っていた。きっともう会うことはないかもしれないが、ピーターからもらったたくさんの宝物を私も日本で育てていこう、と思う。

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