連載 「持続可能な暮らし方 in オーストラリア」
<目次>
〜今も家を建てるパワフルな74歳〜 ピーター・ベレッツ(ブンダジェン)

「海のすぐそばの美しいコミュニティだよ」と何人かに勧められ、ニューサウスウェールズ州コフスハーバー近くのブンダジェン・コミュニティへと電車で向かう。ブンダジェンは1981年から始まったコミュニティで、現在は8つのクラスターに分かれており、総勢約150人が暮らしている。到着してみると、とにかく広い。ビレッジの入り口から一番奥のコミュニティまで徒歩で30分はかかる。設立当初は約180ヘクタールの広さだったが周辺の土地を買い足し、今ではおおよそ360ヘクタールほどあるという。敷地の東側に位置する美しい草原と木のトンネルを抜けると、真っ青な海と白浜があたり一面に広がる。海が好きな人には、たまらない場所だろう。
私達がお世話になったのは、ピーターとバーバラ夫妻。ハンガリー出身のピーターと南アフリカ出身のバーバラは、オーストラリアに暮らして既に30年になるが、ここにたどりつくまでには長い道のりがあった。ピーターは1956年のハンガリー革命で南アフリカに亡命。建物の設計士として働いていたところ、バーバラと出会う。

「バーバラはその頃、モデルもしていて、とても美しい女性だったんだ。アパルトヘイト(人種隔離政策)の中、付き合うのは大変だったよ。白人と非白人は、道もレストランもビーチでさえも一緒にいることはできないような状況だからね。事務所や友達の家で隠れて会っていたんだ。ある時、私達が会っているのを隣の建物から見られて警察を呼ばれた。バーバラはクローゼットに隠れたんだけど、彼女の咳が止まらなくなってしまった。慌てて僕も大きな声で咳をして警察をごまかしたよ。あの時はハラハラしたなあ(笑)」。 バーバラのパスポートを苦労して手に入れた二人は、1970年にオーストラリアに渡り、めでたく結婚する。そしてかねてより自然の中で暮らしたいと思っていたピーターは1983年にブンダジェンを見つけ、都市から移住した。「異常な速さで走りつづけるねずみ競争のような社会に嫌気がさしたんだ。この電車を止めろ、俺は降りるぞ!っていう気持ちだったね」。
二人とも、現在は年金で生活している。バーバラは鶏の世話をしながら、すっかり老後暮らしを満喫しているが、ピーターは作業小屋の建てなおしや、堆肥作り、10年前から建築中の家や、パーマカルチャー−デザインの庭と果樹園の手入れなど、毎日忙しそうだ。コミュニティで上から2番目の年配者とはいえ、その体力と力は若者顔負けである。ピーターにそのエネルギーの源を聞くと、「唐辛子かなあ(笑)。でも、これでも去年大病したから大分体力が落ちた方なんだけどね」と笑う。唐辛子・・・。確かに、ピーターの朝は大好きな生の唐辛子を丸ごとバリバリかじることからはじまるのだが、さすがにそれは真似できなかった。

さて、ピーター家での滞在だが、ウーファー用のキャラバン(キャンピングカーのような車輪付きの寝泊りができる部屋)が壊れかけているとのことで、持参したテントで寝泊りした。毎日、屋根の張り替えや堆肥運びの手伝いをする。家はまだ建築中なので、お風呂は外で水シャワーだ。夏とはいえ朝入るのは少し肌寒く、夜は外に電気がないので昼間の明るく暖かい時にシャワーを浴びる。水は近くのダム(池)からポンプで引き上げているので、少々臭いはあるが、外でのシャワーはなかなか気持ちがいい。トイレはコンポストトイレで、使うたびに木屑を足す。小さな車輪がついた可動式ゴミ箱を受け皿に使い、満タンになったら取り替えて、糞尿は堆肥にする。ネットが壁代わりになっているので、景色も良く見え、風はヒューヒューと通り抜けるので臭いもなく、いたって爽快。今までのコンポストより、かなり気持ちがいい。なにより水洗トイレのように「また3〜6リットルも流してしまった…」と一日に何度も思わずにすむから、気持ちも安らぐ心晴れ晴れトイレだ。
ピーターとバーバラは2人暮らしだが、コミュニティに住んでいるからか寂しいということはなさそうだった。作業中や食事中も、様々な人が二人を訪れる。バーバラが飼っている鶏の卵を買いに来たり、隣の人が宇宙人についての議論を吹っ掛けに立ち寄ったり(これがなかなか長いのだ…)、隣人を駅まで迎えにいったり、誕生日パーティーがあったり、「これ、まとめ買いしてきたよ」と立ち寄る人がいたり。また、週に一度は住人によるコミュニティカフェが開かれる。希望者が持ち回りで料理やデザートを作って販売。コミュニティ内で野菜や果樹を作っている人が売りに来たり、フリーマーケットのように古着を販売する親子がいたり、コープでは自然な石鹸やホールフードの穀物が店頭に並び、大勢の人で賑わっている。コミュニティの外からも人がやってくるようだ。 それ以外にも、コミュニティとしての計画的なイベントもあれば、思いついた人から始まる自然な集まりもある。大晦日の夜には誰彼ともなく砂浜に集まり、焚き火が始まった。私達にとっても、波の音とギターの心地よい音色にのって迎えた想い出にのこる新年となった。

〜ブンダジェン設立の経緯〜 ブンダジェンの設立の経緯は、なかなか興味深い。もとは、自然豊かなこの土地を開発から守るために人々が集まり、政府と交渉したり、ロビーイングをしたり、他のコミュニティから協力を受けたりしながら、出資金を集めた。この作業に5年かかったという。コミュニティの開始当初は、土地にあった農家の建物を拠点として50〜60人が集まってテントで寝泊りし、これからどのようなコミュニティを作っていくのか毎夜熱く話し合ったそうだ。 現在、法的には非営利の地方協同組合という形式をとっており、その土地はコミュニティに属し、個人の持ち物ではない。家だけが個人の所有物なのだ。なので、どこからが誰の敷地だという明確な線はない。もちろん家庭菜園や庭や建物があるから、ここは○○さんの場所だなあ、というのは見てわかる。けれど正式な決まりはないのだ。後から来た人は空いている場所を探し、クラスターのメンバーに相談して家を建てたり、生活していく中で家庭菜園や果樹園が広がれば、だんだん自分が管理するようになったりする。本来は大地に国境も所有地もないが、すっかり人間の作った近代のやり方に慣れている私にとって、個人の所有地が明確化されていないというのは不思議な感覚だった。その地域に住む人々が納得し、個人が必要な(または管理できるサイズの)土地を使えれば、それがなによりかもしれない。
〜ブンダジェンのメンバー制度と費用〜 現在、ブンダジェンには大人が約80〜100名、子どもが50名ほど住んでいる。住人はビジター(一時的な住人やメンバー認定待ちの人)とメンバー(協同組合の正式な出資者)という2つの立場に別れている。ビジターは週に22ドルを支払い、空いている土地や貸家が見つかれば、住むことができる。もちろん、家のオーナーやそのビレッジの人達に受け入れられるのが先決だ。メンバーになるには6ヶ月間コミュニティにビジターとして住んでみて、インタビューを2回受け、ミーティングによって採決される必要がある。コミュニティに住む成人メンバーは、出資者として一人約 10,000ドル(およそ100万円。3,000ドルのシェア+7,000ドルの参加費)を払う。コミュニティを出るとき、シェアの3,000ドルは戻ってくる。参加費は、CPI(消費者物価指数)*に沿って毎年改定される。メンバー資格は持ちながら、コミュニティに住んでいない人も多いそうだ。 メンバーは、出資金の他に、週に20ドルをコミュニティに共益費として支払っている。共益費は年間で120,000〜130,000ドル(約1,200〜1,300万円)になる。これは共有のトラクターの管理費や、道路、イベントなどのコミュニティ内での共同支出に当てられるほか、アムネスティ(人権保護団体)や地元のアボリジニー支援など複数の団体への寄付となる。


〜ブンダジェンの組織運営方法/意思決定方式〜 どのようにコミュニティとして運営しているのかという点だが、まず15名のコーディネーターを、毎年ミーティングで話し合いの上選抜する。書記、会計、土地管理、自然環境、水、防火、建築許可など、コーディネーターにはそれぞれ担当があり、全体会議での決定を受けて日常の業務を行う。ジェネラルミーティング(総会)は年4回、コミュニティミーティング(定例会)は2週間に1度開催される。ブンダジェンは8つのビレッジに分かれているが、ビレッジミーティングを行っているところもある。「前は、毎週コミュニティミーティングがあったんだ。そのもっと昔は、毎日あったけどね。ミーティングだらけだよ」とピーター。他のコミュニティの話を聞いていてもそうだが、時間が経つにつれミーティングの数は減っていくのが一般的だ。ルールが決まり、お互いの共通認識が構築されていくと、自然とミーティングの回数は減っていくものなのだろう。 コミュニティのルールの作成や提案は、事前に集められてニュースレターに記載される。その提案に対して意見を述べたい人は、ジェネラルミーティングへ出席することが条件となり、3分の2の賛同があれば決定される。「私達は、直接民主主義を大切にしている。だから不在者投票はしない。決議に関わりたい人は、ミーティングに出席する必要がある。顔と顔を合わせて意見を交換し、物事を決めるのが平等な社会の基本だと思っているからね。結構ハードな話し合いになることもあるよ」。 ブンダジェンでも、意見の相違や問題は絶えないという。何年も共有費を払わない人、人間関係で常に問題を起こす人、牛や馬の飼育の是非、コミュニティの森林保全登録の是非など、まだまだ解決できていない課題は多い。「ブンダジェンは設立の際、期日までに出資金を集めるという切迫した事情があったため、3つの柱『@環境に対する責任、Aソーシャルハーモニー、B経済自立』を理解し、出資してくれる人なら、誰でもメンバーになることができた。だからコミュニティを尊重する人だけでなく、単に住居費が安いという理由の人もいる。また、3つの柱の意味も詳細に決めていなかったので、今でもその受け取り方には大きな個人差があるんだ」とピーター。
コミュニティは完全な理想郷(ユートピア)ではない。人間味あふれる生活と暮らしの場であるからこそ、すばらしいことも、いさかいや意見の相違もある。それが当たり前だと思う。そういった課題をコミュニティとして個人としてどのように対応し、どう乗り越えていくのか、そこが面白いところなのではないだろうか。いろいろと課題はあるにしろ、ピーターは言う。「それでも、コミュニティの外のヒエラルキ−(人と自然から搾取する階層社会)よりは、どんなに意思決定が大変でも、ここの直接民主主義の方がはるかに平等な社会であると思う。権力によるハラスメント(嫌がらせ)もないしね。それに僕はこの美しい砂浜と自然が好きだから」。ピーターの言葉を聞きながら、以前エコビレッジ会議で聞いた言葉が思い出された。『エコビレッジは、未来へ旅立つ社会のための調査と開発研究所である』。本当の民主主義、そしてこれからの社会のあり方にブンダジェンの人々は正面から向き合っていた。その姿勢から、たくさんの学びをもらった。

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