コーヒーブレーク「辞書をめぐる点と線」 (06.7.25)


4年ほど前に英英辞典を話題にしたとき、そのルーツが1942年に日本で編纂出版された「新英英大辞典」にあること、しかもそれが出版当時のままいまだに版を重ねていることに触れました。

つい先日、新宿の紀伊国屋に立ち寄ったときに、いまでも「新英英大辞典」は販売されているのかしら、と気になって辞書コーナーを眺めたら、見当たりませんでした。品切れでしょうか、絶版になったのでしょうか。帰宅してから開拓社のホームページでチェックしたら、まだ現役のようですが。

驚いたのは、その辞典コーナーに斎藤秀三郎の『熟語本位 英和中辞典』(初版1915年、増補版初版1936年 岩波書店)が並んでいたことでした。てっきりもう絶版になっていたものと思っていました。私が高校時代に使ったのが、ほかでもない、このサイトウ中辞典。今では若い人でこの辞典を知る人はほとんどいないことでしょう。私の頃でさえ、あまり知られていませんでした。それほど売れているはずのないこの名著を、おそらくはその文学的価値を認めるからでしょう、今でも版を絶やさないでいる出版人に敬意を表したいと思います。

私が高校時代に使ったと言っても、それは、この辞典が受験勉強に適していたからでは全くありません。むしろ逆で、受験英語向きではありませんでした。ただ、英語をしっかり勉強しようとする学生には、この辞典を勧める英語学者がまだいた時代でした。受験のための英語勉強なんて意味がない、けれど、大学入試があろうがなかろうが、英語そのものはちゃんと勉強しておかないといけない、というのが当時の私の方針でした。べつに、英語を専門にする気など毛頭なく、ただ、欧米の、ということは世界の、学術文化に関与するにはその共通語として英語が、かつてのラテン語のように必須だと、漠然想像していたからでした。

このサイトウ中辞典は、タイトルに「斎藤秀三郎著」とあるように、サイトウが1人で書き上げた著作です。世のほとんどの辞典は、編者が執筆者の原稿をまとめることで成立しているのにたいして、この辞典は著者個人の個性が強く出ていること、そして、それが文学作品のように読者に語りかけてくる雰囲気を持っていることが特徴です。これが、この辞典が引く辞書ではなく、「読む辞書」と呼ばれる所以でしょう。

さらに、文例の英文につけられた訳文が、粋な日本語であることに感心します。今にして思うと、これは英文の訳というよりは、日本語をいかに英語で表現するか、つまり和文英訳のようなアプローチをとっているためと理解します。いくつか例をあげると、

A pretext for war is never wanting.  戦争をしようと思へば口実は何かあるものだ。(482ページ)
Persuation is better than force  穏和手段は強硬手段に勝る。(484)
If the counsel be good, it matters not who gave it.  人を以て言を排せず。(535)
などは格言のように学習者をして考えさせるもので、単に外国語の学習ではなくて自国語を磨くことにもなるでしょう。
The Anglo-Japanese Alliance makes for the peace of the Far East.  
日英同盟は極東の平和を維持するに与って力あり。(831)
これなどは、執筆当時の世界情勢が反映しているものか。
As the cherry is chief of flowers, so is the samurai chief of men. 
花は桜木人は武士。(63)
これはもはや、堅苦しい辞典というよりは、教室で講義を聞いているような空気を醸し出します。さらに、
Gather roses while you may.  若い時は二度無い(から遊べ)(854)
とさりげなく挿入している例文は、Robert Louis Stevenson の詩、Gather Ye Roses からの引用でしょうか。 
Gather ye roses while ye may,
Old time is still a-flying;
A world where beauty fleets away
Is no world for denying.
Come lads and lasses, fall to play
Lose no more time in sighing

The very flowers you pluck to-day
To-morrow will be dying;
And all the flowers are crying,
And all the leaves have tongues to say,-
Gather ye roses while ye may. 
当時は、面白い日本語訳だなあと楽しんでいたものですが、今にして思うと、これほどに日本語に重心を置いた「英語辞典」を著したのは、日本語で表現するのと同様に英語を使えるように、ということが著者が掲げた理想ではなかったか。明治大正の時代において、英語学習の動機づけや目的は、戦後の今のそれとは全く違うことをまず知らねばなりません。

さて、私が高校生のときには、この辞典のこと、そして著者の斎藤秀三郎について、ほとんど知りえることはありませんでした。今では、インターネットで、これまで知らなかったこと、疑問だったことが、分かるようになりました。斎藤秀三郎については、以下に概要があります。

『辞書家としての斎藤秀三郎』http://jiten.cside3.jp/efl_dictionaries/efl_dictionaries_top.htm
音楽家の斎藤秀雄が彼の次男であることを知らないでいました。その斎藤秀雄の教え子のひとり、小沢征爾が振るサイトウキネンオーケストラは、ヨーロッパ音楽であってもどこか懐かしい響きを奏でます。

ついでながら、先日優れた翻訳として取り上げた岩波文庫の『福音書』の訳者、塚本虎二は、これまた斎藤秀三郎の娘婿とのこと。  

私のサイトウ中辞典は買ってから40年も経って、手あかですっかり汚れていますが、それでも捨てずにとってあります。それというのも、今まで、知らなかったこと、疑問だったこと、そして知っていたことのバラバラの点どうしが、あるとき意外な線で繋がっていく、それを発見することが、年を重ねるにしたがって知的楽しみにもなるからですが、それよりなにより、残っている点たちを線で繋ぎ止めておかないと、記憶からこぼれていってしまいます。

ところで、冒頭述べたように、元祖英英辞典たる「新英英大辞典」ことIdiomatic and Syntactic English Dictionary も1942年の初版のまま、版を重ねています。これは「初学者用」と紹介されることが多いようですが、とんでもない、サイトウ中辞典と同じように、上級指向者向けの「読む」辞典です。サイトウ中辞典のタイトル「熟語本位」にサイトウ自身による造語Idiomological を当てていますが、これが Idiomatic and Syntactic に受け継がれたのではないか、とは勝手な私の想像。

サイトウ中辞典みたいな奇抜な例文こそありませんが、「新英英大辞典」には、たとえば dog にこんな説明があります。a common domestic animal, a friend of men. 「人間の友だち」とは、なんともお茶目。また、scarecrow について a figure used to scare birds away from crops. と説明しているのに、その挿し絵の案山子の肩にカラスがとまっているのが、これまたご愛嬌。

残念なことに、この辞典から生まれたはずの「オックスフォード現代英英辞典」(Oxford Advanced Learner's Dictionaly of Current English)が版を重ねるごとに、やたら語彙とページ数を増やすことに走ったために、初版の個性が失われて、現在の第7版は使いにくいものとなったと嘆くのは、私だけではないはず。



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