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 (2012/5/30) 
記者会見の質疑応答が面白い 〜国会事故調の「公開」の意味〜

28日の国会事故調第16回委員会は参考人が菅元総理とあって、報道関係者席も一般傍聴者席も満杯で、いつにない物々しさがありました。一般傍聴の席に、報道関係者の赤いリボンをつけている者までいる。係員が、「ここは一般傍聴の席です。記者の方はパーティションのあちら側へお願いします」と注意するが、ふてぶてしい態度ですぐには立ち上がろうとしない。菅総理だからといって、坐る席に事欠くほど記者が押し掛ける意味が分からない。だいいち、ライブ中継されるのを見ればいいのだし、あの場に参加する意味が記者にあるとすれば、それは、写真撮影できることと公開委員会の後の記者会見に参加できることだけです。でも、記者会見に残る記者は、ビデオで見ても少ない。

その記者会見の質疑応答で、記者クラブ批判の急先鋒の上杉隆氏が、「席とり組」について暴露コメントをしていました。

20120528 国会事故調 第16回委員会後の記者会見 (菅直人聴取後) youtube
そういうわけだったのか。
22:08〜
上杉:「かつてジャーナリスト」の上杉です。
ちょっと、質問の前に要望なんですが、今日の委員会が始まる前に、
―ぜひ、委員会のほうでで調査していただきたいのは―
読売新聞のハッカクさんという記者が7名、同性同名が入って
席を、前方の席7つを取っておりました、名刺があって。
先ほど質問された日経のイイヅカさんも、
すくなくても同姓同名が4名くらいいらっしゃったんですが、
こんなに同姓同名の方を入れて、同じ名刺で席を取ることが許されているのかどうか、
ぜひ、委員会で調査をお願いしたいと思います。(賛同する記者仲間の笑顔)
司会:ありがとうございます。貴重なご意見で。
上杉:質問です。質問は、ですね・・・
黒川:(割り込んで、司会者に)ちょっと、やっといてよね。どうしてそんなことが起るんですかね? 
上杉:7人くらいちょっといるんで。確率からいうと、あまりないかとおもうんで、ちょっとぜひ調査を。

(上杉隆の質問は直接動画で。またその質問の背景と答えから読み解くことについては以下
 『<速報!>上杉隆、「福島原発国会事故調」現場レポート』NO BORDER 2012年5月29日 16:30 で)
かつては、委員会後の記者会見はつまらない質問が目立ったものですが、このところ、この質疑応答も同時通訳され、議事録としてテキストは残されないが、ビデオは公開されていることの意味を汲んで、質問の内容を考える記者が出てきています。

たとえば、この上杉氏の後に質問しているアエラの大鹿靖明記者は、国会事故調の事故検証に期待している人なら誰もが感じているであろう懸念をストレートに問うていました。

23:47〜
大鹿:朝日新聞の大鹿といいますが、
6月にも報告書をまとめられる、ということなんですが、
この5回くらい、ヒアリングを傍聴してますけれども、ですね、ずっと見ていて、
すでに知られていることの事実の、ですね、確認のような質問が多くて、ですね、
過去の、その、政府事故調の中間報告や、様々なレポートの、ですね、内容を
まあちょっと上回るような、ですね、新しい事実の発掘とか、
その詳細をあきらかにするような、ですね、内容に
ちょっとなってないんじゃないかな、と思うんです。
 で、枝野さんや、海江田さんや菅さんに対する質問も
ま、ヘリコプターでの視察とか、撤退問題であるとか、ですね、海水注水問題とか、
もうさんざん言われ続けてきたことをまた重ねて質問するようなことが多くて、ですね、
この間あきらかになっていない、その、東電本店における意思形成プロセスの過程とか、ですね、
官邸をサポートするはずの保安院とか、原子力安全委員会、経産省の、ですね、
初動時のプロセスはどうだったのか、というのが、ぜんぜん分からない。
 ということと、6月に報告書をまとめても、ですね、
すでに先行する様々なレポートの「追っかけ」というか、ですね、
そういうものになってしまうんじゃないか、
そういう危惧を感じるんですが、いかがでしょうか?

黒川:ま、大鹿さんのあの本(『メルトダウン』のこと)も見ていますけども、
私どもはもちろん議論はしているんですけどね。そうすると、
たとえば政治家とかいろんなヒアリングをして、それに基づいて書いているのが多いですよね。
政府の事故調もそうですし、いわゆる「民間」という、船橋さんのもそうですが、
それはじゃあ「そういう証拠があるんですか?」ということを、
私たちは繰り返しているということは、
ここで言っていただいたということが
皆さんからみて、あれはほんとなのか違うのか、
という話を判断していただける材料になるんではないかと思います。
 ま、私個人としては大鹿さんの本なんかは、いろんな人のヒアリングだから
もちろんたいへん信用していますけど、
ま、そういうところ(証拠による裏付け)が私も非常にファジーなところがあるので、
委員の人たちも、ですね、
いろんな調査をしたところが、どこまでが「エビデンス」としてあるのか、
ということを、かなり気にしているので、そういう視点でやっていることも
ひとつの私たちの考え方の一部にある、
ということでありますので、ご批判はじゅうぶんに受けます。
そのとおりだと思います。
質問が正鵠を射ていたようで、黒川委員長めずらしく、いつも繰り返す「検証のプロセス」のひとつを具体的に述べています。

ところで、黒川委員長の話はセンテンスになっていないことが多く、いっぽう大鹿記者はしゃべるときに「ですね」の挿入があまりに多くて、せっかくまとまっている内容なのに、印象が薄まってしまい、損をしているように感じます。こうしてトランスクリプトして文字に、ですね、起こしてみると、自分でも、ですね、気づかないクセ、というか、まあ欠点、ですね、それが目に見えるように、ですね、なるので、これは、記者ばかりではなくて、ですね、サラリーマンもタレント業の人も、ですね、いちど、自分のしゃべりをそのまま文字に、ですね、起こしてみると、いいと思いますよ。これはいわば自分の顔を、ですね、鏡で見るようなものではないかと、まあそんなふうに、ですね、思うんですよ。



 (2012/5/28) 
あきれたハーレー・ジャパンのプレス発表 〜カナダに流れ着いたハーレーその5〜

きのうの27日と今日28日の連日、国会事故調の公開委員会を傍聴しておりました。その傍聴記をまとめ始めたとき、ツナミ・ハーレーがやっとハーレー・ミュージアムに行くことになった、とのCBC Newsの記事を見つけました。5月25日の日付になっています。

Tsunami motorcycle heading to Harley museum
CBC News  Posted: May 25, 2012 8:21 AM PT
結末としては、わたしがはじめに予想していたところに落ち着いたことになります。

CBCの記事は、これがハーレー本社の発表したものであることを伝えるとともに、その発見の第一報からずっとこのツナミ・バイクをフォローしてきた報道機関として、これまでの経緯も簡潔に紹介しております。そこに、オーナーのヨコヤマ氏の声明まで引用がありましたので、さっそくハーレーUSA のサイトで全文を探しました。そこに見つかったプレスレリースもやはり5月25日付けでした。

Tsunami Motorcycle to be Preserved by H-D Museum
Harley-Davidson USA May 25, 2012
このH-D NEWS の一覧には、ツナミ・ハーレーについての公式発表はこれだけです。ですので、CBC Newsの記事や、このCBX "News" を読んでいない人は、この発表文の中で紹介されている内容で、漂着してからこのハーレーのたどった経緯を知ることになります。その意味からすると、ちょっと違和感を覚える記述があります。

まず、このハーレーのオーナーを探し出したことについて、

Working with news agencies and representatives from Deeley 
Harley-Davidson Canada and Harley-Davidson Japan, contact 
was made with 29-year-old Yokoyama

報道機関とディーリーH-D Canada の社員とハーレージャパン
の協力により、(オーナーの)ヨコヤマ氏に連絡がとれた。
そもそもオーナーが特定できるようにとCBC News がナンバープレートとVINの写真を公開した経緯は、前回紹介したとおりで、さらにカナダの日本領事館も日本に問い合わせていたはずですので、オーナーが特定されるのは時間の問題でしかありませんでした。それなのに、唐突に名前が出てきたディーリーH-D Canadaって、どう関与していたのか、その記述はありません。

そのいっぽうで、このハーレーを砂から掘り出して回収し、1600キロも運び、レストアしてあげようと動いたカナダ人たちについてはそっけない記述になっています。内陸部に住むアメリカ人と、太平洋沿岸に住むカナダ人との間の、漂流物についての温度差でしょうか。

The motorcycle was recovered by Mark with the help of friends 
and transported to Victoria with support from Ralph Tieleman and 
Steve Drane of Steve Drane Harley-Davidson.
しかし、ここで引用されているヨコヤマ氏の声明の内容は立派なもので、これは日本語からの翻訳のはずなので、こんどはハーレー・ジャパンのHPでニュースレリースを探しました。

その声明は、本社の発表と同じ5月25日付けでpdfで提供されています。

「津波被害でカナダ沿岸に漂着したハーレーダビッドソンについて」
ハーレーダビッドソンジャパン株式会社 2012年5月25日 
ところが、このツナミ・ハーレーのオーナーの国の販売店でありながら、このプレスレリースはアメリカ本社のプレスレリースの抄訳みたいな内容になっているのが気になります。しかも、発見から今日までの経緯の説明もなく、ただ、
今後、当該車両はカナダのブリティッシュコロンビア州ビクトリア
にある販売店スティーヴドレイン・ハーレーダビッドソンへ移送され、
その後、ハーレーダビッドソンミュージアムへ移送される予定です。
とあるだけです。これでは、なんにも知らない人は、今でもハーレーが海岸に打ち上げられたままになっていて、これから回収されると思ってしまいます。また、このCBX "News" でこれまでの経緯をご存知の方なら、あれれ?すでにハーレーは「スティーヴドレイン・ハーレーダビッドソン」で保管されているんじゃなかったの?と思ったはず。じつは、ハーレー本社の上記引用文は、こう続いているのです。
It has since been transferred to Deeley H-D Canada in Vancouver. 
Plans for its transportation to and display at the Harley-Davidson 
 Museum are being developed.
 
(スティーヴドレインH-Dから)ツナミ・ハーレーはバンクーバーの
ディーリー・ハーレーダビッドソンカナダへ転送されており、そこから
ハーレー・ミュージアムまで搬送、そして展示される計画である。
どうやら、ツナミ・ハーレーについてあまり知らないハーレー・ジャパンの社員が、誤訳までして発表してしまったもののようです。日本のハーレーコミュニティでは、カナダと違って、このツナミ・ハーレーがあまり話題になっていなかったのかな。

ハーレー・ジャパンのニュースレリースにはあきれるばかりですが、そこにあるヨコヤマ氏の声明文は、だれかが手を入れてあげてるかも知れないが、その英訳から想像できたとおりの、立派なものでした。



 (2012/5/24) 
「一台のハーレーが私の人生を変えた」 〜カナダに流れ着いたハーレーその4〜

私の名はピーター・マーク、32歳、ブリティッシュ・コロンビアのマセット在住。
2011年3月11日私は、世界中のほかの何百万もの人と同じように、日本の東北地方
を襲った地震と津波を、驚愕と恐怖にかられて見ていた。車が、船が、建物が、
そして町がまるごと海に飲み込まれていったあの映像は、私たちの記憶から永久に
消えることはない。

My name is Peter Mark. I am 32 years old and reside in Masset, B.C. On 
March 11, 2011 I, along with millions of others around the world watched 
in awe and horror as the Tohoku earthquake and tsunami ravaged northeastern 
Japan. Those images of vehicles, boats, buildings and even entire towns 
being swallowed up by sea will stick with all of us forever. 
こんな書き出しでその記事は始まっていました。これはCBC NEWS のWebサイトの「コミュニティ」コーナーに、その取材チームがアップしたもの。ツナミ・ハーレーを発見したピーター・マーク氏の手記。
Your take: A Harley Davidson lost in the tsunami changed my life
Posted: May 18, 2012 3:38 PM by Community Team CBC NEWS
『あなたの意見は?― 津波にさらわれた一台のハーレーが私の人生を変えた』
前回「カナダに流れ着いたハーレーその3」を書いたのは5月13日。そのときは、5月7日付けのCBC News の記事に依拠していました。あれから、なにか進展があったかしら、これまでの情報の掘り下げがあるかな、と探していたら、やはりCBCがその後もフォローしておりました。

この5月18日にアップされたコンテンツは、ニュースでも、記録でもなく、マーク氏のコラム、手記という体裁をとって、ツナミ・バイクの発見からそれがいかに報道され、反響が広がり、オーナーにたどり着いたか、また、そのさびだらけのNight Trainを回収して、甦らせ、オーナーに送り返そうと動いた人たち、さらに、高額な修理費を負担してもらってまであのハーレーを引き取ることはできない、というオーナーの気持ちを尊重した心配り、など、このツナミ・モーターサイクルがカナダ人にとって、そして日本人にとって、どんな意味を持つのか ― そんなことを問いかけるメッセージになっています。

いまではコンテナが流されてしまったので、最初に発見した時の驚きと恐れを追体験するにはちょっと想像力が必要かも知れません。

このバイクと他のもの(ゴルフクラブなど)がコンテナに入ったままどうやって
太平洋を渡りきったのか、私にはミステリーだ。バイクはロープで固定されて
いたわけではないし、コンテナのドアははぎ取られていた。中に足を踏み入れると
不気味な感じがした。まるで他人の住居に不法侵入しているような気がした。
その後、コンテナが流されてハーレーだけ砂に埋もれて残っていたことに言及がないが、彼がコンテナから運び出したわけではないように読み取れます。
ATVバギーで一人で来たので、300キロもあるバイクをコンテナから高い場所へ
動かすことはとうてい無理だった。
すると、4月30日に再度現場に来た時、コンテナが再び波にさらわれて、バイクだけがうまいぐあいに放り出されて砂中に残っていたことが、これまたミステリーだ。もしもコンテナが消えてからマーク氏が初めてこのハーレーを発見したのだったら、いったいこのバイクはどうやって海を渡ったのか、大議論になっていたことでしょう。

マーク氏がコンテナを発見したのが4月18日。けれどCBC が記事にしたのは4月29日。このタイムラグはなんなんだろう、とずっと疑問がありました。今回の記事に、そのいきさつが述べられています。それによると、バイクを発見したことを友人に伝えたり、またどこか報告すべきところをインターネットで探して、漂流物情報を受け付けていたNOAAにメールするなどしていたら、CBCが4月24日に接触してきた。けれど、すぐに記事は報道されなかった。

私はCBCに注文をつけた。私がバイクのVINとナンバープレートの写真を提供する
から、このバイクがどこから来たのかを突き止めてから、記事をアップすること。
ほどなくしてCBCから電話が来た。 
こうして4月29日にCBCがこれを世界に伝えた。すると
すぐにバンクーバー島のRalph Tieleman が連絡してきた。それまで会ったことも
ない人だ。かれは、私にあのバイクを回収できないか、と言ってきた。
わたしはてっきりハーレー本社からハーレーディーラーのSteve Drane Harley-Davidsonに依頼があって、Steve Draneが友人のRalph Tielemanに搬送を持ちかけたものと想像していましたが、事実はその逆でした。 ニュースは日本でも報道され、すぐにオーナーが無事であったことがまたニュースになりました。
CBCの人間が、NHKがイクオにインタビューしたビデオを教えてくれた。彼は私が
撮ったバイクの写真を見ながら、バイクが見つかって、戻って来ることを喜んで
いた。「奇跡です!」と、私に感謝していた。
ところが、ハーレーが無償でバイクを修理する計画をヨコヤマに相談すると、
失ったバイクとの再会を望んではいたが、イクオはその申し出を断った。彼の言う
には、今はバイクを所有する経済的な余裕がない上、仮設住宅ではその置き場も
ない。彼の考えは、他の多くの人たちが不自由しているのに、自分だけバイクを
そんな高額な費用で修理してもらうのはフェアではない。イクオが自分個人の希望
と要求よりも、他の人たち、コミュニティの必要とするもののほうを優先させて
いるのはなんと立派なことだろう。

Despite the desire to be reunited with his lost bike Ikuo declined the offer. 
He said that he was not financially capable of owning the bike nor did he 
have room to store it in his temporary shelter. He thought it wasn't fair 
to spend so much on his bike when so many others had nothing. It is very 
honorable that Ikuo has put the needs of others and the needs of his community 
above his own hopes and desires. 
一台のモーターサイクルを通じて、見ず知らずの人たちが繋がり、かかわった人たちの人生を変え、さらにこれから流れて来る漂着物を大切に扱おうというメッセージが多くの人たちに伝わりました。
私だって環太平洋火山帯上の海辺の町に住む人間だ。いつか、私のATMバギーかボート
が、日本の海岸に流れ着くやも知れない。もしもそんなことになったとしても、私の
持ち物は同じように大切に扱ってもらえるだろう、と思う。

I myself live in a coastal town on the ring of fire. One day my ATV or boat 
may wash up on the shore of Japan. If that ever were to happen I know I'd hope 
that my belongings would be treated with respect as well. 


 (2012/5/17) 
ふたたび 試されるニッポンメディア 〜第13回国会事故調 傍聴記〜

昨日ふたたび国会に出向き、国会事故調の第13回委員会を傍聴してきました。参考人は経産前事務次官の松永和夫氏。じつはこの委員会開催に気づくのが遅れて、申し込んだのは受付締め切り期限の14日でした。先着順なので、締め切り日前でも定員に達したら受付終了のメッセージが出されるのですが、その表示がなかったので、この参考人はあまり「人気」がないのかな、と意外な気がしました、一緒に傍聴を受け付けていた17日(今日これから)の海江田万里氏招致よりも、わたしには実際に事故後の対応を担った経産省のトップとして、はるかに関心が高かったのです。

傍聴が受け付けられたので、はて、どのくらいの傍聴者が来るものかと思ったら、傍聴席は空席が目立ちます。(今回の会場は、前方からのカメラ映像が傍聴席を映しています)私の受付番号は40番より若かったので、一般傍聴の枠は40ほどだったのかも知れません。ということは、あの空席は報道関係者に割り振られていた? 前回の勝俣東電会長のときに比べたら、報道関係者の少なさに驚きます。メディアは経産省のトップがなにをしたのか、なにをしなかったのか、関心が薄いようです。

今回もまた、野村委員の追及が冴え渡っていました。例によって、法廷劇のようなドラマ性がありますが、わたしは同時に『刑事コロンボ』を連想してしまいます。あのテレビドラマは、いつもエリート階層に属する知能犯による「完全犯罪」を暴く、というものでした。完全犯罪とは、つまり、証拠がない、という犯罪。それをコロンボが、だれあろう犯人の口から「証拠」を引き出してしまう、というのが醍醐味。官僚とは、つねに自分の失敗の証拠を残さない、認めない、ことが、完全犯罪と似ています。メディアは単純に直接的証拠を期待するのかも知れないが、野村コロンボは、参考人が「知らない」と言ったことさえ手がかりにします。これは実際のビデオでお楽しみください。

国会事故調 第13回委員会 2012/5/16new
昨日は、いつもは口を挟むことの少ない黒川委員長が珍しく、質疑の最後に、事務次官の責任について長めの意見を述べていました。これは、日本人、および世界の人に向けて言っているんだ、と気づかなければいけませんね。
<黒川>
あなたは経産省のすべての若い人にとってあこがれのトップだったわけじゃないですか、
キャリアを見てたって。
そういう(トップの)人たちがこういう時に、(今この場で)どういうことを言われても、
実際の活動を見ているのは周りの人たちですからね。
その人たちが、「ああなりたいんだ」ということになったんですか、それじゃ?
いまのようなことであれば。
それですばらしいインスピレーションをもって
「これこそリーダーだ」「ああなりたいんだ」ということを見せないかぎり
人材の(育てる)やりかたとかいっているけど、それじゃいい人材が育ってこないと
私は思っているんですよね。
そういう意味では、
まあ無事な(平時の)ときには適材適所ということでなくてもいいのかもしれないけれど、
そういうところ(緊急時の無能さ)がみんな今世界に分かってしまった、というのが
こんどの大事件の、日本に与えたいちばん大きなインパクトのひとつだったんじゃないか。
一般傍聴は委員会のみなので、その後の委員長コメントおよび記者会見は帰宅してから録画で見ました。やはり会見まで残ったメディア関係者は少なく、とくに記者クラブメディアが少なかった。でも今回は質問(および意見)はまともなものが多かった。ひとつ、異彩を放っていたのが、毎日新聞記者との質疑応答。
黒川委員長が発表したコメント
の内容について、記者はまず、こう切り出します。
毎日記者:先ほど黒川さん、いろんなことが「明らかになった、わかりました」とおっしゃいましたが、
これまでもそうなんですが、今日の発言、松永さんの発言だけで、
明らかになった、わかった、というのはちょっと・・・

黒川委員長:はっは(笑)、そりゃそうだな。それで?

毎日:それで、わかった、明らかになった、というのはちょっと言い過ぎではないのかな、と

黒川:まあ、少しわかりつつある、ということですかね。みなさん、どう思いました?

毎日:わたしは、ちょっとそれは言い過ぎだな、と思ったんで、そのへんの所感をと。

黒川:「言い過ぎ」ね。うん。ま、みなさんの信仰の対象だったわけだから。(ニコニコ)
この記者は名前からすると、前回紹介した記事を書いたお調子記者でした。ならば、「言い過ぎの黒川委員長」とでも題した記事が載るかと期待したら、毎日新聞が同日報じたのは別の記者による、
国会事故調:17日に海江田万里氏を参考人招致
毎日新聞 2012年05月16日 18時28分
という記事。前経産省事務次官が参考人招致されたということに一言もなく、そもそも海江田万里氏の17日参考人招致は5月11日に発表済みのもの。さらにあきれたことに、
民間事故調は「官邸の中断要請に従っていれば、作業が遅延した可能性が
ある危険な状況だった」との見方を示しており、海江田氏の説明が注目
される。
と、官僚トップ個人の責任を問うはずのない「民間事故調」ごときを引き合いに出している。記者クラブ漬けとはこういうことなのかも。

では、ほかのメディアはどう報じたか?

経産トップが忘れっぽいのも困る…国会事故調
読売新聞 2012年5月16日20時34分
 一方、事故発生前の原子力行政をめぐる各委員の質問には、「記憶はない」
 「承知していない」との回答が目立ち、黒川委員長が「エネルギーと産業を
 統括する経産省の(事務方の)トップが忘れっぽいのも困ったものだ。国の
 信用が崩壊していくんじゃないか」と苦言を呈する場面もあった。

原発テロ対策「B5b」 松永前経産事務次官「記憶にない」
産經新聞 2012.5.16 19:49 
 委員からは「B5bの存在を知っていれば事故が防げたかもしれない。重い
 責任を感じてほしい」などと、松永氏の責任感の希薄さを指摘する指摘が
 相次いだ。
と、いくらか遠慮がちな論調。個人責任が追及されたことをはっきり記事にしたのは、朝日か。
経産前事務次官、責任逃れ発言繰り返す 原発国会事故調
朝日新聞 2012年5月17日0時38分
 昨年夏の計画停電で混乱を招いたことを追及されると「内閣に計画停電の
 ための組織を作った。私は一員ではなかった」と自らの関与を否定。昨年
 6月、当時の海江田万里経産相が原発の「安全宣言」をした判断についても、
 「私が中心的な役割を果たしたわけではない」と言い切った。 
ちなみに、古賀茂明氏のクビを切ったのはこの松永和夫氏その人である。
「あなたにふさわしいポストない」 経産キャリア官僚に次官がいきなりのクビ通告
産經新聞 2011.6.27 22:19
 古賀茂明氏(55)=大臣官房付=が、松永和夫事務次官から法的根拠も
 なく事実上の退職勧告を受けていたことが27日、分かった。


 (2012/5/15) 
試されるニッポンメディア 〜国会事故調の公開委員会 傍聴記〜

委員会の参考人質疑の様子はUSTREAMで見れるのに、なぜあえて傍聴に出かけるのか、と思われる向きもあるでしょうが、わたしは実際の会場の様子が知りたかったことがひとつ。たとえば、報道関係者と一般傍聴者はどのくらい来るのか。行ってみると会場の傍聴席は、正面に向かって左の2/3ほどのスペースが報道関係者で、右の1/3が一般傍聴者でした。テレビカメラは記者席の後方に並んでいました。ですから、その画面に写っている傍聴者はすべて報道関係者の頭です。私は一般傍聴席最前列の左寄り、つまり野村委員の正面に坐っていましたが、私の頭もジャケットも見えません。(もちろん写りたくて席を決めたわけじゃない。念のため)

もうひとつは、取材にどんなメディアが来ているのか、知りたかったことがありました。というのは、メディアが伝える委員会にかんするニュースにずっと違和感をもっていたからです。まず、ニュース記事が極端に少ない。委員会の後の委員長会見でも出席メディアが少ないし、的外れな質問ばかりが目立つ。いったい、この人たちは、何を見て、何をレポートしているんだろう? 昨日は、記者席も一般席もほぼ満席。参考人が参考人だからか。知ったジャーナリストの顔もありました。

でも今回もやはり大手メディアの事後報道に首を傾げます。ヤフーニュースの記事だけをみても、直後にこんなニュースが流れています。時系列で追うと、まず委員会終了直後のニュースとして、

菅前首相の視察、処理妨げに…事故調で東電会長
読売新聞 5月14日(月)21時42分配信

勝俣氏は、菅前首相が事故翌日に同原発を視察したことについて、「(当時の)
吉田昌郎所長らが対応したが、所長は事故の復旧に全力を尽くすのが一番大事
だった」と述べ、首相視察が事故処理の妨げになったとの認識を示した。
中継を見ていた人なら、こんなものがニュースになるか、と唖然とすることでしょう。それでも同調するお調子者がいて、毎日も、翌朝にはテレビ朝日も、
<福島第1原発>事故直後の菅氏の対応批判 東電会長
毎日新聞 5月14日(月)23時30分配信

【原発】菅前総理の電話指示批判 東電・勝俣会長
テレビ朝日系(ANN) 5月15日(火)6時42分配信
記者クラブ仲間、かな。ところが、まず日テレ系NNNがまともな報道をします。
原発全電源喪失の可能性、経営陣に伝わらず
日本テレビ系(NNN) 5月15日(火)8時11分配信

事故調査委員会は、06年に保安院が、想定外の津波によって原発の全ての電源
が失われる可能性があることを東京電力側に伝えていたことを指摘し、東京電力
の責任を追及した。これに対し、参考人として出席した東京電力・勝俣恒久会長
は「当時は、想定外の津波は起こらないと判断していたため、保安院の指摘は
経営陣には伝わっていなかった」と述べ、自らの責任を否定した。
すると、毎日も読売も我に返ったかのように、
<保安院>全電源喪失の恐れ スマトラ受け東電に指摘
毎日新聞 5月15日(火)11時30分配信

福島第一の電源喪失リスク、東電に06年指摘
 読売新聞 5月15日(火)13時47分配信
産経は、ちょっと遅れたものの、その情報の裏をとると同時に、新たな事実を追加している。
福島第1原発で「津波で電源喪失」を想定 保安院と東電、18年の勉強会で
産経ニュース 2012.5.15 19時03分

経済産業省原子力安全・保安院と東京電力などが参加した平成18年の勉強会で、
福島第1原発が14メートルの津波に襲われた場合、電源喪失する可能性がある
との文書をまとめていたことが15日、分かった。
国会事故調の黒川委員長も、こういうプロセスこそ重視しているはず。大手メディアといえども、記者はまちまちで、どの新聞社だから、という区分はありません。ニッポンメディアもそろそろ署名記事、というか、記者の文責を明示するようにしないとね。論説委員の名を伏せる「社説」など、まったく読む意味なし。

以上は一つの例に過ぎませんが、野村委員のこの部分での追及は、ようするに、以下のことを暴いていたのです。

「津波の大きさが想定外だった」のではなくて、「想定を超える津波は来ない」と判断した。
 ― つまり、責任を津波にかぶせたつもりが、まったく論理がひっくり返った。
来るはずのない津波だから、それが引き起こすであろう事故への対策を無視した。
 ― つまり、多重防護という世界基準が無視されていた。
ここは、じっさいのビデオをご覧ください。
国会事故調 第12回委員会 2012/5/14new
1:25:30 から保安院が伝えたという津波による電源喪失に関する知見について。そして、この知見が届いていればなにができたか、という点について、以下のやりとりがあります。
野村委員:ということは、そのことが事故前に行われていなかった、
つまり全電源喪失になってしまった、ということは
津波によって全電源喪失が起るかもしれない、というこの知識が
経営陣のところに届かなかったことが、原因だ、というふうに
まとめさせてもらってよろしいですか?

勝俣東電会長:そこまで言えるかどうか、
はなはだ、そうストレートに話が結びつくかどうかというのは
ちょっと判断しかねます。
 (中略)
今の時点でいえば当然対策は講ずべし、ということになるでしょうけど、
3.11の前でどう判断をしたか、というのは
正直、あまり確たる自信はないです。

野村:分かりました。ということは、
組織というのは、トップに伝わっているかどうかは別にしても、
東京電力という組織に対して保安院はこの情報を提供しているわけですから、
東京電力は、津波が来れば全電源喪失になる可能性があった、ということ自体は承知していた、
ということでよろしいですか?

勝俣:それは、まあ、どこまで情報が行っていたかによりますけれど、
えー、まあ、本部長まで行っていたとすれば、
 そういうことかと思います。

野村:ある意味では、家の郵便ポストまでは届いていたけども、
そのこと自体について経営者にはその手紙は届かなかった、と
そういうことですね?

勝俣:そういうことなんですが、ま、そもそも 先ほど私が説明したように、
そうした大津波が来ると考えてなかった、ということなんで、
対策を講じかどうかっていうのは
非常に判断は厳しいことだったかも知れません。

野村:なるほど、要するに、
大津波は来ないという判断をしていれば、こういう情報があっても、
簡単にできることも、なにも対策は講じない、と
そういうことでよろしいですか?

勝俣:そういう可能性はあります。

野村:常に対策というのは、何が起るかということを確定させて、その上で対策を決める、
ということなんですか?

勝俣:どちらかというと、そういう方向かと思います。

野村:この場合、こういうような可能性があるという、そういう指摘がいくらあっても、
可能性のレベルではなにも対応しない、というのが東京電力の考え方
ということでよろしいんでしょうか?

勝俣:いや、可能性がどの程度、まあ確からしさと申しますか、
そういう問題だと思います。

野村:どのぐらいだったらやるんでしょうか?

勝俣:いや、まあそれは、だから、よく状況を聞いて、
まあ、いろんなことを判断して決める、ということで
確率論的にいくつで、ということはなかなか言えないんじゃないか、
と思います。


 (2012/5/14) 
<急告> 本日18時から国会事故調が参考人質疑をUSTREAM中継

今日5/14(月)18:00より、国会事故調の第12回委員会がUSTREAMで動画中継されます。

 今回招致された参考人は、勝俣恒久氏 東京電力株式会社 取締役会長

動画はアーカイブされますが、関心のあるかたはライブでご覧ください。私は傍聴が認められたので、会場の参議院議員会館で「現場取材」です。



 (2012/5/13) 
ツナミ・モーターサイクル1600キロの旅 〜カナダに流れ着いたハーレーその3〜

カナダのグレアム島に漂着したナイトトレインは今や Tsunami Motorcycle と呼ばれるようになっています。ニッポンのメディアには、この漂着バイクのその後のニュースがありませんが、カナダのメディアサイトの記事が検索でヒットします。

それらによると、ナイトトレインはバンクーバーの南100キロほどの都市ビクトリア(バンクーバー島)にあるハーレーディーラーにまで運ばれていることが分かりました。そして、そこにはカナダのバイク乗りのボランティア活動がありました。

まず、5月2日時点の記事によると、ビクトリアのハーレーディーラー、Steve Drane Harley-Davidson、にハーレー本社から協力依頼の話があった模様で、社長のSteve Drane氏ははじめ、自ら日本のオーナーを探し出し、自分でバイクのレストアを行おうと考えていて、そのレストアの記録のために専用のウェブサイトまで立ち上げようと計画していた、と言います。修理の費用はざっと見積もっただけでも4万ドル以上、新車の2倍、と見込んでいたそうです。ところが、オーナーが判明し、ハーレーが日本で修理するというので、その計画は変更して、

"I'm just going to be a facilitator that will hopefully just be able 
to get the motorcycle, keep it safe here until arrangements can be 
made to fly it home to Japan"
「私は、あのバイクを回収し、日本に向けて発送する手はずが整うまでショップ
に保管することで、手助けできればいい」

B.C. dealer to help return Harley-Davidson that rode a tsunami
Gloval TV BC
By Cassidy Olivier and Cheryl Chan, The Province : Wednesday, May 02, 2012 12:00 AM
との意向でした。

そうして、ほかにもボランティアのバイク乗りが協力します。

5月7日のCBCニュースによると、発見者のPeter Mark氏が、4W車でオフロードを60キロ走らせて現場に向かい、砂に埋もれたバイクをウインチで荷台に載せる。それからバイクはフェリーで対岸の町のプリンスルパートPrince Rupertへ。そこからビクトリアまでトラック輸送を担ったのは、同じバンクーバー島の町Tofinoに住むライダー、Ralph Tieleman氏。彼は、

"I thought, you know, if I lost one of my bikes it would be pretty 
important to get it back,"
「もし私のバイクが奪われたとしたら、どうしても取り戻したい、と思ったから」

Tsunami motorcycle shipped to Victoria
- Fate uncertain after volunteers moved the Harley-Davidson 1,600 kilometres -
CBC News
The Canadian Press Posted: May 7, 2012 7:51 AM PT 
と、ボランディアの動機を述べています。

Tieleman氏はPrince Rupertからまず東のPrince Georgeへ、そこから南下してバンクーバーへ、そして再びフェリーでバンクーバー島のビクトリアに渡り、5月6日の日曜日にSteve Drane Harley-Davidsonにバイクを届けました。そうして自宅に帰着するまでの全走行距離は3000キロになった、と言います。えーっ、さんぜんきろ! 私は思わず、Google Map でその行程を確かめてしまいました。

道中、警官も含めて人々が立ち止まって、このツナミ・モーターサイクルを見守り、中にはカメラに納める人もいた、とTieleman氏が語ります。それほどの注目度でした。

こうして日本に送り返す準備がボランディアの力で整ったものの、まだこの時点ではこのハーレーの前途がはっきり見えていないそうです。というのは、

But as of Monday night, the owner was still uncertain and said he's not 
sure he wanted the Harley back.

Nonetheless, Tieleman said the journey provides a powerful lesson to 
others who find tsunami-related debris on B.C. beaches.

"Remember that it's somebody's property and what people there went through," 
he said.

"It's not just junk. At one point, it was part of someone's life."

月曜日(7日)夜の時点では、オーナーはこのハーレーを戻したいのかどうか、
はっきりしたことを言っていない。

けれども、Tielemanは言う ― 今回バイクが旅したことで、ブリティッシュ・
コロンビアに流れ着く津波の漂流物を見つけた人たち対して、強く訴えるものが
あったと思う、と。

「それは人の所有物なんだよ。人が人生を共にしてきた物だということを忘れ
ないで欲しい」と彼は言う。

「ガラクタじゃない。それはある時だれかの人生の一部だったんだ。」

(同上
このツナミ・モーターサイクルを最初に取り上げた動機も、奇跡的漂着物としてのモノの紹介ではなくて、それを拾い上げ、報道してくれたヒトのほうを伝えたかったからでした。


 (2012/5/10) 
発見のお知らせの中に意外な事実

登録番号 No.4'907 豊中市 SHADOW400 のNさんは盗難届を出した翌日に運良く、放置(隠匿?)されていたバイクを不審に思って通報してくださった方のおかげで発見されました。その直前、登録完了のお知らせにたいして、このようなご返事をいただいていました。

15年間大切に乗ってきて
まさかこんな形で別れてしまうとは
思ってもいませんでした…

警察は腹立たしい程の対応しか
してくれず、
[CBX]様の様な方が居てくださり
救われました。

諦めず僅かな可能性を信じたいです。
愛車への気持ちが通じたかのように、それからほどなくして、警察からバイク発見の連絡があったとの喜びの第一報をいただきました。そしてその夜に、以下の詳しい状況をお知らせいただきました。ところが、その中に、私も初めて聞く意外な事実がありました。
こんばんは。
先ほど警察から帰宅し
無事手元に戻ってきました。

発見場所は自宅から徒歩五分の
街灯の下で人目につかない所でした。
通報により、見つかったのですが
通報者様の連絡先等はこのご時世
教えられないとの事で
お礼もできない状況です。

ハンドルなど分解されており
右のグリップが盗まれていました。
盗まれたのはそのグリップ一つだけ。

ワイヤーが切られていた
傷、凹みがあった
エンジンがかからない

被害としてはそんな所でした。
鍵も壊されておらず
他に盗まれた物も無かったのが
救いでした。

恐らく土地勘のある
若い連中の仕業では?と
思います。
警察では
バイクの指紋を丁寧にとっていたので
犯人が見つかるといいな、と
思います。

警察でも、被害届を出した翌日に
見つかるなんて、稀な事ですと
言われましたがその通りですね。

思い入れが強かったので
見つかったと聞いて
涙が溢れました。

被害にあったことで
学んだ事がたくさんあります。
この経験を活かせるよう
気持ちを切り替えていこうと思います。

一台でも多く、持ち主の所へ戻り
愛されますように。

ありがとうございました。
転売目的の組織的犯行でないかぎり、乗り回した後で、あるいは乗り回しするにもエンジンをかけられなかった盗難車は、うち捨てられたり、目立たないところに隠匿、または何喰わない様子でわざと人目につくところに停めておく、などされているものと想定しています。そもそもこのサイトを立ち上げた14年前は、そのような不審バイクを、盗難車かどうか照合したいという目的がありました。

とうぜん、発見して通報してくれる人は、拾得物を届け出た人として扱われると思っておりました。ところが通報してくれた人の連絡先は「個人情報」なので教えられない、と警察は言っているのです。そんな話は初めて耳にしました。とうぜんNさんもお礼がしたかったのですが、

警察の対応の件ですが
私も驚きでした。
お礼をしたい、と伝えても
今は個人情報は一切お伝えできないんです、テレビでも騒がれてますが
そんな事したら僕も罪に問われてしまうんで〜…勘弁してください。
といった事を言われていました。
もちろん、謝礼目的で通報しようとする方は少ないと思いますが、そうでなくても、放置されているバイクというものは、ライダーでも無いかぎりだれも気にも留めないものです。個人情報保護の名のもとに、見ず知らずの人たちが助け合い、つながり合うことが妨げられているような気がしてなりません。


 (2012/5/9) 
失敗の再生産、歴史の繰り返し

設問。以下は、ある歴史的できごとに関与した個人の記録から再現されたドキュメンタリー映像において、最後に「民間の研究者」がまとめのかたちでコメントした発言のトランスクリプトである。伏せられた<1>〜<4>に想定される語を入れよ。

 計画全体の枠組みを決め、そして現場に要求している <1> という組織が、
自分たちの描いている <2> 思想なり技術開発なりというものが、
かなり誇大妄想的なものであって、
たくさんのマイナス要因や失敗を含んでいるにもかかわらず、
それを直視しないで、そして次々と新しい要求を出していくという、
こういう構造自体が問題だったわけです。
 ひとつの大失敗があったときに、その失敗の原因をきちっと分析して、
どこを改めなければいけないのか、どこに責任があったのか、ということを明確にして、
組織を変えたり、あるいはトップを変えたり、
そしてまた現場のほうの業務なり技術というものを変えていくのが、
失敗の教訓を学んで、前に進む方法だったわけですが、
日本の文化というのはそれがもっとも苦手だったんです。
 その失敗を生かさないために、さらに失敗を重ねる、
しかも拡大して失敗いくという、この「失敗の再生産」みたいなかたちが、
日本の <3> の組織論としてもっとも重大な問題だったわけです。
そこのところが、こうした貴重な記録のなかから惻々と伝わってくる。
それをいま読みとらなくてはいけない。

(ドキュメンタリー『<4> ニ欠陥アリ』より)
ご関心をもたれた方は、そのドキュメンタリーnewの27:50〜にある「解答」をどうぞ。


 (2012/5/4) 
続 カナダに流れ着いたハーレー

カナダに漂着したハーレーに急展開がありました。

オーナーは「できればナンバープレートだけでも戻ってきてほしい」と話しているそうですが、意外だったのはハーレー本社のすばやい反応。

ハーレーダビッドソンジャパンの広報担当者によると、米ウィスコンシン州の
本社からは、同社の負担で横山さんのオートバイをカナダから日本に運び、
修理する意向が伝えられているという。
カナダ漂着ハーレー所有者判明…米社が修理意向
読売新聞 5月3日(木)8時46分配信
もちろん、メーカーとして絶好のPRの場との計算もあるでしょうが、すぐさま返還に力を尽くす意向を表明したことは、さすがに バイクを文化として育ててきた伝統を感じます。これがニッポンのカイシャだったら、「本人が希望すれば、送り返す方向で検討したい」くらいの定型文発表となったのではないか。ハーレーをもっと見習うべし。

意外だった、と書いたのは、その即決に加えて、ハーレー本社が自社負担で修理する、とまで言い切ったこと。ハーレー本社のHPにはまだ公式発表が見当たらないが、会社としての方針にまちがいないでしょう。私が写真で見る限りでは、修理できそうもない状態に思えたから。これなら、修理するより、新車を組み上げた方がコストも労力もかからないのではないか。ですから、もしもハーレー本社が動くとしたら、太平洋を渡ったこの奇蹟のハーレーを引き取って、ハーレーミュージアムに展示するんじゃないかな、と期待しておりました。

じっさい、2日(現地時間)には続報が右の写真付きでありました。

Peter Mark氏が発見して写真(前回コラム)を撮ったのは4月18日といいます。この写真は4月末に撮られて、5月2日に公表されたもので、記事によると、そのときコンテナはすでに流されており、残されたハーレーは半分砂に埋もれていた、とのこと。

The container was later washed away, leaving the motorbike half-buried 
in the sand. 
Tsunami-swept Harley found in Canada
Associated Press  Wed, May 2, 2012
ということは、かれがこのハーレーをコンテナから引きずり出しておいたのかな。記事にはそのいきさつの記述がありません。

それはともかく、この写真からも、ふたたび走れるように修復できそうなバイクには見えないけど、もちろん、スクラップとして くず鉄として処分されるのは忍びない。これがもし我がCBXだったらどうするだろうか、と思わずにはいれらない。わたしならたぶん、現地に飛んで、発見者や関係者に礼を言って、傷つき錆びているタンクだけでも外して持ち帰らせてもらおうか、なんて想像したりする。



 (2012/5/1) 
カナダに流れ着いたハーレー

1年前に東北を襲った津波によって流されたと思われるハーレーがカナダのグレアム島に流れ着いたとのニュースを目にしたのは昨夜のヤフーニュースででした。持ち主は無事なのだろうか、と気になっていましたが、今夜7時のNHKニュースが、オーナーが見つかって、記者会見しているシーンをほんの一瞬でしたが、報じていました。まずは、オーナーが無事でいて良かった、と思いました。

けれど、このニュースの報道にはちょっと首をかしげることがありました。ヤフーニュースには、このニュースを最初に報じたカナダCBCニュースの記事のリンク

Motorcycle washed up in B.C. may be Japanese tsunami debris
CBC News  Posted: Apr 29, 2012 5:53 PM PT  
があるのですが、日本語ニュースはそこに書かれている内容のつまみ食い的な報道みたいだったこと、がひとつ。

たとえば、元記事には、発見者がコンテナを見つけたとき、「コンテナのドアは剥がれていて、中を覗くとオートバイのタイヤが目に入った」とのコメントがあります。だれでも、アレッ?、と思うのは、ドアが剥がれていたら沈んでいたんじゃないの?という疑問。上記サイトには発見者のPeter Mark氏が撮影したコンテナとバイクの写真が11枚も添付されています。その写真が、コンテナがどうして浮かんでいたのか、推理するてががりを与えてくれます。下の写真から、コンテナが海面下にあったと思われる部分がその変色で分かります。

   

これから推理できることは、ハーレーがコンテナ右奥に横たわっていたので、コンテナはそこがいちばん下になるように傾いて浮いていたであろうこと、もしそうならドアは大部分が海面から上に出ていたこと。そうは言っても、ドアなしでは浸水しないわけがなく、おそらく、Peter Mark氏の前に第一発見者がいて、その人間がドアを剥ぎ取って、中を物色したものでしょう。

二つ目は、ナンバープレートがあるのだから、オーナーを特定するのは時間の問題でしかないけれど、もしオーナーが無事であることが判明したとき、外務省に問い合わせていたバンクーバーの日本領事館はなにかしてくれるのだろうか、さらにニュース種として報道していた民放やNHKは、その後なにかフォローするのだろうか、という疑問。

たぶん、日本のメディアとしては、オーナーが、愛車がカナダに漂着したということに驚き、さらに見つけて知らせてくれた発見者に感謝する、というメデタシメデタシの結末で終わるだろう、と思っていました。「落としどころ」と言ったほうがいいかも知れない。

その理由はかんたんです。

そもそも今回のニュースは、たまたまカナダのテレビ局が報道したので、領事館も、日本のメディアも、それに追従する姿勢をとっただけ、という点がひとつ。このハーレーがこの後どうなるのか、という関心は両者にはないだろうと思います。

ではこのハーレ−はこの後どうなるのか?

もしも、オーナーが水害までカバーする保険に加入していて、すでに保険救済がされている場合、所有権は保険会社に移っています。そしてこのハーレーは商品価値がありませんから、現地でスクラップ処分ということになるでしょう。

もし保険の適用がなく、オーナーに取り戻す意思がなく、所有権を放棄したら、同じように処分ということになります。

けれど、たとえ動かないハーレーであっても、ぜひ愛車を手元に戻したいとオーナーが願うのであれば、取り戻すことは不可能ではないと思います。というのは、人に盗まれたバイクであろうと、水にさらわれたバイクであろうと、取り戻すプロセスは同じであるからです。

今回は、現地のテレビが報道してくれたこと、さらに日本の領事館も関与した、という事実がありますので、あとは、実際に現地で助けてくれる人がいるかどうかでしょう。見ず知らずのライダーに救いの手を差し伸べる人が現れるとしたら、それは同じハーレー乗り、つまり、カナダのハーレーオーナーズグループではないかと思っています。

さて、コンテナはすでに他の人に物色された後だったのではないか、と上で書きました。Peter Mark氏の以下のことばがそれを裏付けているように思います。そうしてこのような良識あるカナダ人に発見されたこと自体が、今回のほんとのニュースなのでした。

"I think the most important thing is that people treat the things they find 
with respect," he said. "These are parts of people's lives. Some people lost 
everything in the disaster, and I think people have to keep that in mind when 
they make a find like this."

「漂着物を見つけた人はそれを丁重に扱うべきだと思います。それらは人々の生活の
一部なんです。あの震災ですべてを失った人もいます。このような漂着物を見つけたら、
だれもがそのことを心に銘じるべきです」


 (2012/4/19) 
原発再稼働の基準の欺瞞が世界に配信 〜国会事故調の同時通訳中継〜

昨日4月18日18時より、国会事故調 第9回委員会が開催され、USTREAMで中継されました。参考人として呼ばれたのは原子力安全・保安院長の深野弘行氏。そもそもフクシマの事故原因がまだ解明されていないのに、再稼働のための判断基準が津波や電源喪失対策などにに限定されていることが質されています。

その動画が記録としても公開されています。

国会事故調 第9回委員会 2012/04/18 new
2時間半もの長時間にわたるものですが、一見の価値があります。内容の一部はニュースで報道されているものの、動画が伝える「事実」にはとうてい及びません。この動画配信がすばらしいのは、画面2分割にて、質問者と参考人を同時に映していることがまずありますが、さらに、 同時通訳で配信していること。
NAIIC/Jikocho 9th Commission 2012/04/18 (simultaneous translation) new
National Diet of Japan
Fukushima Nuclear Accident Independent Investigation Commission (NAIIC)
質問者はおもに野村修也委員で、彼の発言は聞きやすいし、したがって英語に訳されても十分意味が取れるものですが、さて深野保安院長の「東大話法」はどれほど通訳に負担をかけたことでしょう。

以下はひとつの山場のような部分。世界に配信されていることを念頭に野村委員が追及する、法廷劇のような場面です。

<多重防護について>1:34:06〜

野村委員:「多重防護」は、原子力を稼働させるための前提条件ではないんですか?
順次、最初は1層目だけをやっていて、あるいは2層目ぐらいまでやっていて、
(そうして原子炉が)動いていて、
すこしずつ、すこしずつ防御していけばいいんですか?

深野保安院長:あのー、その意味ではけっして今のこの時点でも多重防護になっていないわけではなくて、
ただ、その多重性が、まず電源がああいうかたちで津波という共通原因の事象でもって
ダメになったわけですから、破られたわけです。
それが破られないように、さらに多重に電源を確保するとか、
そういう意味での多重性の確保というのは今回基準1、基準2でやっているわけでございまして、
けっして多重でないものが動けると、いうものではない、というふうに私は考えています。

野村:考え方の論理がすり替わっていましたね。
1層目で封じ込めれば、たとえば4層、5層目みたいなところについては、
シビアアクシデント対策であるとか、あるいは避難に関するところですとか、
そういうところまでやらなくていい、というのは多重防護の考え方ではないんですよ。
それは、むしろ1で封じ込めてあったとしても、万万が一、それでは封じ込められないかも知れないから、
というので、何重にも防護するわけですよ。
このことは、ふつう原子炉を動かすための条件になっているんですよ、世界では。
それがどうして、今回の再稼働の基準のときには、「放射線は出ない」というふうに考えるんですか?

深野:あのー、そいういう意味での多重性というのは、けっして私ども無視しているわけではなくて、
まずひとつは放射性物質が、炉心損傷にならない、させない、というところについての多重性を
どうやって確保するかという、これは今回相当事業者にたいして要求したわけでございまして、
これが去年来やっている緊急安全対策とか、いうものであります。
そこで多重性は確保して、事態は前にすすめないよう、多重に守れるようにすると・・・

野村:ですから、そこが多重になってないから聞いているわけですよ。
つまり、そこが破られちゃったときに、それでもなお被害が拡大しないように、とか
シビアアクシデントにならないように、対策が講じられて、さらには
仮にそこも破られてしまったとしても、被害が拡大しないように、
それを全部揃えることが多重防護なんですよ。
それを、最初のほうが起らないと仮定したから、後のほうは後回しにしますというのは
多重防護じゃないですよね。

深野:多重性というのはいろんな多重性がある、と思っていまして、
そういう次のステップに進まないためにとる手をいろいろ多重にして
防衛線を深くしておく、これも多重防護だと思います。
で、さらに、それで満足してはいけないんで、その次に行ったときにどうするかということも
これは当然やっていかないといけない。
これはむしろ基準3のほうでちゃんと盛り込んで、けっして止まらないようにする、と・・・。

野村:だから、それは当然やっていなければ、今やっていなければいけないじゃないですか。
つまり、同時にやっていないといけないわけですよ。
最初に、起らないと仮定して、しばらく後になってからゆっくり整えましょう、
ではだめなわけであって、世界の基準は、
つねにエラーするかも知れないので、エラーしたときのバックアップ体制を5人そろえておきなさい、と
こういうルールなんですよね。
それを一人で守れって言っているわけですよ。
守れなかったときの責任とれないじゃないですか。
だから、みんなでちゃんとバックアップすると、それを今回の基準にいれなければ、それは
世界の基準に合わないんじゃないですか?

深野:あのー、世界の基準も、そういう意味では、いきなり、こう高いレベルを作って
それを直ちに全部実施できなければ止める、というそういう基準は各国ではむしろやっていない
というふうに私は理解しておりまして、
順次、こういうさらに次の深層防護を一歩先を行くということになったときに、
まずそれは、たとえばそれは新設の炉から始めて
まあ、その後すこし経過をとりながら、既設のものにも遡らせていく、とか
そういう現実的な対応がとられているんじゃないかと思います。

野村:あのう、IAEAの基準をちょっとご説明いただいていいですか?

深野:(紙をめくり始める)ちょっと今手元に基準そのものを持ってきていませんが・・・。

野村:今世界の基準を語られたじゃないですか。

深野:(紙をめくり続ける)

野村:今語っていただいた世界の基準を言っていただければいいんですよ。

深野:ちょっと待ってください。(かばんから書類をとりだしてめくりつづける。時間が経過)

野村:(待ちきれなくて)もう結構ですよ。「5層の防護」なんですよ。

深野:・・・・。

野村:先ほど、あたかも世界はそんなことやっていないかのようにおっしゃられましたけど、
そうやっておっしゃられるんだったら、
すぐに何の基準に基づいてお話されているのか言っていただかないと、
我々のほうとしても、
保安院のトップの方がそういうことをおっしゃられると、
国民みんな信じてしまうわけですよ。
ですから、やっぱりきちっと、何が世界の基準なのか、ということで、
今、お話しされたことは、私が理解した限りでは、
多層防護というのは、ゆっくりと、よその国も、少しずつ、暫時できるところから
順番にやっていく、そういうかたちで対応していく、とご説明を受けたので、
それが世界の基準だとご理解されている、ということでよろしいですね?

深野:あのー、それはすべて基準を完全に見尽くしたわけではございませんので・・・、
あのー、全部そうだと申し上げることはできませんけど・・・

野村:だったら、そんなこと発言しないでくださいよ。
あなたはここのトップなんですから。
これ、国民みんな見ているわけですよ。
世界の人も見ているわけですね。これ同時通訳で世界中に配信されているんですよ。
それを、世界の基準を見たわけではないのに、あたかも世界の基準は
少しずつ、少しずつやるものです、というふうなことを
そんな発言されたら、
そんなことでいいのか、ってみんな世界中の人は思いますよ。

深野:(長い沈黙 紙をめくり続ける)ちょっとIAEAについてはアレでございますけど、
たとえば、そのー、アメリカなんかでは、コアキャッチャーなんていうのが、
設備でございますけど、そういうものについても、新設する場合には、その・・・

野村:(割り込むように)あのですね、私よく、あのー、学者なんですけど、
大学で学生から分からない質問がくると、難しいこと言って逃げるんですよ。
それじゃダメなんですよ。
すごく例外的なことで、ちょっと知っていることを言って煙に巻くんじゃなくて。
世界はいちおうIAEAの5層の基準というのをみんな共有してみんな理解しているわけですよ。
その多層防護、深層防護とか多重防護というのが重要だというのは共通の認識じゃないですか。
それを、1層目、2層目だけを塞げば、あとはシビアアクシデントは起こんないんだという前提で
ゆっくりとその後のことは整えていく、というのは世界のルールじゃないですよ、それは。
そこまでご説明をされるんであれば、
トップとしてそこまでご説明されるんであれば、
やっぱり世界中の方々に、日本の原子力行政のトップの方の基準というのは世界とはちがう考え方だ、
と評価されてしまいますよ。

深野:(沈黙したまま)

野村:ちょっと、もう、いいですか。戻って調べていただければと思いますので。


 (2012/4/11) 
「なぜ私は日本にとどまったか」 〜シンディ・ローパー 被災地の今と1年前を語る〜

昨年、3月11日震災のまさにその日、日本ツアーのために東京に到着したシンディ・ローパーは、そのまま日本に留まって公演を決行しました。そのシンディが1年後再来日しました。

東京オーチャードホールでの公演の翌日3月12日に、日本外国特派員協会に招かれて記者会見を行い、東北の被災地を訪問したこと、自身の日本との関わりについて、ストレートかつ心温まる話をしている様子がYouTubeで見ることができます。

やはり、興味深い発言のひとつが、1年前なぜ日本に残って公演を続けたのか、という質問にたいする答えです。そこで、日本に1983年に初めて来たときに、聴衆がTrue Colorsを歌い返してくれたことが嬉しかったと前置きして、そのときの決心をこう回想しています。

If music is truly healing, then let's see, let's put it to the test here, 
and if I left, then what would the "True Colors" have meant anyway?

もしほんとに音楽に癒しの力があるなら、ここでこそ証明してみよう。それに、
もし私が逃げたなら、True Colors って何だったのということになってしまう。
03/12/2012 Press conference of Cyndi Lauper, The World Famous Pop Star new
( [3/4] 13:50〜 )
この会見はどういうわけか、NHKが全文をていねいに翻訳しています。
シンディー・ローパー記者会見 at日本外国特派員協会:全文掲載です
NHK「かぶん」ブログ 2012年03月16日 (金)
NHK所属の同時通訳の方などがボランディアで協力したものでしょうか。

会見ではTrue Colorsの日本レリースに際して、かつて Girls just wanna have fun がばかばかしい日本語に訳されたことにも触れていました。

私は女性の置かれた状況を変えたいと心を決めていました。それをかなり意識して
いました。Girls just wanna have fun をリリースしたときには、ビデオnew の
中でありとあらゆる国籍の女性が女性の権利を歌ってくれるよう自分の力の限り
腐心しました。 曲には女性の置かれている立場を変えたい、支援という気持ちを
込めていたのですが、日本に来たら「ハイスクールはダンステリア」にタイトルが
変わっていました。そうすることで曲の力を奪おうとしたのか、それとも変えない
と聴衆が曲を怖がると思っていたのか、それは分かりませんが、そのことについて
は不満を伝えました。
上記NHK「かぶん」ブログより
洋楽、とくにロック系の日本の紹介屋さんのばかさぶりは、今はどうか知りませんが、かつてはほんとにひどかった。思い出すのが、Kate Bush のデビューアルバム、The Kick Inside (1978) 。なんと日本語タイトルが「天使と小悪魔」。わたしはレコードを買うなり、ジャケットに付いていたその日本語タイトルの帯を破り捨てたことを思い出します。そのアルバムの最初の曲 Moving がこれまた「嘆きの天使」。いまでもこの恥がさらされたままなのかどうか、知りませんが。
Kate Bush - Moving (Efteling) new



 (2012/4/4) 
「防げた事故」がキーワードだった 〜「民間事故調」報告書批判 その4〜

報告書の「序章」に、この事故の調査検証プロジェクトの責任者の船橋洋一氏が、「独立した市民の立場から」調査することを思い立ったいきさつをこう述べています。

 日本では、政府の災害対応や政策の大きな失敗について、政府や国会が、
真実を究明し、そこから教訓を学び、それを国民の前に示し、二度と同じ
間違いをくり返さないよう、国民的合意をつくることをして来なかった
と思います。
 日中戦争にしても太平洋戦争にしても、戦後、政府はそれに関する調査
報告書をつくりませんでしたし、国会もその原因と背景と責任を調査し、
検証することをしませんでした。それを営々と続けてきたのは民間の
研究者でした。(p.10)
そうだ、そうだ、と頷いたわたしは、それほど「独立」「民間」という委員会の調査姿勢に期待して読み始めたのでした。

読み進めるうちに、期待したほど「事実」が解明されていないという印象が強まってきました。そうして第3部に至って、どうやらこの報告書の主眼は「事実」を調査したはずの第1、2部ではなくて、事故の教訓を提言する第3部、とりわけ第8章にあるんだ、気づきました。序章のことばどおり、「二度と同じ間違いをくり返さない」ための教訓が、やや上から目線で綴られています。

難点は、その教訓が、事故がどうした起ったのかという事実からの結論ではないこと。その第3部の冒頭<概要>はこんな書き出しで始まる。

すでに第1部、第2部で明らかにされてきたように、今回の事故は「備え」
がなかったことにより、防げたはずの事故が防げず、取れたはずの対策が
取れなかったことが原因とされている。(p.246)
ところが第1部、第2部でそんなことは明らかにされてはいないのだ。「備え」がなかったのは事実だろう。政府の対応がお粗末だったのも「人災」かも知れない。だが「防げたはずの事故」という結論は、どんな事故の報告書であれば出せるのだろう?

なんのことはない、「防げたはずの事故」という前提が先にあって、それに沿うように第1、2部のトーンが決まっていたのだ。300人にインタビューしたと自慢したのはいいが、そのトランスクリプト(書き起こし)さえ収録されずに、都合のいい部分だけコマ切れに引用されたのは、むしろ当然と言える。

では、「防げたはずの事故」としなければならない理由はなにか? それは、記者会見での質疑応答にありました。個人会員という参加者のひとりが、「この委員会の趣旨とは違うかもしれませんが」とことわりながらも、原発について、そもそも「人類が動かしていいものかどうか」について委員の見解を問うていたのです。

<個人会員>
 これほどの事故があって、除染の問題とか、廃炉の問題とか、
 高レベル放射性廃棄物の対策の問題とか、いろいろ考えてみると、
 はたして、この原子力発電というのが、人間が動かしていいのか、どうか、
 ということに疑問を持っているんですけど、
 これについてどんなご見解をお持ちなのかを、
 伺わせていただきたいと思います。
『2.28福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)記者会見』new 0:57:14〜
正直言って、初めてこのビデオを見たとき、同感ではあるが、なんて場違いな質問をするんだろう、と思ったものでした。ですので、以下の北澤氏の返答も、しごくもっともなものと頷いていたのです。
<北澤委員長>
 この委員会は、私たちは、ですね、
 今回起った事故の「近因、中因、遠因」ということで、
 今回の事故に関する検証を行うことを旨としまして、
 各々の委員の方も、原子力を今後どうするか、ということに関しては、
 ご自身のお考え、いろいろあるかと思います。その意味で、
 今回の検証そのものとはこれ(質問)は直接の関係がない、と言わざるを得ない、
 というふうに思いますので、
 むしろ、他のことを聞いていただいたほうが、我々としては嬉しいかな、
 と思うんですが。遠藤委員、なにかありますか?
報告書を読んだ後では、答えたくなかった理由は別のところにあったことが分かります。あらためてビデオを見ると、この質問に答えた、国際原子力機関(IAEA)理事会議長、原子力委員会委員長代理などを務めた経歴のある遠藤哲也委員が、原発推進の立場とはいえ、ある意味ずっと正直だ。
<遠藤委員>
 私自身ですね、今のご質問にたいしては、
 個人的には意見を持っております。
 それをひと言、ふた言で申し上げますと、
 私は今回の事故というのは、もちろん引き金を引いたのは
 地震、津波という天災であったわけですけど、
 これをこんなふうにしてしまったというのは、
 私は、「人災」、ということばは必ずしも良くないのですが、
 その面が非常に大きかった、と、
 もし、そうであるとすれば、これは人の力、知恵、あるいは今後の努力、反省によって
 これを克服できるものだ、と
 私は思っているわけです。
 従いまして、そういう観点から、私は、最大の注意を払いながら、
 原子力は進めるべきものだ、と私自身はそう思っているわけです。
そう、「人災」だから、「防げたはずの事故」だから、これを教訓にして「二度と同じ間違いをくり返さない」ようにすべき、と言っているのだ。これが独立検証委員会全員とその報告書の基調となっている。それは同時に、「原発そのものの賛否を問う」議論を排除することにもなる。けれど、委員は知らないのだろうか、
――同じ間違いは繰り返されない、なぜなら、間違いはいつも違うものだから。
もしも報告書が原発事故の真実を冷徹に調査検証したものだったら、委員長は答えを拒否するのではなくて、こう答えるべきだったのだ;
この委員会は事実について検証することを旨としております。
そして、事実の重みは私たちの個人的見解以上のものです。
ですので、人間が原発を動かしていいかどうかについても、
私たちのこの報告書自体がその議論に役立つものと思っています。
そう答えられなかった理由があった。報告書の中ではその「事実」が軽すぎたのだ。しかも、その「原発の是非」の議論と疑問を排除することこそが報告書の目的のひとつだった。

その原発の是非の議論以前の問題として、「防げた事故」神話が受け入れられなければ、停止中の原発の再稼働はない。そのために、急ごしらえの報告書を4月の新年度の前に発表したはいいが、菅首相をこっけいなほど揶揄する記述がかえってアダとなり、メディアが騒いでくれた割には、かんじんの第3部は真剣に読まれることはなかったようだ。

第3部がキーワードにした「安全神話」の「安全」とは、すなわち、「事故は起きない」「起きても、放射能漏れはない」から安全、というものだ。実際に事故が起きて、放射能汚染が広がり、あわや日本という国が亡びるかもしれないという危機的事態になった。しかも、事故の全容はいまだ分からないままであり、なおかつ危機が去ったわけではない。爆発で屋根が吹き飛んだ4号機には燃料棒がむき出しのプールに入ったままだ。爆発でどれだけ破損しているか分からないプールは、もしも次の大きな地震で崩壊して燃料棒がむき出しになったらnew、こんどこそ、日本が亡びてしまうかも知れない。

そんな危機がまだ続いているときに、あたかも事故が終息したかのように、「防げたはずの事故」とはどういう神経なのだろう。とうてい「独立した市民の立場から」の発想とは思えない。序章ではその「民間・独立」性をこのように謳い上げていた。

調査・検証する対象は、原子力であり電力会社であり原子力産業です。産学官
のそれこそ”原子力ムラ”と呼ばれる巨大システムです。政治にも行政にも大学に
も法曹界にもメディアにもその影響力は浸透しています。(p.11)
たしかに報告書の執筆陣にも浸透してるのかも知れない。

文科省の管轄下の独立行政法人「日本原子力研究開発機構」には年間1848億円(2009年)もの税金が投入されている。北澤委員長が理事長を務めた「科学技術振興機構」も1067億円だ。原子力に直接かかわってはいないはずの学者・研究者とて、どれだけ文科省の意向から独立していられるものか、見当がつかない。

本書の序章を、最初は共感をもって読んだが、本書が原発の賛否そのものの議論を封じていることで、なぜ「政策の大きな失敗について」政府が調査報告をしてこなかったのか、その理由のひとつが鮮明になった。それは、

 間違いと分かっても、舵を切ろうとしないこと。
つまり、事故(と敗戦)の前と後とで
 だれの責任も問わず、なにも変えない。
序章で船橋氏が戦争の教訓を持ち出したことに、趣旨が逆だったにせよ、いまでもわたしは頷く。




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