北条幻庵(ほうじょう・げんあん) 1493?〜1589

北条早雲の四男。母は葛山(備中守)維貞の娘。北条氏綱・氏時らの弟。幼名は菊寿丸。通称は三郎。法名を長綱、幻庵宗哲と称す。
幼少時あるいは若年時より箱根権現社に入寺し、天文3年(1534)から7年(1538)には同社の別当を務めているが、この頃には北条氏の武将としての活動も見られ、『北条家所領役帳』が作成された永禄2年(1559)の時点では5千4百貫文余の知行を有しており、家中でも随一の所領高であった。
小田原城下の久野に屋敷を持ったことから久野殿とも称される。
弘治2年(1556)8月には嫡男の三郎(宝泉寺殿)の活動が見えることから、この頃までには隠居したとみられる。
とくに文人として知られ、連歌師の宗牧を屋敷に招いたり、世田谷の吉良氏に嫁ぐ氏康の娘に『幻庵おほへ書(覚書)』と題する礼式作法の心得書を記して持たせたことが著名である。
父・早雲から氏直まで、北条氏5代の永きに亘って仕えた。
天正17年(1589)11月1日死去。『北条五代記』では明応2年(1493)生まれの享年97とするが、生年については疑問視もされている。