一条房家(いちじょう・ふさいえ) 1475〜1539

土佐国一条氏。関白・一条教房の二男。土佐国幡多郡中村に生まれ育ち、中村御所と称される。
文明12年(1480)に父・教房が没したのちに家督を相続し、土佐国司となった。
永正5年(1508)5月、岡豊城主・長宗我部兼序が討死した際(岡豊城の戦い)に逃れてきた遺児・千雄丸(のちの長宗我部国親)を庇護し、養育した。
永正6年(1509)に従四位下に叙し、翌年には越階して従三位・左中将、10年(1513)に権中納言、13年(1516)には権大納言となるが、15年(1518)には辞職している。
またこの年、長宗我部国親を元服させるとともにその父である兼序を討った本山茂宗らとの和睦を斡旋して、国親を岡豊城主に復帰させた。その後も長宗我部氏と本山氏の縁組を斡旋するなどして国内の紛争の解決に意を用いている。
大永元年(1521)に従二位、6年(1526)に正二位に昇る。
天文8年(1539)11月13日、土佐国で没した。享年65。