最上家臣。姓は野辺沢とも。延沢満延の子。通称は又五郎。名を光昌とも。遠江守・宮内少輔。出羽国延沢城主。最上義光の娘・松尾姫を妻とした。天正20年(=文禄元年:1592)頃には尾花沢盆地のほぼ一円を支配していた。義光の死後、とくに最上家親の信頼厚く、重要な任務は常に康満に命じたという。俊敏な武将であったとされている。元和8年(1622)、主家改易により肥後国の加藤氏に預けられた。