延沢満延(のべさわ・みつのぶ) 1544〜1591

出羽国の国人領主。姓は野辺沢とも。延沢満重の子。能登守。最上八楯のひとつ・出羽国延沢城(別称:霧山城)主。
豪勇で知られ、はじめ天童氏に属し、天正2年(1574)に最上義光とその弟・中野義時が家督をめぐって対立した際、天童頼貞・頼澄父子や白鳥長久らと共に義時に味方して義光を圧迫した。また天正5年(1577)3月に最上義光が天童氏の居城である天童舞鶴城主を攻めた際には、舞鶴城に入城して支援して天童氏をよく支えた。
のち、義光の娘・松尾姫を満延の嫡子・又五郎(康満)に嫁がせること、天童氏の子孫を絶やさぬこと、最上八楯の者が降るときにはこれを許してその処置を満延に一任することなどの条件で和解し、義光に与した。以後は最上氏の忠実な一族として2万石を受ける。
天正18年(1590)11月、義光と共に上洛して羽柴秀吉に謁するも翌19年(1591)3月、京都で病没した。享年48。