小山成長(おやま・しげなが) ?〜?

下野国小山氏(重興小山氏)第5代の当主。小山一族・山川景胤の子。幼名は梅犬丸。通称は小四郎。下野守。
重興小山氏3代の小山持政は文明3年(1471)に没したと目されており、4代とされる小山氏郷は系図に名があるのみで活動の事績が伝わっておらず、氏郷の子と推察される虎犬丸も持政の死没以前に早世していたと思われ、成長が持政の実質的な後継者となったと見られる。文明10年(1478)2月に古河公方・足利成氏より書状を受けており、このときの宛名は幼名の梅犬丸である。
文明12年(1480)あるいはその翌年頃に成氏から一字を与えられて元服し、成長を名乗った。
成氏の没後はその子である足利政氏に属し、永正3年(1506)からの足利政氏・高基父子の対立抗争(永正の乱)の際には政氏方に与力し、永正9年(1512)6月には劣勢となって下総国古河からの退去を余儀なくされた政氏を祇園城に迎え入れているが、永正13年(1516)12月、戦況の悪化を見て高基陣営に転じた。子の政長は高基を支持していたことから、政長からの説得あるいは工作を受けた可能性がある。
永正17年(1520)頃(一説には永正14年:1517頃)に政長に家督を譲り、のちに出家して孝伊と号す。