斯波義郷(しば・よしさと) 1410〜1436

幕府の管領職を務めた斯波義重(義教)の二男。斯波義淳の弟。治部大輔。
はじめ相国寺の鄂隠和尚の弟子となり、瑞鳳と号していた。
永享5年(1433)12月1日に兄で前管領の義淳が死没すると、その後継者として将軍・足利義教より指名を受け、還俗して義郷と名乗って斯波氏の家督を相続することになり、永享6年(1434)12月26日に将軍義教自身による加冠で元服した。これに伴い、尾張・遠江・越前国の守護となる。
しかし永享8年(1436)9月29日に病床の三条中納言実雅を見舞った帰路、乗った馬とともに橋より転落して頭を強打し、翌30日に死去した。享年27。