武田元繁(たけだ・もとしげ) 1467〜1517

安芸国武田氏・武田元網の嫡男。若狭国武田氏の分家にあたり、若狭・丹後守護となった武田信栄信賢国信兄弟の甥。
応仁元年(1467)4月10日生まれと伝わり、安芸国佐東銀山(金山)城主。
主家にあたる若狭国武田氏は若狭・丹後国を守護領国としたのに加えて安芸国佐東・安南・山県の分郡守護職も兼ねており、父・元網の代より安芸国領の目代(代官)に任じられて佐東銀山城を居城としていたが、安芸国を実質的に支配していた周防国大内氏に属していた。
永正4年(1507)末に前将軍・足利義稙を奉じて上洛の途についた大内義興に従軍。その後も長らく畿内に滞在していたが、永正12年(1515)に義興より養女(飛鳥井雅俊の娘)を娶わせられるとともに、厳島神主家の内訌を鎮めるよう要請を受けて安芸国に帰国したが、この帰国を機に大内氏に叛旗を翻して独立を果たした。
以後は勢力拡大を図って近隣に出兵するが、永正14年(1517)10月22日、有田(中井手)の合戦で敗死した。享年51。