戸沢盛安(とざわ・もりやす) 1566〜1590

戸沢道盛の子。通称は九郎五郎。治部大輔。戸沢氏第18代当主。
盛安の代に南部氏からの独立を志し、出羽国仙北郡角館に拠って、南部氏や安東(秋田)氏らとしばしば戦った。天正10年(1582)には楯岡城主の小笠原右衛門と共に安東愛季を破っている。その武名は近隣に及び、「夜叉九郎」と呼ばれた。
天正18年(1590)3月に小田原征伐出陣の催促状が下ると躊躇することなく僅か十数騎の手勢で羽柴秀吉の下に到着。この功により4万4千3百余石の朱印状を得た。が、この遠征中に病死した。25歳。
若くして没したために事蹟に不詳な点も多いが、戦国の奥羽に異彩を放った人物である。子孫は出羽国新庄6万石の大名となる。