上杉氏定(うえすぎ・うじさだ) 1374〜1416

扇谷上杉氏。小山田上杉氏・上杉頼顕の長男。幼名は鶴寿丸。弾正少弼。
康暦2:天授6年(1380)4月、叔父で扇谷上杉氏の名跡を継承していた上杉顕定が子のないまま没すると、その家督を相続した。
その2年後の永徳2:弘和2年(1382)には鎌倉公方・足利氏満に近習として仕えていることが見える。
応永元年(1394)12月、鶴岡八幡宮の修造に際して総奉行・上杉朝宗のもとで地奉行を務めた。
応永10年(1403)11月に武蔵国久良岐郡日野郷に春日神社を再建、応永22年(1415)11月には鎌倉扇谷に海蔵寺を建立した。この海蔵寺建立に際して鐘を寄進しているが、その銘に法名の「常継」が記されていることから、その頃には出家していたことがわかる。
応永23年(1416)10月の上杉禅秀の乱に際しては足利持氏陣営として参陣し、緒戦の鎌倉市街戦では化粧坂あたりに布陣したが、禅秀方の岩松満純勢に敗れ、8日に藤沢道場で自刃した。享年43。法名は普恩寺殿常継仙岩。