武田義信幽閉事件

永禄8年(1565)9月頃、謀叛の疑いで武田信玄の嫡子・武田義信が東光寺に幽閉され、その傅役であった飯富虎昌や曽根周防守らが自刃させられるという事件が起こった。
これは信玄の近習だった山県昌景(飯富虎昌の実弟)が、虎昌と義信の間に謀議があるのを察知し、「いかに兄といえども主家に弓引く企ては許せない」と信玄に密かに伝えたことから露見したという。
この謀叛の理由についてだが、武田氏が今川氏を攻めるという情報を得た義信がそれに反発したことから始まるといわれる。義信の妻は今川氏真の妹であり、その同盟国に攻め入るのは信義に悖る、ということである。
幽閉された義信は永禄10年(1567)10月19日、幽室にて死亡。自害とも、病死ともいわれている。
義信夫人は駿河国の実家に帰された。