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征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)

       幕府
(ばくふ)について





歴史で知りたいテーマのいちらん

【征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)とは】
 幕府(ばくふ)の代表者に与えられた職名。略して将軍という。もともとは平安時代に行われた蝦夷(えぞ 東北地方のこと)征伐(せいばつ)の最高司令官のことであった。

 蝦夷征伐(えぞせいばつ)をした坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)、大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)についた。源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開いてからは、武家政治を行い、武士の棟梁(とうりょう)という意味あいが大きくなった。

 源頼朝以後、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)は、源氏の一族がつくとされた。
【幕府(ばくふ)について】
 鎌倉(かまくら)・室町(むろまち)・江戸(えど)時代の武家政治を行った役所のこと。もともとは、中国で戦争中に将軍が指揮などを行ったテントの場所をさした。日本では、近衛(このえ)大将とその屋敷(やしき)をさして幕府(ばくふ)と呼んだ。

 源頼朝(みなもとのよりとも)が1185年に守護・地頭をおき、1190年に右近衛大将になると源頼朝が住んだ屋敷(やしき)が幕府(ばくふ)と呼ばれるようになり、1192年に源頼朝が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になると、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の屋敷(やしき)が引き続き幕府(ばくふ)と呼ばれるようになった。

 なお、鎌倉幕府が成立したとされる年については、全国に守護・地頭を置いた1185年や源頼朝が征夷大将軍になった1192年など、さまざまな解釈がある。
【征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)と幕府の関係】
 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)には、戦争で獲得(かくとく)した地域に臨時(りんじ)の軍政(ぐんせい 軍がおこなう政治のこと)を行う権利があった。この軍政(ぐんせい)を行う臨時組織が幕府(ばくふ)であり、そのトップが征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)であった。つまり、幕府(ばくふ)とは非常事態(ひじょうじたい)において政治を行う臨時(りんじ)の役所ということになる。

 幕府には、「今、日本は戦争などで非常事態だから、貴族にかわって軍(武士)が臨時に政治をおこなう」という意味があった。その中の
軍(武士)が臨時に政治を行うという意味だけが広がり、鎌倉(かまくら)時代には、この非常事態が日常化してしまっていた。 これが鎌倉(かまくら)幕府である。

 後に開かれる室町(むろまち)幕府・江戸(えど)幕府も同じである。徳川家康(とくがわいえやす)が江戸(えど)幕府を開くころになると、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の本来の意味がうすまり、武士の棟梁(とうりょう)というイメージが完全にできあがっていた。