●世界観B創世記・星の終わりの神様少女1

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 美しい青が残る晴天の夜空に、幾多の星が冷たい輝きを放ち、銀の月は静かに登る。

 昼間の惨状とは一転して、重苦しい緊張感に包まれた地上では、闇の中に浮かぶ船団のように、赤色に揺らめく灯りが燈っていた。

 震災により、市街地は壊滅的な被害をうけ、都市機能は停止。

 重傷者はもちろん死者、行方不明者は数知れず。

 この事態を重く見た星導教会は、避難場所として敷地の一部を開放した。民間人の保護、負傷者の手当て、遺体の収容などを出来る範囲で行っている。

 ライフラインも機能せず、夜になっても教会内の照明器具が、全く使い物にならなかった。そこで教会側は、儀式用に使うランプ、ロウソク、かがり火といった、原始的な化石燃料を使用する器具を利用することで対応していた。

 クレネストは、開け放たれた窓から外の様子をしばし眺めると、疲れた様子で椅子に腰を下ろす。衣服も法衣から、簡素で薄手の白装束に着替えていて、帽子も今はかぶっていない。

 彼女が書斎に戻ってきた時には、部屋中倒れた家具や、大量の本で散らかっていた。

 今はだいぶ整頓されている。本棚は、壁一面に固定して埋められているので、倒れるということはなかったのが幸いである。

(さて、どうしたものでしょうかね?)

 ランプの薄暗い灯りを頬杖ついて眺めながら、これからのことを考えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。居住まいを正し、ノックの主へ部屋に入るよう促す。

「失礼します」

 そう言って入ってきたのは赤毛の青年、助祭のエリオだった。

 クレネストは、部屋の中央にある椅子を指さして、座るようすすめた。彼は静かにそこへ腰を下ろす。

 彼女はしばらく考えるように目を閉じ、両手の指を机の上で絡めた。緊張した様子のエリオが見つめる前で、ゆっくりと目を開く。

 半端に開かれた眠そうな翠緑の瞳は変わらず――しかしまっすぐに、目の前の青年を見つめていた。

「就任早々、このようなことになってしまい大変お疲れでしょう? ですが、よく働いてくれましたね」

 クレネストの労いの言葉に、硬くなっていたエリオの表情が緩む。

「鍛えていますのでご安心ください。クレネスト様の方こそ、あの暑い中、あんなにも動いてらっしゃいましたから、相当お疲れでしょう。僕に出来ることがありましたら、どうか遠慮なさらずお申し付けください」

 決して儀礼的ではなく、心の底から労わっているようで、彼の表情は穏やかだ。

 そんな彼の優しさに、彼女は微笑みを浮かべ――

 意外な物でも見たかのように、エリオは一瞬驚きの色を見せる。

 が、すぐに表情を改めた。

「では、そこにある机をこちらに運んできてください」

 と言ってクレネストは、部屋の片隅にある小さな机を指差した。

 少しばかり重厚感があるが、それほど重そうなものでもない。

 エリオは「はい」と返事をすると、その机を言われた通りに運んでくる。

 クレネストは、自分の机の脇に置くよう指示した。

 彼が運び終えるとその机の上に、筆記用具とかなりの厚みがある書類の束を置く。

 エリオの顔が引きつった。

「あれだけのことがありましたから仕方がないのですが、本当に疲れるのはこれからなんですよね」

「左様でございますか、クレネスト様」

 クレネストの机の上にも、同じくらい書類の束が積み上がっている。

 それを見たエリオは、とてもげんなりした様子で、運んだ机の前に椅子を置き、腰を掛けた。

 早速二人は書類の山を片付けにかかる――

「そういえば、今日のことで何かお気づきになった点はありましたか?」

 作業しながら何気なくクレネストがそう尋ねると、エリオも手を休めずに答える。

「そうですね。クレネスト様もご存知とは思いますけど、ライフライン関連は完全に破壊されているようでして、復旧には相当な時間がかかると思われます。水と食料は、政府の方より順次配給予定ですが、それまでは備蓄分で凌ぐしかありません。加えて、ステラと星動力の供給が途絶えているのも深刻な問題でしょう」

 法術を使うために必要となるステラ――

 それは、星の地中深くから採取される特殊なエネルギー資源だ。

 星導教会が管理している採取施設より、専用のパイプラインで各教会施設に供給されている。

 教会は、古き時代よりこのエネルギー資源を独占し、権力をふるってきたのだ。

 さらに近代では、ステラをある術式で加工することにより、画期的な発明が生まれた。

 それが星動力である――

 星動力は、あらゆる機械を動かす動力源として使うことができた。

 それによって動く機械は星動機せいどうきと呼ばれ、現代では一般に普及している。

 扱い易く、ステラ供給に使われている大掛かりなパイプも必要はない。

 星動線せいどうせんと呼ばれる配線によって、国中に配給することができた。

 また、星動缶せいどうかんと呼ばれる小型缶に、星動力を濃縮した製品も、一般的に売られている。

 エリオとしては、そういった重要エネルギーの供給が途絶えることは、当然のごとく深刻な問題として捉えているようではある。

 が、しかし――クレネストの方は、「そのようですね」と、あまり気の無い返事をする。

 エリオは一瞬手を止めて、訝しげにクレネストの方を見るが、すぐに書類に目を戻した。

「あの、質問いいですか?」

「ん? 分からないところがありましたか?」

 クレネストは顔を上げ、しかし、エリオは手を左右に振る。

「あ、いえ、そうではなくて地震のことについてです」

「ああはい、構いませんけども」

「街の建物は壊滅状態になっていますが、教会施設は殆どが倒壊していませんでした。でも、新しい施設ほど何故か倒壊してるんですよね。昼間クレネスト様は、頑丈の一言で片付けていましたが、もっと別の理由があるような気がしまして」

 どうやらエリオは、そのことがずっと引っかかっていたらしい。

「別に不思議なことじゃないですよ」とクレネスト。

「地震が多い西岸地域出身の建築家が中心となって、教会の設計を行っていたらしいのですよね。私も詳しい技術はわかりませんが、西岸地域の建物は耐震構造といって、比較的強い揺れでも耐えるように工夫して作られてるそうなんですよ。単に建築技術が素晴らしいということで、採用されたそうです。その時の名残ですね。その後、増設された比較的新しい施設に関しては、コストの関係上、この街の業者が建てたものだそうで、そういった工夫はされていなかったようです」

 本来、地震が起きたことがない地域において、金と技術の無駄遣いでしかないだろう。

 倒壊しなかった教会を見て、彼女はそのことを思い出したが、あまり説明している時間がなかった。

 ――ので、便宜上「頑丈」の一言で済ませたということらしい。

 エリオはあれほどの衝撃にも耐え、期せずして役に立った西岸地域の建築技術に、「すごいですね」と改めて賛辞を呈する。

「それにしてもクレネスト様は随分と詳しいようですが、やはり西岸地域のご出身なのですか? 冷静で慣れているような御様子でしたけども」

「そう、見えましたか?」

 クレネストは小首を傾げ、探るような上目遣いでエリオを見る。逆に聞き返されエリオは一瞬言葉に詰った。

「……え、ええ、まぁ、すごく堂々としてらっしゃるように見えましたが?」

「私は中央北部の出身でして、西側へは一度だけ行ったことはありますが、地震は今回が初体験です……。そうですか、皆の手前それは幸いでした」

 そう言ってクレネストは、満足げに表情を緩める。

 司祭の位を持っているとはいえ、彼女が若輩であることは仕方の無い事実。それが理由で皆に、いささか頼りないと思われているのではないか? ということは気にしているところでもあった。

「怖くなかったと言えば嘘になりますね……正直に言えば、心臓が凍りつくような思いでしたよ。ですが、私が取り乱しては皆が余計不安になります」

 そう漏らしたクレネストに、エリオが何か言おうとする素振りを見せる。

 かける言葉が見当たらないのか、顔に迷いを滲ませ――

 結局「はぁ」と少々間抜けな生返事をするだけだった。

 とはいえ、これで済ますのもあんまりと感じたのだろうか?

 数分の沈黙のあと、「お飲み物でもお持ちしましょうか?」とクレネストに尋ねた。

 彼なりにできる精一杯の気遣いなのだろう。年下であっても、尊厳を尊重してくれるこの助祭に、クレネストは心の中で感謝する。

「お願いできますか?」と言うと、エリオは嬉しそうに、「少々お待ちください」と言って席を立つ。

(真面目で人が良いようですが……さて、この私にどこまで付いて来てくれるのでしょうかね)

 静まり返った部屋で、そんなことを考えながら作業を進めていると、ある一枚の書類に目が留まる。

 その書類には――

「レネピン町の農園上空より、大規模な地割れを確認」

 と、書かれていた。

 レネピン町とは、セレストよりやや北西にある小さな町である。

 書類によれば、首都の状況を把握するために出動していた軍の飛空艇――空を飛ぶ乗り物が発見したそうだ。

 今回発生した地震との関連性や、原因について、星導教会と政府の調査機関が合同で調査を行うことを、政府側に要請するものだった。

 教理のためなのだろう。現在は分離したとはいえ、元神権国家のノースランド国では、未だ星導教会の権力は絶大である。

 クレネストは机の引き出しから、黒いファイルを取り出して机の上に開く。中には大陸全土の詳細地図が数ページに渡って入っており、いたるところに赤インクでチェックとメモが入っていた。

「レネピン町……」

 呟きながらページをめくり、町の詳しい位置を調べていると、扉の向こうから声がした。

「エリオですクレネスト様、両手が塞がってますので開けて貰えませんか?」

 クレネストが扉を開けると、両手にカップを持ったエリオが立っていた。彼は「すいません」と言って中に入ってくる。

 エリオは持っていたカップの一つを自分の机に置き、もう一つのカップをクレネストの机に置く。

 その時、地図に目が留まったのか、彼は首を傾げた。

「クレネスト様これは?」

 彼女は一瞬躊躇ったが「まぁいいでしょう」と言って席に戻ると、先ほど見つけた書類をエリオに見せる。

「地割れ、ですか? やはり地震が原因なのでしょうか?」

「いえ逆です。この地割れの衝撃で、地震が起きたと考えられます」

 ページをめくりながらそう答えると、首都周辺のページを見つけ、クレネストはレネピン町の位置を指す。

「つまり、そこが地震の中心点……ということでしょうか?」

「それを震源地と言います……セレストからは星動車せいどうしゃで二時間といったところですね。町はおそらく壊滅状態でしょう」

 クレネストは赤インクをペンにつけると、地図にチェックをつけ、今日の日付とその内容のメモを書き込んだ。

「それは、災害の記録ですか?」

「ええ、ですが災害の記録というより、ここ五年間で起きた奇妙な自然現象の記録です」

 例えば、オーロラが極地以外で目撃された事件。南大陸に生息しているはずの鳥の集団が、北大陸に大移動をしたり、魚の謎の大量死、火山活動の活発化といった内容。

 それらを、できる限り記録しているのだと彼女は説明する。

 インクが乾くのを待ってから、クレネストはファイルを閉じて引き出しに戻した。

「なんかそれ、何か起きそうで怖いですね」

「……エリオ君? それ、他の方に言ったら怒られますよ?」

 クレネストが呆れた感じの口調で言うと、エリオはハッとして気まずそうな表情を浮かべる。

「軽率でした」

 彼はそう謝って席に着いた。

 星を信仰する星導教会において、世界の行く末を疑い、恐れる発言は、教義に反する行為であった。まして今は震災直後なので、口はばかられるのは当然である。

「でも、ここだけの話しですが、この世界は一つとして普遍であり続けるという保障はどこにもないと私は考えています。教義を盲目的に追うだけでは駄目ではないか? とも思うのです」

「クレネスト様……それは……」

「つまらないことを言いました。忘れてください」

 そう言ってクレネストは、何かを言おうとするエリオを片手で制し、カップに口をつける。

 ノースランド国では、言論の自由が認められていないというわけでもなかった。だが、禁止されていないからといって、周りから許されるとは限らない。そのことを、彼女はよく分かっていた。

「美味しいです……紅茶なんてよく作れましたね。お湯はどうしたのです?」

「ええ、一階のロビーで司祭の方達が、星動缶着脱方式のコンロで湯を沸かしてましたので、分けて頂きました」

 クレネストは「そうですか」と呟くと、心配そうにしているエリオを他所に、何事も無かったかのように仕事に戻る。これ以上は言葉もかけづらいのか、エリオも仕方なさげに仕事に戻った。

 それから二人は無言で黙々と書類を片付け続け、外はいつの間にか、漆黒の夜空に変る。

 静かな部屋の中、ものを書く音だけが妙に大きく聞こえ、いよいよ夜も深まってくる頃、あれだけ沢山あった書類の山も厚みを減らす。

 あと十数分ほどで終われそうだと思ったその時、エリオが何かに気がついたのか、一つの書類を怪訝そうに読みかえした。

「あれ? クレネスト様」

 クレネストが顔を上げると、彼は一枚の書類を不思議そうに見つめていた。

「どうかしましたか?」

「いえ、今日の地震発生直後の状況報告書のようなんですが、おかしな点がございまして」

 エリオは書類を持って席を立ち、その書類を彼女に手渡す。

 クレネストは目を通してみるが、彼が言っているようなおかしな点というのがよく分からない。首を傾げ、念のため数回繰り返して読んでみるが、やはりおかしな点は無いように思える。

「いえ、私にはよく分からないのですが、どの点でおかしいと思ったのですか?」

「この部分ですが書類には、『前触れ無く、地面が小刻みに振動し始めた直後に大きな揺れが』と書かれています。でも、それが起きる前に、妙な金属音のような音を聞いたんですよね。そういえば、セイルの奴も全然気がついてなかったようですが、クレネスト様は気がつかなかったですか?」

 と、突然クレネストは顔を強張らせ、勢いよく立ち上がる。

 地震にすら表情一つ変えなかった少女が、あからさまに身体を震わせていた。両腕で自分の身体を抱くと、動揺を押さえ込むかのように力を込める。

「ど、どうしたんですか! クレネスト様!」

 吃驚して駆け寄ろうとするエリオに、片手のひらを見せて「大丈夫ですから」と言う。

 その顔からは血の気が引いており、声はか細く、冷や汗が流れていた。どう見ても大丈夫な様子には見えない。

「もしかして、どこかお体の具合でもすぐれないのでは?」

 それには何も答えず、乱れた呼吸を整えるために、クレネストは一度大きく息を吸って吐き出す。

 ……糸が切れたかのように、彼女は椅子に崩れ落ちた。

 その激しい動揺とは裏腹に、安堵したかのように微笑を浮かべ、

「……そう、ですか。あの音が聞こえましたか」

 震える声で呟いて目をつぶり、彼女は次に言うべき言葉を考える。

 しばらくの静寂――

「ええ、聞こえました。おそらくは誰よりもはっきりと、あの陰鬱な鐘の音を……私以外で、あの音が聞こえるという人に会ったのは初めてです」

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