●世界観B創世記・星の終わりの神様少女1

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 虚しく過ぎ去る時間は、まるで止まってしまったよう。しかしそれは、着実に進んでいる。

(もう、覚悟を決めるべきなのでしょうが……)

 薄暗い書斎で一人、クレネストは物憂げに机の上に並べた物を見つめていた。 

 大き目のカップ。砂混じりの土が積まれている銀製の盆。その横には、鞘に収まった短剣と、円盤型の小さな星動機、小石が一つ置いてある。

 レネピン町の視察から、はや一ヶ月の時が過ぎていた。

 その間、セレスト周辺にある、他の町も視察を行った。

 レネピン町の巨大な地割れ以外にも、大地の歪みが原因と見られる隆起や、細かい地割れが各地で見られている。断続的な地震も起きており、人々の不安を煽り続けた。

(もはやこれは、偶然ではなく、そうなのでしょう……)

 本日ようやく、ステラの供給経路が臨時的に復旧されたとの知らせがはいった。

 クレネストは仕事を早めに切り上げると、食事も取らずにステラの補充を行い、そのまま真っ直ぐ書斎へ戻ってきていた。

 白装束の帯を締めてクレネストは思う。

 エリオには言わなければならないことがある。彼にはいつものように夕食後、書斎へ来るように言っておいた。あとはどのように伝えるべきかが問題だった。

――私がやろうとしてることは)

 両手を見つめ、自問自答と共に何度も握って開いてを繰り返す。

 扉をノックする音が聞こえた。

 心臓が跳ね上がり、体が小刻みに震え始め、

「……ぅ」

 小さく呻き、それでもなんとか心を意識の向こう側へと押し込め、必死に体の震えを収める。冷たい嫌な汗を感じた。

「クレネスト様?」

 扉の向こうからエリオの声がする。

 クレネストは胸に手を当て、荒くなりかけた呼吸を整える。

 顔を上げ――

「どうぞ」

 と言った。

 エリオが、「失礼します」と言って、書斎に入ってくる。

 そして彼女の顔を見るなり、怪訝な表情を浮かべた。

「クレネスト様、なんだか顔色がすぐれないご様子ですが?」

「そう……ですか?」

 言いながらこっそりと机の下で印を切り、独自に作り上げた法術を使う。

 エリオは腑に落ちない様子で、机の上に並べられている物に目を移す。

「……それはなんですか?」

 エリオにとっては何気ない質問であり、別にどうということはないだろう。だが、クレネストはそれに答えず、彼の言葉半ばに立ち上がり、何かを訴えかけるように上目遣いでエリオを見据える。時折口を開こうとするが、上手く言葉にできないのか、ただただ空気が洩れ。

「あの?」

 さすがに普通の状態ではないことに気がついたのか、エリオが心配そうに机の前まで近づいてくる。

 クレネストは一瞬大きく震え、一度は沈めた心臓が、再び早鐘をうち始めるのを感じた。

 もはや無表情に逃避することも叶わず。懇願。恐怖。逡巡。それらが入り乱れた表情を隠せないまま、情けなくも目の前の青年から目が逸らせない。

 やはり、こんなことを話すのは怖い――とてつもなく怖い。もし自分の見込み違いだったら?

 エリオには、理由など到底想像がつくはずもない。

 そんな、らしくもない小さな司祭様の様子に、どう接してよいのか分からないのか、困った顔のまま黙って見つめ返すだけであった。

 二人は机を挟んで、しばらくの沈黙……。

「私は……」

 クレネストのかすれた声が漏れる。

 音の反響しない部屋の中、ただ妙に大きく、水気のない乾いたような音――

「私は中央北部の小さな村に生まれました」

「……? は、はぁ」

 話しの繋がらない流れに、エリオが戸惑いの声を漏らす。

 彼が間抜けな返事をしてくれたおかげで、クレネストはようやく視線を外すことができた。

「五歳の頃、母を病気で亡くしました。父はその後、しばらく生きる気力を失ってしまいましたが、ある時、大量の書物を家に持って帰ってきました。それから父は急に明るく振舞うようになり、私のことも随分と可愛がってくれました」

 話し始めれば少しは心が落ち着いてきた。怪訝な表情をしていたエリオも、何かの空気を察してか、真剣な面持ちになっていた。

「亡くした母の分も、父は私に愛情を注ぎ込むつもりだったのかもしれません。私も、娘としてこれほど喜ばしいことはありませんでした。ですが……」

 そこでクレネストの翠緑の瞳に、より深い影の色が落ちる。

「私が八歳になったある日、父は軍警察に連れて行かれてしまいました。その頃、滅亡主義者が村周辺で子供を誘拐し、おぞましい禁術の儀式を行っていたという事件がありまして、その中に私の父が加わっていたということだったそうです」

 エリオは何かを思い出そうとするように、左手をひじに添えて、あごに右手を当てる。

「ヴェルヴァンジー村事件のことですか? 滅亡主義者の過激派集団が子供を誘拐し、儀式と称して無残に殺していたという異常事態が発覚。軍警察と星導教会による大規模な掃討作戦が行われたと聞きました。僕の住んでいた街でも、当時大々的に報道されていましたから覚えがあるのですが、クレネスト様はそこのご出身でしたか」

 クレネストは頷き、エリオに背を向けると、開いている窓の方へとゆっくり歩いて行く。

 外では雨が降りはじめていた。

「私は一人家に残されてしまいました。父を探して家を出ましたが、結局村はずれの森で倒れていたところを、アルトネシア大司教様の配下の方に保護されました」

 後に聞いた話では、掃討作戦終了後も行方不明の子が沢山いたらしく、しばらくは付近の捜索が行われていたということだそうだ。クレネストが倒れていた森でも、打ち捨てられた子供の遺体が発見されている。

「結果的に両親を失った私を不憫に思われたのでしょうね。アルトネシア大司教様は、私の親が今回の事件に関わっているのを知りつつ、あえて教会に入れてくださいました」

「その……軍警察はお父上が連行された時、クレネスト様には気がつかなかったんですか?」

 エリオが疑問を呈すと、クレネストは自身の後ろ髪を一房掴み、それを見つめる。

「父が大量に持ち込んでた書物がなんなのか、想像がつきますか?」

 逆に聞き返され、エリオが答えに窮する。

「禁術書ですよ。父は禁術を使って私を隠し、騒がないように眠らせるような術をかけていたようですね。父にしてみれば私を守るための行動だったのでしょう。術の効果が切れて、私が気がついた時には、禁術書は全て処分されてしまったのか、一冊も残ってませんでしたけど」

「もう一ついいですか? お父上は教会関係者だったのでしょうか? 術が使えるということは、ステラを保有していたということになりますよね?」

 クレネストはその問いに「いいえ」と答え、掴んでいた髪を握りしめた。

「ステラは、生物が死亡した際に発生し、星に吸収され、星を構成する為の重要な要素になっている……。これは教会の常識ですが、禁術には死んだ人間から発生したステラを、星に吸収される前に体内へ補充する術があるのです」

 薄暗い部屋の闇がより濃くなった気がした。エリオの目は驚愕に見開かれている。

 それが意味するのはつまるところ、他の生命体を犠牲にステラが手に入るということである。

「つまり、お父上はそれでステラを手に入れていたということですか?」

「そうと考えるのが妥当でしょう。誘拐された子供が、そんな事にも利用されていたのだとしたら、禁術施行の罪と殺人の罪で、確実に死刑ですね」

 クレネストは悲しげにうつむいて、

「それと……もうお察しかと思いますが、私も父が保有していた禁術書を読んでました」

 言いつつ窓を閉め、カーテンを引き、エリオの方へ向き直った。

 表面的には、いつもの眠たそうな表情に戻っているかのようにも見える。だが、ランプの灯りから離れ、暗くその場に佇む姿からは、強い憂いの気配が感じられた。

 雨が降っているはずなのに、書斎が異様な静寂に包まれている。

「幼少の頃、私の興味は禁術……というよりも、術そのものの原理、仕組みに注がれていたのです。禁忌かどうかの区別等なく、独自の術を生み出せるまでになりました」

「クレネスト様!」

 クレネストの口ぶりに危険な物を感じたのか、エリオが思わず制止の声を上げる。

 そんな彼の様子を見て、クレネストは肩を竦めた。

「勘違いしないでくださいね。私はステラを得るために、そんな生贄のような真似はしていませんから」

 それを聞いたエリオは、いささか間抜けな表情のまま固まる。

(私が言いたいのは……)

 クレネストはうつむき、目を伏せ、胸に両手を重ねた。

 いいだけ言葉を並べ、覚悟も決めたはず。それでも尚、いざ口にしようとすると、

「わ、私が……い、言いたいのは……禁術の、中に……」

 声が容赦なく震え、それでも無理矢理続けて、

「法術だけでは、知りえない、事実を知ることができ……できる。そんな術まで……あるということ……です」

 クレネストが顔を上げ、水気を失った瞳が青年を凝視する。

 唾を飲む音が、ことさらシミのようにはばかった。

「わ、私は……禁術を使いました……」

 まるで許されない懺悔の言葉。

 エリオの表情が一瞬で険しいものに変る。

 ――ついに言ってしまった。

 クレネストは自覚と共に立っていることすらできず、その場に膝から崩れ落ちた。

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