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同時に放たれた十二本の杭は、あらぬ方向へ飛び、地面に散らばった。
目の前の的にはかすりもしない。
エリオはその結果を、難題に悩む生徒といった感じの表情で眺め、頭を掻く。
「ええと、エリオ君って言ったっけ? クレネスト司祭の助祭の子だよね君。星痕杭のことはよく分からないけど、見た感じ、その使い方はなーんか危ないんじゃないの?」
後ろからかかった声に彼が振り返ると、そこには司祭法衣の女性が立っていた。
若干青味のある、少し長めの黒髪。上背は、エリオとクレネストの丁度中間ほど。
とりたてて美人というわけではない。
ただ、とても愛嬌のある顔立ちで親しみやすい印象。年上の優しいお姉さんといった感じだ。
――で、思わずその豊満な胸に目が行きそうになり、彼はすんでのところで自制した。代わりにエリオは咳払いをして間を取る。
「フェリス様……いやはや、これはお恥ずかしいところをお見せしました」
そう言ってエリオは会釈するが、フェリスは人差し指を立てて左右に振る。
「様って、そう硬くならなくていいよー、エ・リ・オ・君!」
「は、はぁ……」
言葉に妙なアクセントをつけ、にこやかな顔で接近してくるフェリスにエリオは困惑した。
あまりに厳格すぎて、とっつきづらいのも困るが――目上の人間がこう砕けているというのも、それはそれで間合いが計りづらい。
「それでまた、なーんでこんな練習してるのかな?」
「すいません、耳元で囁くのはご勘弁願います」
エリオは逃げるようにフェリスから離れると、地面に散乱した十二本の杭を広い集めていく。
星痕杭とよく似ているが、幾分か安っぽい造りのこれは――星痕杭の射撃練習用のために作られた模造品である。
大きさ、重さ、いずれも本物と同じ程度。安全のため先端が丸みを帯びており、低出力で威力が抑えられている。
その代り、親指ほどの大きさの星動缶一本で、数百回は射出できるようになっていた。
エリオは模造杭を全て回収すると、フェリスの方へ戻ってくる。
「あのようなことがありましたので、技を少しでも磨いておこうと思いまして」
言いつつ、まるで手品のように手際よく、指の隙間に模造杭のもち手を挟めていった。
両手に六本づつ、全部で十二本――
「へぇ器用ねー、すごいー、おもしろーい」
フェリスが手を叩いて褒めてくれるものの、エリオの表情は冴えない。
それもそのはず、一本一本はそれほど重くないとはいえ、片手に六本。指に挟めているのである。
体勢を維持しているだけでも相当にきつい。
強化法術を使えば少しは楽なのだろうが、それには管轄している司祭の許可が必要なので今は使えない。とはいえ、法術が使えない状況でも上手く扱えるように仕上げるのが目標だった。
「あぶないので離れてください」
エリオがそう言うと、フェリスは少し下がって見守る。
彼は静かに顔先で、腕を十字に構えた。
離れた場所に置かれている円盤状の的を見据えながら、ステラを送り込んで模造杭を起動する。
目標までは、距離にして十数歩程度。
鳥が翼を広げるかのような動作で大きく腕をふるい。
鋭い呼吸と共に、模造杭を放つ――
噴射音と共に、風を切りながら、一斉に杭が飛んでいく。
本物に比べれば、いささか迫力に欠けるその音。
三本ほど的に当たりはしたが、残りの九本は大きく的を逸れて地面に転がった。
その残念な結果を見て、エリオはがっくりと膝に手をつき、そのまま考え込む。
踏み込む位置、離すタイミング、力の入れ具合、角度――なにが問題なのだろう?
そんな彼の背中に、歩み寄ってきたフェリスが労わるように手を置いた。
「うーん、少し休んだほうがいいと思うよ。そこのベンチに座ったら?」
「はぁ……そうします」
言われてエリオは、杭を拾い集めてから、射撃訓練所の端に置かれたベンチに腰を下ろした。
すると、そのすぐ横にフェリスが寄り添うように座り、触れ合う肩の感触に吃驚して、彼は思わず飛びのく。
「あ、あの、近いです」
「あははは、可愛いねー君は、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」
どうにもからかわれていると悟り、エリオはげんなりとした表情で溜息をついた。
「それで、こんなに頑張っているのはやっぱり彼女のため?」
フェリスが興味深げにそう尋ねると、エリオは視線を高くして、ベンチの背もたれに寄りかかる。
「……昨晩、僕は殆ど何も出来なかったばかりか、あの方に怪我をさせてしまって」
未だに目に焼きついて離れない。砂埃の向こうで傷つき、血を流しながらも毅然として屹立していた少女の姿。しかし、彼女だって当然怪我をすれば痛くないはずがない。
「うーん、君は助祭になってからどのくらい経つの?」
「一ヶ月ちょっとです」
「なら、まだまだ駆け出しってところだね。今すぐ役に立つことを考えるよりも、学ぶことを優先しないと、無理して体壊したら元も子もないよ?」
一般論としてその通りではあるのだが、昨夜のようなことが、今後も起こらない保障はない。その度に彼女に守られているだけというのは、あまりに耐え難いものがあった。
「僕は……あの方の力になりたいんです」
エリオがぽつりと呟き、フェリスが納得したかのように腕を組んでうんうん頷く。
「わかるよー男の子。彼女可愛いし、惚れた女の子の力になりたいというのは当然だもんね! あー私もこんな健気な助祭の男の子が欲しい……って、どうしたのかなー?」
エリオはそのまま背中から地面に滑り落ちていた。
フェリスが座っていなかったら、ベンチごと後ろにひっくり返っていたことだろう。
「い、いえ、そういう意味じゃなくてですね。というかそもそもクレネスト様は僕の上司ですので、その……そういうことは困ります」
そう言ってエリオは、よたよたと立ち上がってベンチに座り直す。
フェリスはそんなエリオの反応を見て、面白そうに笑っていた。
「まぁ気持ちはわかるけどねー、そういうことって焦りは禁物だよ。そうねー、どうしても今すぐにというなら、別にこれ以外でも役に立てることってあるんじゃないかな?」
「これ以外……ですか」
そう言われてみれば、昨晩のことで頭がいっぱいで、戦うことばかりを考えていた。クレネストの力になりたいのであれば、まず、彼女についてよく考えてみることが先決である。
見落としを反省すると共に、そういう風な捉え方をすれば、なんとなく自分にもできそうなことは沢山あるのではないか? と思えてきた。
「そうですね、これはこれで練習は続けますが、考えてみることにします」
そんなエリオの顔を、フェリスは横から覗き込んでにっこり微笑む。
「ほー、お姉さんちょっとドキっとしちゃったかなー? 良い顔になってきたよエリオ君。惚れちゃうかも」
エリオは額に汗を浮かべ、あさっての方向を見る。彼女はなにかそういう趣味でもあるのだろうか?
「と、ところで、クレネスト様は?」
「彼女? 彼女なら記者会見が始まる直前まで打ち合わせしてたんだけど、たぶん寝たと思うよ? 眠そうな顔してたし」
いや、それはいつもそういう顔してるので、と、エリオは思わず口を滑らせそうになる。
「昨晩は、結局何時までかかったんですか?」
「私以外は徹夜だったみたいだね。アーレス司教様もレイオル司祭も、記者会見が終わった後は姿見てないし」
「はぁ、それであの……教会の方はよろしいので?」
「うん、今は閉鎖中だし……ついでだから助祭の子達に本堂の掃除してもらってる」
そう言って、フェリスは膝の上に頬杖をつく。
急に静かになったので、エリオが気になってその横顔を覗き込むと、なんだか彼女は浮かない表情で考え込んでいる。
「何か気がかりなことでも?」
「うーんまぁ今更なんだけどねー、でも、やっぱり私としてはあまり納得がいかないかなって」
「それは、クレネスト様が昨夜の功績を、あなた方にお譲りになったことに対してですか?」
エリオが尋ねると、フェリスが「うん」と、小さく頷く。
「彼女の言うことも理屈としては理解できるんだけどね。私としては、貴方達の手柄を横取りしたみたいな感じで、なんだか気が引けるかなー、なんて……」
そう言ってフェリスは、申し訳なさそうに目線を地に落とし、落ち着きなく体をゆっくり左右に揺らす。
エリオもクレネストから、帰路の途中でそうすることを聞かされてはいた。
彼からしてみればその理由など、本音に至るまで容易に想像がつく。
しかし、建前としては彼女のことだから、おそらくはもっともらしい理屈をつけて辞退したのだろう。周りから見れば、ただ無欲で立派な心がけに映るか、あるいは折角の功を逃す理解し難い行動にも映るかもしれない。
いっそフェリスが出世欲旺盛であれば、このように悩まなくてもすんだのだろうが……
彼女の尊厳を傷つけないよう、エリオは極力言葉を選んで口を開く。
「いえ、そのお言葉だけで十分です。クレネスト様のご配慮を無駄にしないよう、僕からもお願い致します。ですので、どうかあまりお気になさらないでください」
エリオがそう言うと、フェリスがすっと立ち上がった。
「彼女がどうのというよりも、君的にはどうなのかなー? こんなこと滅多にないよ? 手柄が惜しくないの?」
エリオに背中を向けたまま、腰の後ろで手を組んで、フェリスが探るように聞いてくる。
(そう言われても、困ったなぁ)
当然エリオにしても、クレネスト同様最初から惜しいも何もない。こんな時、クレネストなら簡単に答えをはぐらかすのかもしれないが、彼はどうにも正直過ぎた。
「その……僕はクレネスト様を信頼しています。正しい方向へちゃんと導いてくださっていると信じていますし、あの方にどこまでもついて行こうと決めました。だから……」
フェリスが愕然とした表情で、エリオの方へ振り向いた。
「か、彼女凄いね……何をどうやったら助祭の子にここまで言わせちゃうの?」
そう言われてエリオは、一瞬何のことかわからなくて、マヌケ顔で固まった。
やがて理解が追いつくにつれ、顔が強張っていく。
嘘にならないよう言葉を選んだつもりで、よく考えたら、とんでもないことを口走っていたことに気がついた。
これではまるで、なにかの告白みたいではないか。
「えっ? あ、いえ! その! いいいいいまのはクレネスト様には内緒ですよ!」
顔を真っ赤にして、エリオは顔の前で両手を振った。
「うーん、彼女喜ぶと思うけどなー」
フェリスは口元に人差し指を当てて、視線を宙に泳がせながらそう呟く。
「でもねー、私としてはやっぱり、このままじゃ気がすまないのよね」
彼女はそう言うと、膝に両手をつき、中腰になってエリオの顔を覗き込んだ。
「そ、そう言われましてもね」
遠慮するように言ってみるが、彼女は無言でゆっくりと迫ってくる。
息も触れそうなほどの距離に近づき、エリオは刺激的な色香にうろたえた。
角度もちょうど、襟の隙間から胸の谷間が見えて、目が変に泳ぎまくる。
見たいのか見たくないのか、いや当然、見たいのはやまやまだが――じゃなくて見てはいけないだろう? いやいやまてまて、この人は見せているのか?
頭の中がごちゃごちゃのまま、椅子の背もたれにエリオは張り付いた。
それ以上逃げることも叶わず、フェリスはそんな彼の反応を見てにんまりとする。
突然――その後ろ頭に素早く両手を回した。
「えっ? えっ?」
戸惑うエリオの隙をついて、あろうことかその顔面を、自身の豊満な胸へと引き寄せた。
何が起きているのかわからず、ただ息ができなくて手足をバタつかせるエリオ。
なにか柔らかい物に埋まっているのは分かるが、理解が追いつかない。
「ね? だから、君に特別ご褒美……」
フェリスは両腕で、彼をがっちりと捕まえて逃がさない。
とはいえ、さしもの彼女も多少の恥じらいからか、ニコニコしつつも顔を赤らめている。
「このくらいは……んっ……当然……だよね?」
十分な色気を含んだ甘い声。
彼はようやく、自分の置かれた状況を把握し始めた。
その途端、柔らかい左右のそれ等が、凶悪な劣情を伴った感触へと変化する。
頭へと一気に血液が昇りだしていった。
(ちょっ! 長い! 長い! 長い!)
だが、女性経験など全くないエリオにとっては、その感触を楽しむ余裕などなかった。
心臓が早鐘をうち、茹でられた軟体生物の如く、耳の裏まで真っ赤に染まる。
動けば動くだけ、逆に女性の鮮烈な感触が伝わり、体中が沸騰しているかのようだった。
フェリスは吐息を漏らしつつ、わざとに力を込めたり抜いたりを繰り返し……
と、そこで彼は、力尽きたように動かなくなった――
「ありゃ? やりすぎちゃったかな?」
体が離れ、ぐんにょりとしたまま目を回してるエリオを見て、ぶりっこのポーズで誤魔化すフェリス。
「でも、これで貸し借りなしということで、いいよね?」
エリオはそれに答える気力もなく、背もたれを滑りながら横倒しに倒れこんだ。