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クレネストが宿舎から出ようと玄関の扉を開けると、フェリスとばったり出くわした。
「うわぉ、びっくりした!」
「あ……失礼しましたフェリス司祭」
咄嗟に扉を避けたためか、妙なポーズで目を丸くしているフェリス。
それとは対照的に、クレネストは静かにお辞儀をする。
「お、起きたんだクレネスト司祭……よく眠れた?」
「はい、おかげさまで」
クレネストはそう答えると、何事もなかったかのように宿舎の外へ出ようとした。
が、その時――
「ちょっと待った」
フェリスは何かを見咎めたように、横を通り過ぎようとした少女の手首を掴んだ。クレネストはその手を不思議そうに見てから、彼女の顔に視線を移す。眉が釣り上っていた。
今朝のことで、まだ何かわだかまりでもあるのだろうか? と身構える。
「こっちきて!」
「あぁ、あの?」
「いいから、こっちきて!」
そのまま有無を言わさず、フェリスは彼女をずんずんと引っ張っていく。
クレネストはしょうがなくそのまま引っ張られ、一体どこへ連れて行かれるのだろうか? と思っていると……一階の広間を抜けて着いた先は、浴室に隣接している化粧室だった。
フェリスはクレネストを洗面台の前に立たせ、彼女の帽子を台に置く。
懐から櫛を取り出すと、寝癖で爆発している少女の髪の毛を、水で湿らせながらとかし始めた。
「だめだよー、折角可愛いんだからさー」
「はぁ……これは失念していました。ありがとうございます……」
さすがにここまで酷いことになっているとは思っておらず、鏡に映る無様な自分の姿を見て、クレネストはしゅんとする。
就寝前に沐浴しなおしたのだが、あまりにも眠かったので、髪の毛をよく乾かさないうちに眠ってしまったせいだろう。
――少女の長い髪をひとふさ手に取り、フェリスが興味深げにしげしげとそれを眺めた。
「それにしてもほんと不思議な色ねー、もとからこうなの?」
「いえ、小さい頃はフェリス司祭と同じような感じでしたけど、その……色々とありまして」
言いよどむクレネストに、フェリスがしまったという表情で、慌てて頭を下げる。
「あー、なんかごめん、言いたくないならいいよー」
「あ、いえいえ」
鏡越しに映る大袈裟な反応の彼女に、クレネストの方が思わず苦笑してしまった。
気を取り直すかのように、フェリスは自分の頬を叩く。
それから丹念に、クレネストの青銀の髪へ櫛を入れていった。
クレネストにはその感触が心地よく感じられ、次第に呆けたような表情になり……
「あれ? 少しだけ癖があるのかな?」
「はい……どうしても、ところどころ跳ねてしまいますので、程々でお願いできますか?」
「ほい」
軽いノリで返すフェリス。温風の出る星動機を手に取り、ふんふんと鼻歌を歌いながら、なんだか妙に楽しげである。このまま人形にされないか心配だった。
「あの……ところで、私の助祭は見かけませんでしたか?」
「エリオ君? 彼なら射撃練習場ですごく頑張ってたよ」
「はぁ、射撃練習場ですか……?」
特におかしな話ではないのだが、フェリスの言葉の裏に何かを感じ、首を傾げて口元に手を当てる。
その様子を見て取ってか、フェリスが付け加えた。
「えっとね、昨夜の騒ぎであなたが怪我したことを相当気にしてたみたいだね」
「あー……そういうことですか」
クレネストはおおよその事情を察っして、軽く息をつく。
自分としてはさほど気にしてはいなかったのだが、彼にとってそうではなかったらしい。
「一度に沢山の杭を撃とうとしてたけど、あんまり上手くいってないみたいね」
それを聞いてクレネストは、困ったように呟く。
「……もぅ……しょうがないですね……」
「まぁまぁ、男の子ってそういうところあるからさー」
「……はぁ」
複雑な心境で、クレネストは視線を落とす。どうにも判断に悩むところだった。
平和な世の中であれば、射撃訓練などは腕が鈍らない程度に行っていればよい。
そればかりに没頭しているようならば、もっと他に大事なことがあると諭さなければならない。
だが、今は事情がかなり異なっている。これから破局へ向かう星の上で、そういった力を身につけていくことは決して悪い方向性ではないと思う。
(教会の慣習ではなくて、一度ちゃんとした訓練を受けてもらった方がよいかもしれませんね)
今後どうすべきか、あれこれ考えをめぐらせていると、頭の上に何かが乗っかる感触がした。
鏡に視線を戻すと、すっかり寝癖がなおった自分の姿。それどころか、いつもより数段綺麗になったように見える。頭の上に乗せられたのは帽子だった。
「こんなもんでいいのかな?」
少女の小さな両肩に手を置いて、フェリスが尋ねる。
「はい……あ、えっと……ありがとうございます」
「いやまー気をつけなよー? しっかりしないとエリオ君に嫌われちゃうぞ」
温風機を片付けながら、フェリスが冗談まじりに言う。
クレネストは苦笑して「気をつけます」と答えた。
昨夜のことで何か言われないかとも思ったが、結局彼女はそれについては何も言わず。
――化粧室を出て、広間でフェリスと別れると、クレネストは再び玄関へと向かった。
さして長くもない廊下を進み、玄関に到達すると、改めて外に出ようと扉を開く。
「おっと」
今度は、開いた扉を華麗なバックステップで避けるエリオの姿があった。
今日は妙な日だ――クレネストはもともと半眼の目をより細めた。
「クレネスト様……お目覚めになられましたか、おはようございます」
「ええ、おはようございます」
クレネストはそう言いつつ、頭を下げているエリオの姿をしげしげと眺める。
射撃訓練をしていたと聞いていたが、彼にさほど疲れている様子はない。
だが、両手を隠すように後ろへ回していることに気がつき、クレネストは思いのほか素早い動きで彼の手首を捕まえた。目の前に引き寄せる。
見ると手の平から指にいたるまで、マメが裂け、所々血が滲み、見るのも痛々しい状態になっていた。
「相当、頑張ったみたいですね」
「こ、これはその……」
剣呑な声で言ったつもりはないが、エリオは気まずそうな表情を浮かべている。
クレネストはそんな彼の顔を見上げて、
「治してあげませんし、自分で治すのも許可しませんからね。こちらへ来てください」
そう言うなり、か細い腕に似合わない力強さで、そのままエリオを引っ張っていく――
彼を宿舎の広間まで連行し、そこで待たせると、クレネストは事務室のある方へと消え――数分後、救急箱を両手でぶら下げながら戻ってくる。
長椅子に座っている彼の傍らに座り、その腕を取ろうとした。
と――、エリオが驚いたように飛びのいた。
「どうかしましたか?」
怪訝そうな顔でクレネスト。
「あ、いえ……」
「もう少し寄ってくれないと手当てが出来ないじゃないですか」
そう言いながら、脇に救急箱を置き、中から消毒液とガーゼ、包帯、ハサミを取り出す。
エリオは、遠慮がちにクレネストの様子を伺いながら、元いた位置へ腰を戻した。
「手を出してください」
言われたとおりに、エリオは手を差し出した。
クレネストはその手を取り、傷口を消毒する。慣れた手つきでガーゼを当て、その上から包帯を巻いていった。
「その……申し訳ございません……」
ぽつりと漏らしたエリオの言葉に、クレネストは嘆息する。
彼の顔を盗み見ると、なんだかとても悔しそうな表情をしていた。
(男の子ってそういうところがある……ですか)
フェリスの言葉を思い出し、彼女は表情を緩める。
「こんなになって、痛いでしょうに……でも、修行の痛みはあなたの糧になります。この痛みを忘れてはいけませんよ?」
優しい声でクレネストはそう言いつつ、包帯まみれのエリオの手を両手で包みこんだ。
エリオは一瞬驚きの表情を浮かべ――それから恐縮したかのように硬く目を閉じて、何も言わず頭を下げた。
両手とも包帯を巻き終わると、クレネストは道具を箱に戻し、両手でそれを持って立ち上がる。
「あ、僕が持ちますよ」
「大丈夫ですか?」
「はい、さすがにそのくらいは」
と言ってエリオは立ち上がり、彼女が持っている救急箱に手を伸ばす。
クレネストは、そんな彼の挙動を注意深く観察しながら手渡してみる――が、どうやら本当に大丈夫そうである。この分だと、今夜の運転にも支障はなさそうだ。
クレネストはエリオを引き連れ、救急箱を元の場所へ返却すると、再び玄関の方へと向かう。
「そういえば、さきほどからあまり人を見かけませんが、皆さんはどうされてるのです?」
「アーレス司教もレイオル司祭も、本日はまだお見えになっておりません。教会の方も今は閉鎖中ですし、助祭の方達はフェリス様の指示で、本堂の掃除をしてるみたいですね」
それを聞いて、クレネストはどうしたものかと思案する。
本来であれば、掃除を手伝うよう指示を出すところだが、なるべく彼には体力を温存しておいてもらいたい。
――玄関をくぐり、正門から本堂へ繋がっている道へ出て、辺りを見回す。
破壊された正門には、修繕作業を行っている業者の姿が見えた。
その手前には、黒い何かの塊が放置されている。おそらくは、昨夜炎上していた車だろう。
クレネストは肩越しにエリオを見る。
「そういえばエリオ君、昼食はもうすませましたか?」
「いえ、実はまだ」
「私も先ほど起きたばかりで何も口にしていませんので、そうですねぇ……では、今日は街の方へ行きませんか?」
「よろしいので?」
クレネストはスカートをひるがえしながら、エリオの方へくるりと体を向ける。
腰の後ろで手を組み、若干前かがみになりながら、伺うような上目遣いで彼を見た。
彼女にしては珍しく大仰な仕草に、エリオが目をぱちくりさせる。
「ええ……それとも私では不服ですか?」
悪戯っぽくクレネストが聞いてみると、エリオは表情を緩め、姿勢を正す。
「はい、喜んでお供します」
クレネストは満足げに頷き、エリオを連れて街へと向かった。