★☆5★☆
ペルネチブ半島付近に、突如現出した謎の巨大な柱――
人々の間では、さまざまな憶測が飛び交い続けていた。
政府はすぐに調査隊を派遣した。
柱の周囲には青い霧のようなものが絶えず渦巻き、中に入ろうとすれば、はじき返される。
その強固な障壁に阻まれ調査は難航するばかり。
結局のところ――遠方からの観測による全貌を、民衆に伝えるだけにとどまった。
これが一体何であり、何を意味するのか?
テスタリオテ市の星導教会では、朝から参拝に訪れる客足が途絶えず――
皆一様に不安な表情で必死に祈りを捧げている。
閉鎖していた本部においても臨時開放を余儀なくされ、屋外広場に設けられた壇上では、アーレス司教による説法が延々と続いていた。
(うーん、アーレス司教だいじょうぶかなー?)
正門前に設けられた案内所から、長蛇の列を作る参拝客を見て、フェリス自身も目の回るような思いだった。
この状況で、アーレス司教に倒れられでもしたら一大事だ。
補佐しているレイオル司祭が、そうならないよう上手く立ち回ってくれるだろうとは思う。
「あの、司祭様……これから一体どうなるのでしょうか?」
参拝客の女性が不安げな表情で話しかけてくる。
一体何度同じような質問をされたことか、いつもは陽気なフェリスも今日ばかりは気が重い。
そもそも何が起きるかなんて、自分が教えて欲しいくらいなのだ。
とはいえ、バカ正直にそう返答はできないので、フェリスもひな形のような回答を伝えるだけだった。
「ただいま本教会の司教様が、この件に関して『星導本教』のお話をされていますので、そちらをお聞き頂きますようお願いします」
それを聞いて女性は、合掌して頭を下げると、列へと戻っていった。
司祭の自分がこれ以上ここにいると、そのうち大勢の質問攻めに合いそうだ。
この場は助祭の子達にまかせようかと考えていると――ふと駐車場の方に、星動車へと荷物を運び込んでるクレネストとエリオの姿がうつった。
フェリスはニコニコしながら、そちらの方へと近づいていく。
「おっはよー」
そう声を掛けると、クレネストとエリオが振り向き、
「おはようございます」
二人は全く同じ言葉を一致させ、それを聞いたフェリスが「あははは」と陽気に笑う。
「お二人さん、息ぴったりだねー」
エリオが咳払いをして頬を染めるが、クレネストはよく分かっていない模様。
フェリスは一息ついてから続ける――
「そっか、もう行っちゃうんだね」
「ええ、後一時間程したら出発します……。あの、その間だけならお手伝いできますが?」
長蛇の列を眺めてそう申し出るクレネストに、フェリスは両手を振り、苦笑しながら言う。
「あー止めたほうがいいよー、朝から同じ質問ばっかで疲れるから」
「はぁ……その、申し訳ございません」
深々と頭を下げるクレネスト。
「いいよいいよー……あなた達は巡礼の方、頑張ってね」
フェリスは彼女の肩に手を置いてそう言うと、今度はエリオの方を見る。
目が合うと、彼は一瞬ビクりとして、何だか落ち着きのない様子だ。
(昨日のこと、意識しちゃってるのかな?)
と、フェリスは勝手な憶測をしてみる。あながち的外れではないかもしれない。
少々意地悪に、悩ましげな仕草で声を掛けてみる。
「エリオ君も彼女のこと、ちゃんと助けてあげるんだぞ?」
「あ……はい……」
エリオは後ろ頭をかきながら小声で答える。どうやら、まだまだ自信と度胸が足りなそうだ。
(純情ねぇ、今時珍しいわホント)
隣のクレネストと視線を交わしてみると、彼女は仕方なさそうに肩を竦めた。
そちらの方は、二人の間で上手くやってもらうとして――フェリスは気になる質問をしてみる。
「それはそうと、あなた達は例のでっかい柱の件、どう思う?」
風変わりだが、聡明そうな彼女なら、何か面白い見解が聞けるのではないかと内心期待した。
それを知ってか知らずでか、クレネストはあごに手を当て、思案顔でうつむく。
「憶測で物を言うと混乱の種になりますから、正式な調査の結果を待つべきと思いますが?」
お説ごもっともである――これではどっちが大人なのか分からない。
とはいえ、彼女もここで引き下がっては面白くない。
「いやっ、そーなんだけどさー、私もちょっぴり怖いかなー……なんて」
両手の人さし指を合わせながら、そう言って愛想笑いを浮かべてみる。
そんなフェリスを真顔で見据えながら、クレネストは小声で意見を述べ始めた。
「まぁ、確かに皆さん不安でしょうね。例えば……数日後に周囲が吹き飛ぶとか、よからぬ病気が広まるとか、謎の生命体が襲撃してくるとか、セレストの地震に関係してるとか……あ、一昨日のあの事件みたいに今度は」
フェリスの笑顔が凍りつく――
「ちょ、ちょっと、ほんとに怖いこと言わないで!」
「冗談ですよ……もしかしたら古代文明か何かの遺跡かもしれませんし、もしそうだったとしたら、なかなか興味深いですね」
「あー、なるほど確かにねー」
彼女の前向きな意見に、ほっとフェリスは胸を撫で下ろす。
もちろんクレネストの大嘘なのだが、気がつきようはずもない。
「まぁ……どちらにしても、今やるべきことは決まってますでしょう?」
「うん、そうだね」
一刻も早く市民の不安を取り除くことこそが、教会の役目である。
フェリスが今一度、気持ちを奮い立たせようとしたその時――
「破滅だ! あれは破滅の使者だ! お前ら全員死ぬぞー! これで世界は終わるんだー!」
「星導教会は無意味なことをしている! この星は滅ぶんだ! この世に都合の良い救いなどない! 絶望を受け入れろ! その中で流れるように生き、静かに滅ぶのが正しいのだ!」
横断幕やプラカードを掲げ、星導教会を痛烈に批判しながら、参拝客の列に平行する形で行進してくる集団が現れた。
一般人には、まさにわけのわからない主張を繰り返す。
助祭達や警備員がそれに気がつき、慌てて退去させようと殺到すると、たちまち掴み合いに発展してしまう――
「あ、あいつらー!」
滅亡主義者の出現に、フェリスは両拳をわななかせ、怒り心頭である。
この忙しい時に、心底迷惑極まりない。
だがその時、不気味な薄ら笑いを浮かべたクレネストが、フェリスの脇を通過していく。
なにやら有り得ないものを間近で直視してしまい、フェリスの背中に物凄い怖気が走った。
「ここにクレネスト様が居たのが彼等の不幸かもしれません」
「い、いかなくていいの?」
フェリスがエリオに尋ねた矢先、次々と情けない悲鳴が上がる。
見ると数十人の滅亡主義者達が宙を舞わされていた。
「あなた達は流れるように生きてるんじゃなくて、他人を巻き込んで流そうとしてるだけでしょう! 弱さの虚無を説くならば! せめて他人の足を引っ張るんじゃありません!」
大音量でクレネスト怒りの説教――
一瞬遅れて、参拝客から拍手喝采が上がる。
「邪魔しては悪いでしょう?」
そう言ってエリオは肩を竦め、逃げ惑う滅亡主義者達を眺めながら、フェリスも思わず苦笑い。
「すっごい迫力だねー、彼女でもあんなに怒ることあるんだー」
クレネストに挑みかかる者もいたが、ことごとく地面を這わされ、宙へ放り投げられたりと、己の無謀さを知る結果となった。
彼女の振るう強力な法術の前には、まったくの無力である。
ついには参拝客からも「帰れ!」の声が湧き上がり、立て続けに石が投げつけられ、意気消沈した滅亡主義者達が渋々退散していく。
あとを助祭達にまかせ、ひとしきり強制退去を終えると、クレネストがいつもの表情で戻ってきた。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「あははー、助かったよー」
頬の横で手を合わせ、フェリスが笑顔で出迎える。
彼女が暴れてくれたおかげで、さきほどまで不安そうな表情を浮かべていた参拝客に、少しだけ笑顔が見られ始めた。
結果的に良い兆候となり、滅亡主義者達の思惑と正反対になったことは、教会側としてはなかなかに痛快だ。
――と、星動車の荷台を閉める音が鳴り、二人の視線がエリオの方に向く。
「クレネスト様、準備の方が整いましたが?」
「……ええと、まだちょっと時間がありますね」
あごに手を当てて、思案顔のクレネスト。
それを見てフェリスがぽんっと手を打ち、
「じゃあ、ちょっとお茶にしない?」
「よいのですか?」
長蛇の列の方を気にして、クレネストが尋ねる。
「うん、そろそろ休憩しようと思ってた所だし、あの様子なら大丈夫でしょ」
「そうですか……ではエリオ君、お言葉に甘えるとしましょう」
フェリスは「やった!」と言って飛び跳ねると、二人を連れて、宿舎の方へと向かう。
正門を抜けても尚、列は宿舎前にずらりと並んでいた。それを横目に、三人は宿舎の中へと移動する。フェリスは階段を登り、三階にある自室まで二人を案内した。
「じゃーん! というほどのものでもないけど、ゆっくりして」
フェリスの部屋は結構な広さがあり、中央にはガラステーブル、それを挟むように小さなソファが二つ置かれていた。部屋の脇には大きな本棚があり、難しそうな本がびっちりと並んでいる。
「そこに座っててー、いま紅茶入れるねー。エリオく~ん、下着とか探したらやだよー」
「さ、探しません!」
顔を赤くして力いっぱい否定するエリオ。
クレネストの方は、とくになんということもなく、ソファに腰を掛ける。
――と、その後ろで立ったままのエリオを不思議そうに見上げた。
「座らないのですか?」
「え? あーえーと? 隣よろしいのですかね?」
意味を図りかねているのか、クレネストが首を傾げる。
キッチンでポットの湯を沸かしながら、そのやり取りを聞いていたフェリスは思わず吹いた。
助祭が司祭の後ろに控えているのは当然の行動と言えるのだが、フェリスは悪巧みを思いつき、ニヤリと笑う。
「エリオくーん、私の隣に座りたかったら別にかまわないよー?」
「なっ! ちょっ!」
からかうように声を掛けると、エリオが面白いほど狼狽し、
「え、えっと……そうなんですか?」
真に受けるクレネストに、エリオが焦りの声を上げる。
「い、いや! クレネスト様そうじゃなくてですね!」
「で、クレネスト司祭的には、どっち側に座ってもらったほうが嬉しいのー?」
その質問に、今度はクレネストの方が「えっ?」と言うと、うつむいて頬を赤く染める。
「ど、どっちに……ですか?」
口元に手を当てながら真剣に考え込みだすクレネスト。
「フェリス様、話がややこしくなるのでご勘弁ください」
エリオの言葉に、いまいち堪えきれていないフェリスの忍び笑いが聞こえる。
結局、エリオはクレネストの隣に座った。
クレネストが一瞬エリオを見るが、すぐに気恥ずかしそうに視線を落とす。
やがて紅茶を運んできたフェリスは、クレネスト、エリオ、最後に自分の分をカップに注ぐと、向かい側のソファに腰掛けた。
優美な手つきで紅茶をひとすすりし、フェリスが口を開く――
「本山は大丈夫って聞いたけど、セレストのこと……大変だったね」
クレネストの方も、負けず劣らず鮮やかな手つきで紅茶をすすり、
「何分、首都機能が麻痺し、東地域では前例の無い事ですので、対応も遅れてしまうのが悔やまれます」
「あーわかるー、そうだよねー。でも……あなた達は無事でよかったよ」
「私はたまたま噴水広場を歩いてましたから……」
クレネストがそう言うと、二人の視線がエリオに向いた。
「僕は友人と外食してたのですが、店を出るのが遅れていたらと思うと、今でも恐ろしいですね」
「ありゃー、それは危なかったね。殆どの建物が倒壊したらしいじゃない」
「はい……あまり思い出したくはないのですが、忘れるに忘れられません。ほんの少しの差で、僕も瓦礫の下敷きでしたから」
苦い思いを飲み込むかのように、エリオは紅茶を一口。皿の上には戻さず、両手でカップを包み込むようにして持つ――
「うーんエリオ君は案外、生まれついて強運なのかもしれないね」
「……この場合は不幸中の幸いって言いませんか?」
苦笑しながらエリオがそう言うと、クレネストとフェリスが一瞬顔を見合わせ、
「そうとも言うかも」
「言いますね」
女性二人に交互に言われて、エリオはガクっと肩を落とす。
「あと、気になってたんだけど、クレネスト司祭の法術って、あれだよね……ええと、あれ……あれ?」
「高速法術ですか?」
「そうそれ! 私も一時期色々調べたから理屈はわかるんだけど、文献が抽象的なものばかりでねー」
言いつつ、フェリスが人差し指を上げて、身を乗り出す。
「僕もクレネスト様の法術は、他の方たちと、何か一つ飛びぬけて違うと思っていましたが……高速法術――というのですか」
クレネストが頷く。
エリオが続けて聞いた。
「非常に早いというのはわかりますが、どうしてあんなことができるんですか?」
「はぁ……そうですねぇ……ちょっと難しいかもしれません」
高速法術と通常法術の違い。
クレネストは少し間を置いてから話はじめた。
「例えばです。表意文字は、木なら「き」という音そのものではなく、幹に枝葉の付いた植物そのものを意味していますよね」
「はい、音そのものを表す文字の場合は、表音文字ですよね?」
「ええ、そのとおりです」
頷いて、カップに口をつけるクレネスト。それを置いてから続けた。
「通常の法術は、印そのものが表意文字と同じく、何かを表現し、沢山の意味を持ってます。言葉の場合はそれでもよいのですが、術式というのは言葉ではないのです」
エリオが首を傾げる。
「それはどういうことでしょうか?」
「沢山の意味を持つ印は、理解しやすく使いやすいです。反面、融通がきかず、印を組む途中に余計なものが多くなってしまうんですよね。空間に刻み込む速度も遅く、不必要な部分の排除も遅いです」
「そうなのよねぇ~、それで、印を細かく分解して、本当に必要な部分だけを取り出すことで、効率よく空間に術式を刻む方法があるって話は、私も知ってるんだけどね」
フェリスは知識の上では知っていたが、扱えるまでには至らなかった。
「クレネスト様は、同時に大量の法術を使ったりできますけど、あれもやっぱりそこが関係してるのですか?」
エリオの問いにクレネストは頷いて、宙で指を動かしてみる。
流れるように動く鮮やかなその手つきは、おそらく何かの印を切ったのだろうが……
「組むというよりは、描く感覚に近いものがありますね。呼吸、リズム、身振り手振り、場合によっては音声も必要になります。また、術式に筆跡のような癖があってもいけませんし、なにより術とはなんなのか? その本質を知らなければ絶対にできません」
クレネストの口ぶりでは、単純に指で印を組むだけではないようである。フェリスは想像しただけで、頭が痛くなりそうな思いだった。
「あはは、私には一生無理っぽそうだけど、あなたはどうやってそれを勉強したのかな?」
フェリスにとって、何気ない質問だったが、クレネストは腕を組んで難しそうに首を捻る。
「そうですね……私の知る限り、高速法術の存在を記述した書物は沢山あっても、法術の根源を正確に表現できている書物はありません。そこへ至る道と言えるのかどうか、それはわかりませんが、私の場合、色々な印の分解、改変、再構成、術式化を繰り返しているうちに、突然それが見えてきたという感じです」
「研究と熟練ってことかな? 色々な印って、どのくらい?」
「……数万種に及ぶかと」
フェリスが紅茶を吹いた。
そのような膨大な量の印を研究するなど、もはや正気の沙汰ではない。
「よ、よくそんなことをやろうと思ったねー」
言いつつ、懐から取り出したハンカチで口元を拭く。
「あまり他に……やることもありませんでしたから」
冷めたような口調で言うクレネスト。
フェリスは腕を組み、「むー」と唸って口を結ぶ。
「助祭に就任してからは、同年代の友人というのも離れてしまいましたので、他の子みたいに遊ぶようなこともなかったんですよね。ですから当時の私は、興味の大半が法術に注がれていましたし、セレストには沢山の書物があるので退屈はしませんでした」
「そうなんだ……でも、退屈はしなくても、その……寂しくはなかったの?」
「お恥ずかしながら、寂しいと言えばそうかもしれません。ですが、今はエリオ君がいますから」
「……ブゴッ!」
唐突にエリオがむせた。
「ちょっとエリオ君、大丈夫ですか?」
クレネストが心配して、激しく咳き込む彼の背中をさすりながらそう言う。
彼は口を押さえながら、もう片方の手を上げて、大丈夫だとアピールした。
(まークレネスト司祭としては、さほど意識した一言じゃないんだろうけどね)
フェリスはそんな二人を微笑ましく眺めた。
いかに天才的な法術使いで、司祭の肩書きを持っているとしても、所詮まだ十五の少女。
無理に意識して自分を殺しているのではないかと、精神面で危うさを感じていたフェリスだった。
でも、傍らにいるこの青年が、今後彼女にとって良い影響を与えていきそうな、そんな予感がしていた。
エリオはようやく回復すると、ちらりと部屋の時計に視線を走らせ、
「さて……クレネスト様そろそろ」
クレネストも時間を確認すると、「そうですね」といって、二人は腰を上げた。
「ありゃ、もー時間か」
フェリスも残念そうな顔でそう言って立ち上がる。
「ではどうも、紅茶美味しかったです」
クレネストが両手を揃えてお辞儀をして、エリオも頭を下げる。
「ついでだから、正門まで見送るよー」
フェリスがそう言うと、クレネストは頬を緩め、エリオは「ありがとうございます」と言う。
そうして三人は、フェリスの部屋を後にした――