一章・ポッカ島異変
下着姿の女の子がいた。それも履いているのは下だけである。
同室の青年に裸身を晒しても、特に恥ずかしがる様子はなく、手に持ったミルクパックの中身をぐいぐいと飲んでいる。時折、口の端からこぼれたミルクが、柔らかそうな肌を伝って白い線を作った。
レネイドはその姿をしげしげと眺めながら口を開く。
「やあテスちゃん。相変わらずのロリ曲線だねぇ」
「なんじゃい、そのロリ曲線というのは?」
怪訝そうな表情で、テスと呼ばれた女の子はそう言った。
なにせ見た目が見た目である。
年齢的には少女のはずであるが、どちらかといえば幼女といった感じの容姿であり、背は低い。おなかは膨らみ気味なのに対し、胸の方は全く寂しいものだ。顔立ちはお人形さんのように可愛らしいのだが、いかにも生意気そうな目つきで青年を見つめている。紫がかった長い黒髪は、おそらくは風呂上りなのだろう、かるく湿っていた。
「いやぁ、我ながら非常に的確な表現だと思うけど?」
『非常に』の部分をわざと強めて、レネイドがにこやかにそう言うと、テスは自分の無い胸をむりやり揉んでみようとする。が、つまんでいるという表現の方がしっくりきてしまいそうであった。
「ふむ……いまに見ておれよ? 育ちざかりなんじゃ、来年にはきっと凄いことになっておるぞ」
言って、なんの自信があるのやら、無意味にふんぞり返るテス。
レネイドがまた何かを言おうとしたその時、彼女の後方にあった扉が開き、筋骨たくましい大柄な男が入ってきた。
「おう、レネイド戻ったのか」
言いつつ、部屋に入ってきたその男は、テスの頭に持っていたタオルを被せる。被せられたテスは、「もごご」と呻き、タオルを剥ぎ取ろうともがきだすが、余計に絡まって尻餅をついた。
しばらくその様子を眺めて――
まあいいかと、レネイドは部屋においてあるソファに腰を掛ける。
「ローデス、ゼクターの奴は?」
「朝方に帰ってきたけどな、すぐにご出勤だ。……お前等、失敗したそうだな」
ローデスという名のこの男は、叱責するわけでもなく、馬鹿にするわけでもなく、妙に真剣な面持ちでそう言った。
レネイドの向かい側にあるソファへと座り、膝に肩肘をついて、真っ直ぐに彼を見つめる。
しばらくの見つめ合い……
「君にあまり見つめられると照れるなぁ」
「うるっせぇ変態!」
本気で嫌がるローデスに、レネイドは肩を竦めて、
「そんな深刻そうな顔するなよ」と、苦笑する。
おそらくローデスはゼクターから、自分達が作戦に失敗した原因、つまりクレネストについて話は聞かされているのだろう。
「営業部隊の方は別に上手くやってるんだろ? だったら多少失敗したくらいはどうってこともないよ。確かに、天才法術少女のリーベルちゃんは凄かったし、個人的興味はあるんだけど……でもまぁ、あの娘一人でうちらの計画をどうこうできるってわけでもないからさ」
そう、あんな化け物が星導教会に何人もいるわけがない。今回は、たまたま自分達が厄介な相手とぶつかってしまっただけである。
「それよりもだねぇ……僕としては例の巨大な柱? 塔? よくわからないけど、今はあっちの方が気になってる」
「ああ、俺は新聞で読んだだけだが、あれは本当のことなのか? あまりにも現実離れしすぎてるだろ」
まったくもってローデスの言うとおりではある。
レネイドはメガネの位置を中指で直しつつ、「これが困ったことに本当なんだな」と答えた。
「レネイドおぬし、その……柱? だか、なんだかを見てきたのかえ?」
タオルに包まったテスが、そう言ってローデスの横にちょこんと座る。ようやく脱出できたらしい。
「ああ、僕も最初は自分の頭がおかしくなったんじゃないかと思ったよ。だけど朝になったら街は大騒ぎだしね。とりあえず、あれを仮に超巨柱と呼ぶとして……」
レネイドは柱の外観、幅、高さ、出現直後の状況等、とりあえず自分が見てきたことを、できるだけ二人に伝えてみた。
それを聞き終えたテスとローデスはと言うと、余計に胡散臭げな表情を浮かべている。
「その、なんじゃ……話を聞くだけではどうにも信じ難い話しじゃのう」
「レネイドよぅ、そりゃ大袈裟に言ってるんじゃないのか?」
この反応は当然といえば当然だろう。レネイドはやれやれといった表情で付け加える。
「ペルネチブ半島の方までいけば現物が拝めるからね」
それを聞いて難しい顔で呻く二人――
「ただそうだな……遠目でよくは見えなかったけど、柱が出現する前に見たあの光り、あれはひょっとしたら術式なんじゃないかと思う」
「術式だと? つまりは禁術……なのか?」と、困惑顔のローデス。
あれが術式だったとしたなら、その可能性は高いだろう。
術式が可視化される現象は禁術でしか起こらないからだ。
しかし、あれほどの建造物を出現させるとなれば、膨大な代償とステラが必要となる。とてもではないが人間業ではない。
(リーベルちゃんなら、あれをどう見るんだろうかなぁ?)
禁術の産物ならば、あの天才法術少女ならあるいは――
とはいえ、彼女がまだ生きているのかどうか、レネイドには分からない。
あの光りの方へ向かって行ったのだから、ひょっとしたら巻き込まれてしまっているかもしれないと考えていた。
「さあなぁ、その可能性はあるけど確証はない。禁術を仕掛けに使ったなにかの細工か、あるいは発見! 古代超文明ってか?」
「バカげておるな」
そう言ってテスは立ち上がると、部屋に備えられているクローゼットのある方へ、ちょこちょこと歩いていく。
その中から、ひらひらとした退廃的な雰囲気のある黒いドレスと、可愛らしい子供用のキャミソールを取り出した。
「ふう……少し冷やしすぎではないか? この部屋」
テスにそう言われ、レネイドは部屋の上部に備え付けられた箱状の機械を眺める。そこからは冷たい風が吹き出ていた。
今日も外は非常に暑かったのだが、この部屋の中は涼しい。
「そうかな? ま、それだけ星動機に劣らない性能ってことで」
そう、これは星動機の空調によく似てはいるが、星動機ではない。全く新しい動力を使用している機械だ。
制御に術式回路を組み込んで、自動的に温度を調整できる星動機に比べると、機能面ではまだまだである。
「それとじゃレネイド……髪を乾かすための温風機も作ってはもらえぬじゃろうか? 星動機は嫌いじゃが、あれはどうにも羨ましくてのう」
テスが風呂上りに服を着ないのは、その長い髪の毛がなかなか乾かないからである。
法術の風で乾かそうにも、レネイドやローデスの法術では、あまりに大雑把すぎて、余計酷いことになりかねなかった。
法術の精度に長けた仲間は、今この場にいない。
尚、タオルすら巻かないのは単なる習慣だそうだ。
「そうだねぇ、その手の機械も星動機の技術を流用すれば、案外あっさり作れちゃうかもね。生活必需品だろうし、あとで技術部に提案しておくよ」
レネイドがそう言うと、服を着終えたテスは、大きな瞳を輝かせて喜びの声を上げる。
いつの間にやら後ろ髪をリボンで結び、可愛らしいポニーテールを揺らしていた。
彼女はローデスの後ろから首に抱きつき、「そろそろじゃろう?」と耳打ちする。
ローデスは、「ああそうだな」と言うと、そんなテスを首にぶら下げたまま立ち上がった。
「レネイドよ。テスと俺は、これからポッカ島へ渡らなければならん」
「へぇ、あんなド田舎に何しにいくんだい?」
「ちょっくら育ちすぎた大木をへし折りにな」
言って浮かべる優しげな笑顔とは対照的に、恫喝するように指の骨を鳴らすローデス。レネイドは口笛を吹いた。
「テスは見るの初めてなのじゃ~、さぞかし大きな木なのじゃろ?」
興味深々といった感じで、無邪気な笑顔を見せるテスに、「青くてとっても大きいよ」とレネイドが答える。
彼自身は随分と前に、一度だけ見に行ったことがある。率直に言って大きいどころの話ではない。この世にあんな巨大な木が生えているのかと驚いたものだ。
それだけに、ポッカ島へ行ったら必ず見るべきと言われるほどの、観光名所にもなっている。
「だーけど変な土民どもが、あの木を神様だ~! とか言って、必死な妄想こいてるから気をつけてね」
そう言いつつ、レネイドはおどけた調子で手をひらひらさせた。
ポッカ島には古くから、巨木を御神体として崇める信徒等がいる。
周辺の土地は、彼らの手によって閉鎖されていた。
そのため一般の観光客等は、遠方からその姿を眺めるだけに留まっていた。
本来は国有地にあたり、このようなことは不法占拠であって、公式に認められてはいない。
しかしながら、政府のみならず、政治に影響力の強い星導教会ですら、渋々ながら暗黙のうちにこれを容認しているのである。
それというのもポッカ島は、元々ノースランド国領ではなく、その存在が発見されるまでは独自の島文化を築いてきた。古くから郷土に根付く宗教であり、信仰心は厚く、それらの信徒と無用な衝突を避けたいといった事情があるのだろう。
「わはははは……そうかそうか、それは楽しみじゃのう~」
ケラケラと本当に嬉しそうに笑うテス。ローデスの首を離し、まったくの音すら立てず、軽やかに着地する。
「さてさて、あの木はなんたらの木、とか言ってたかのう?」
「マーティルの大樹だ」
ローデスがそう答えると、テスは華麗なステップでくるりと回る。フリルの沢山ついているスカートがふわりと浮き上がった。
二人の方を向いてピタリと止まり、スカートの両端を持ち上げて優雅に一礼――
「ではでは行こうかのう、マーティルの大樹へ」