●世界観B創世記・星の終わりの神様少女2

四章・テス=エレンシア

 マルネリオ町星導教会前――

 正門に一般市民十数名が集り、騒然とした雰囲気に包まれていた。

「何かあったのかな?」

 サイシャが呟くと、クレネストが肩をかくんとコケさせて、口を開く。

「ありましたでしょう。サイシャさん」

「あ、えっと……あっそうか! てへっ」

「てへっ……じゃありません。あなたが忘れててどうするのですか」

 呆れた調子でそう言って、気苦労が増えた思いで人だかりを見つめた。

 なるべく休みたいのだが、これではそうもいきそうにない。

 とりあえず車を止めてもらい、クレネストとエリオの二人は降車する。

 運転席側へ回ると、サイシャが窓を降ろした。

「サイシャさん、この度はすっかりお世話になりまして、教会を代表してお礼を申し上げます」

 両手を揃えて深々と頭を下げるクレネスト、エリオも倣って頭を下げる。

「ああ、いやぁ、あはは……まぁ、なんだか分からないうちに、こっちも当面の問題はなくなったわけだしー……えっと、そのさ……また会えるかな?」

 クレネストは顔を上げて息を呑んだ。

「は、はい……その」

 胸のあたりで手を握り締めてうつむくクレネストに、サイシャはにっこりと笑って右手を差し出す。

 少女はそれを不思議そうに見つめて、

「えっと」

「握手よ握手! まさか知らないとか言わないよね」

「……はぁ」

 戸惑いつつも、クレネストはその手を軽く握った。とても温かい手だった。

 思えば他人と握手をしたのは、これが初めてのことだ。不思議な感触に、ふわふわと浮ついた気分になる。

「エリオさんも元気でね」

 彼もサイシャの手を握り締めると、「お気をつけて」と声をかけ、車から一歩下がる。

「さようなら~またね!」

 そう言い残し、窓から片手を振りながら、サイシャの星動車は行ってしまった。

 しばらくそれが見えなくなるまで、その場に立ち――

「見えなくなってしまいましたね」

「ええ」

 少し寂しい気持ちで、二人は呟いた。

 クレネストは巡礼用の司祭帽子を被り、気を引き締めなおす。

(さてと……)

 門前にかたまっている人だかりへ近づくと、一人が気がついてこっちを指差した。

「司祭様だ!」

「司祭様! 司祭様!」

 口々に連呼する民衆。

 内心、憂鬱気味にクレネストは口を開いた。

「皆さん、マーティルの大樹の件で不安になられているのは分かりますが、もう少しお静か……」

「司祭様! あの女の子は大丈夫なのですか?」

 クレネストの言葉を遮って、一人が妙なことを言う。

 思わず疑問符を浮かべて、首をかしげた。

「はい? 女の子?」

「まだ幼いのに、あんなことになって可愛そうよ」

 中年の女性がむせび泣きながら、そう漏らす。

 全く話が見えない。困ってエリオに視線で問いかけるが、彼も両手を広げて首を左右に振った。

 クレネストはコホンと一つ咳払いをする。

「その、何が起きているのか分からないのですが?」

 そう質問してみると、人々が不思議そうに顔を見合わせた。

 こそこそと何かを話している様子だが、

「あっ、ああー!」

 唐突に響いた大声に、その場の人々の視線が一斉にそちらへ向いた。

 その声の主達、数人の助祭が走ってくる。

 全員が助けを求めるような必死の形相浮かべ、彼女の前に並んだ。

「あなた! クレネスト様ですよね?」

「は、はぁ……そうですけど」

「早くこちらへいらしてください」

「ええと、これは一体何事なのか、説明をして頂きたいのですが」

「事態は一刻を争います! 説明は後でしますので、至急ご同行願います!」

 その助祭の剣幕に、只ならぬ状況を察する。

 クレネストは、エリオと顔を見合わせて小さく頷くと、急ぎ足で案内する助祭の後を追っていった。

 ついて行った先は、教会敷地内の横手にある小さな病院。

 狭い院内を足早に、その手術室まで案内された。

「ああ、なるほど……重症患者か何かですか? まだ手術中なのでは?」

「正直に申し上げまして、生きているのが奇跡というくらいで」

「分かりました、とりあえず診せてください」

 助祭の一人が扉を開き、二人を中へ通す。

 手術台を見つめるライネス司教。台の周りには患者を施術している医者と数名の助手がいた。

「クレネストちゃん戻ったのか!」

 まるで救いの何かを見るように、ライネス司教がクレネストの姿を見て歓喜する。

「ライネス司教様、重症患者と聞きました。早速診せて……」

 そこまで口にして、背筋にいいしれぬ悪寒が走った。

 手術台の上で眠っている女の子――

(まさか……まさか!)

 台に駆け寄り、その顔を改めてよく確認する。

(テスちゃん……テスちゃんです! これはテスちゃんです!)

 間違いない。あの時戦ったあの女の子だ。

 何故こんなところで、こんな姿に――

 クレネストはあまりの痛ましい姿に一瞬錯乱しそうになるが、なんとか心を止める。今はそんなことを考えている場合ではない。

 傷だらけの顔には血の気もなく、腕は折れ曲がり、白い骨が皮膚を突き破って露出している。開かれたお腹から見える内蔵を医者が必死に縫い合わせ……普通の人間なら、既に心肺停止状態に陥ってるか、とっくに死んでいてもおかしくない状態だ。

 この子の命を繋ぎ止めているものは他でもない、この子自身の驚異的な生命力。

 今、自分がなんとかしなければ、テスの命運もここで尽きる。

「どうだ? クレネストちゃんなら、もしかしてと思うたのだが?」

「はい、できると思います……いえ、必ず助けます」

 言いながらマントを外して司祭帽を脱ぎ、エリオに手渡す。

「ですがステラが足りそうにありません。私はここから動けませんので、全員持ち回りで私にステラを供給し続けてください」

 言うなり、口笛のような細い音を発音するクレネスト。間を計りつつ、印を切り始めた。

 彼女の瞳が深みを増す。その瞳に見える世界は、全てが術式となって見えていた。術式という形であれば、はっきりと分かる。テスの体の破損箇所を調べながら、正常に繋ぎ合わせるための術式をその場で構築し始める。

「す、すげぇ」

 助祭の一人が感嘆の声を漏らした。

「感心している場合じゃない。クレネスト様にステラを渡すぞ」

 まずはエリオが彼女の肩に触れ、自分のステラを彼女へ渡す。彼女の器から比べれば非常にちっぽけなステラだが、それを全て流し込む。

 次に司教がステラを受け渡し、助祭達も順に彼女へステラを供給する。

 彼女にステラを渡した者達は、教会のステラ供給施設へ急ぎ、その身にステラを蓄えてからまた手術室へ戻る。その手順をひたすら繰り返し続けた。

「とり急ぎ内蔵の破損を修復します」

 調べ終えた箇所専用の修復術式。それを完成させたクレネストがそう口にすると、徐々にテスの内蔵が修復されていくのが見えた。出血が止まり、臓器が綺麗な状態へ戻りつつある。

 傍らで見ている医者とその助手達が、感嘆の声を漏らしていた。

 ここまで諦めずに施術をしてくれたおかげだろうか? 修復が思ったよりもスムーズに行えていることに安堵する。もし、折れた骨が内蔵に突き刺さった状態だったとしたなら、中々こうはいかない。

 心の中で感謝しつつ、生命維持を優先して、特に重要な部分からクレネストは修復していった。

 どのくらい経っただろう? ひたすら往復している助祭達はへとへとである。その中、高齢のはずのライネス司教だけが、へたばる気配すらみせず部屋を往復していた。いささかだらしない助祭達に、その老人は呆れ顔である。

 クレネストは術の効力を見ながら、術式に微修正を加えつつ、修復されていくテスの体を注意深く見守った。

 幼く可愛いこの子の頬に、少しづつだが赤みが戻りはじめ、クレネストはふぅっと息をつく。そんな彼女の額に浮かんでいる汗を、エリオが清潔な布で丁寧に拭いた。

 日が傾いた頃、ようやく開かれていたテスのお腹が元通りになった。

「みなさんご苦労様でした。あとは骨折箇所と、細かい傷を治してあげるだけですから、ステラはこれで十分です」

 クレネストがそう言うと、助祭達は手術室前の廊下ですっかり総崩れになっていた。ライネス司教もさすがに額に汗を浮かべていたが、椅子に座って背筋を伸ばし、静かに威厳を保っている。

「エリオ君も外で休んでてよいのですよ?」

「僕はまだ大丈夫ですから、クレネスト様のお手伝いをさせてください」

 彼もやはり気になるのだろう。クレネストは黙って頷いた。

 二人が再び手術室に戻ると、医者がテスの折れた腕の骨の位置を戻している最中だった。

「いやぁ、驚きました。本当にこんな大怪我を治してしまわれるとは、医術ではどうにもならなかったのでお恥ずかしい限りです」

「いいえ、そんなことはありません。この子の生命力と、あなた達が必死にこの子の命を繋ぎとめてくれたこと。そのどちらが欠けても、この子は助からないところでした。これは私の力だけではありません。皆さんに感謝いたします」

「はは、そう言ってもらえるとは……私も少しはお役に立てたということでしょうか?」

 それからしばらくして――

 医者が戻し終えた腕の骨を、今度はクレネストが法術で修復していく。

 それが終わると、最後に足の方へ目線を移した。

(これは私がやってしまったこと……ごめんなさいね)

 手をかざし、自分がこの子にさせてしまった怪我の方も修復していく。

 体についていた細かい傷も癒え、すっかり元通りになったテスの姿。

 静かに安定した呼吸を繰り返している。後は意識と体力の回復を待つだけだろう。

「では、病室に運ばせますので、クレネストさんはどうかお休みになられてください」

 マントを羽織っているクレネストに、医者がそう声を掛けてきた。

 助手に運ばれて、手術室から出て行くテスをぼんやりと眺める。なんだかその顔が、とても不安そうに見えた。

「……あの子、私が付き添ってもよろしいでしょうか?」 

「え? はぁ、それはかまいませんよ。いやぁ、身元が判明していればよろしいのですが、生憎このような物しか見つからなかったので」

 と言って、医者が奥から籠を運んできた。

 籠の中を見ると、彼女が着ていたのであろうボロボロに破れたドレスが入っている。

 その上には……

(これは――そうですか、やはり)

 服の上に置かれているそれは、白鳳と大蛇の紋章。そのペンダントだった。

「クレネスト様……」

「エリオ君……テスちゃんの服が破れてしまっているようですので、できれば、これと同じようなドレスを買ってきてください。話は後ほど――

 一体、この子の身に何が起きたのであろう?

 この子が発見されたのは今朝方、マルネリオ町すぐ近くの海岸だったらしい。

 事故というには不自然だ。彼女が瀕死の重傷を負うような事故ともなれば、相当な大事故である。念のため、朝夕の新聞にも目を通したが、そんな情報は全く出ていなかった。

 とすれば、何らかの事件に巻き込まれたのだろうか? と考えてみるも、足を骨折していたとはいえ、この子とあの大男。誰かに襲われたとしても、そう簡単に遅れを取るというのは想像し難い。

 そういえば、この子と一緒にいたあの大男はどうしたのだろうか?

 考えを巡らせていると、エリオが唐突に音を立てて椅子から立ち上がった。

「エリオ君、病室ですのでお静かに」

「失礼しました……あの、クレネスト様これを――

 そういって彼が手渡したのは、ここを離れている間に発行されていた新聞の一つである。

 エリオが指し示す記事を読んだクレネストは、思わず頭を抱えてうずくまった。

「大丈夫ですか?」

「はい……なんとかです」

 顔を上げ、新聞をエリオへ返す。

 テスタリオテ市のステラ採取変換場が、再度襲撃にあったらしい。変換施設は破壊され、テスタリオテ市の教会本部も放火により全焼してしまったそうだ。

「ご無事でしょうか?」

「おそらく、フェリス司祭とレイオル司祭は無事でしょう……死亡者の中に名前がありませんでした」

 感情の篭らない平坦な声で言う。

 犯人は、目の前で寝ているこの子の仲間とみて間違いない。それがクレネストを余計に困らせていた。

(……あのご老人と同じ組織だとしたなら、この子にはさぞかし嫌われていることでしょう。目を覚ましたとて、私に何が言えるのでしょうか)

 そもそも話を聞いてもらえるかどうか、そればかりは考えても考えても答えが見つからなかった。

 白鳳と大蛇の紋章を手に取り、それを眺めてみる。ふと裏側を見てみると、端に何か文字が掘ってあることに気がついた。

「テス・エレンシア――この子の名前ですね」

 そう呟いて、新しく買ってきたドレスの上にそれをそっと置く。

「う、ううっう……」

 不意に洩れてきたその声に、クレネストはびくりとして腰を浮かせる。

 見ればテスは、額に汗を流して苦悶の表情を浮かべていた。

「テスちゃん! どこか痛むのですか?」

「だ……め、じゃ――はやく……にげ、る……のじゃ」

 何か意味ありげな言葉を搾り出す。夢を見てうなされているのだろうか?

「やめっ……や……めて……く……れぇ……ああぁ、ああぁぁぁぁ、あぁ」

 あまりに苦しそうなテスに、クレネストも一瞬顔を歪めそうになり――それではいけないと、気丈にもそれを自制する。

「テスちゃん聞こえますか? 大丈夫です、私がいます、何も怖いことはありません」

 あの時使った声音に変え、クレネストは優しく呼びかけながら、頬や頭を数回撫でてあげる。

 すると、急にテスは安堵したような表情に戻って、穏やかな寝息を立て始めた。

 クレネストはしばらく心配そうに見つめ、やがて短く息をつくと、椅子へと腰を戻す。

「早く、逃げる、やめてくれ……どういうことでしょう? 何かに襲われたということでしょうか?」

「そうですね……なにか相当怖い目にあったに違いありません」

 伏目な瞳に影を落とし、クレネストは声を元に戻してそう口にする。

 一瞬の静寂――

「その……関係ないですけど、器用ですね」

 呆れ混じりに感心して言うエリオに、クレネストはぽやっとした表情で彼の方を見る。

 一瞬なんのことか分からなかったが、声を変えたことについてだと、すぐに気がついた。

 少し気恥ずかしくなって、頬が熱を帯びる。上目遣いにエリオの顔をうかがいながら口元を手で覆った。

「変でしたか?」

「いえ、お見事ですが、そんな特技がおありとは意外でした」

「これはですね、高速法術のために発声を色々と変える練習をしていた時期があるのです。そのようなことを繰り返していたら、いつの間にかできるようになっていたのですよ」

「ちょっと面白いですよね、逆のこともできるのでしょうか?」

「逆?」

「男が女性の声を……」

 クレネストは思わず想像してしまい、その顔に重苦しい影のような物が落ちた。

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