★☆2★☆
ぼやけて狭くなった視野の向こうで、男がバラバラに引き裂かれていく。
手を伸ばしても手を伸ばしても、遠ざかるだけで届かない。
女の子は言葉にならない叫びを上げながら、無我夢中で銃剣を放った。
数百、数千、数万――
その全てが歪み、虚空に溶けて消える。
成すすべなく男の頭が食いちぎられ、食いちぎったそれの目がこちらを見て笑った。
女の子の慟哭が轟き、その体が闇の中に沈んでいく。
その時――
天から光りが降り注ぎ、人が降りてきた。
光りはそれを焼き払い、女の子を抱きかかえると、その頬に優しく触れる。
そのまま闇から遠ざかるように空へ空へと上昇していき――
急に静かになった。
視界が今度は赤っぽくなっているが、それは自分が目を開けていないからだと気がついた。
テスはゆっくりと目を開いた。そこには白い天井が見える。
(テスは、どうなったのじゃ?)
体を動かそうとしたが、手足がぴくりとも動かない。
何度試しても、やはりそうだ。
とりあえずそれを諦め、なんだかおぼろげになっている記憶を思い出そうとした。
途端、顔から血の気が引き始め、体の奥底から何かが沸きあがってくる。
それが次第に大きくなり、
「た、た……たす……けっ」
息が出来ない……
テスは喘ぎながら、夢中で助けを求めた。
「テスちゃん!」
横手から聞き覚えのない少女の声がかかる。
その少女はテスの小さな胸をさすりながら、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
(だ、誰じゃ……こやつ)
怪訝に思うも、さすられた手から不思議と温かいものが広がっていく。
あっさりと発作は収まり、数回咳き込んだ後に、息ができるようになった。
くすぶっている恐怖感を気持ち悪く思いつつ、荒くなった呼吸を整えようとしていると、
「大丈夫ですか? どこか痛むところはありませんか?」
テスは視線だけ動かして、その声の主の方を見た。
そこには胸の前で手を組んで、こちらを見下ろす少女の姿。
眠そうな翠緑の瞳に青銀の長い髪――
深く、清冽な泉のように、静かで厳かなその佇まいは、
(こやつ、まさか)
ポッカ島に渡る少し前、ゼクターから話を聞いたことがある。ここまでそのままとは思わなかったが、見ればそのことを簡単に思い出すほど不思議な容姿だ。
とすれば今いるここは……。
「ぐぅ、なんということじゃ! 貴様はクレネスト・リーベル……星導教会か! テスに何をしおった!」
体は動かないが、威嚇する猫を連想させる迫力でテスは歯を剥いた。
しかし、そんな女の子の剣幕とは裏腹に、クレネストは優しく微笑みをこぼしつつ、静かにテスの強烈な視線を受け止めている。
「……はい、確かに私は星導教会司祭のクレネスト・リーベルですよ、テスちゃん」
「なっ貴様! 何でテスの名を知っておる!」
「いえ、今自分で名乗られたではありませんか」
「名乗る前に言っておったわ! 誤魔化せるとでも思うたか痴れ者め!」
激昂するテスを前に、クレネストは困ったように目をつぶって苦笑した。
「悪いとは思ったのですが、あなたのペンダントの裏側にお名前が書かれていましたので」
テスは苦々しく舌打ちした。
クズの集りとしか思っていない星導教会に、大事なペンダントを触られるとは不覚である。
今すぐにでも八つ裂きにしたくてムズムズするが、やはり動けない。
「で、妙な術でテスを動けなくしてどうしようというのじゃ貴様」
そう言って睨みつけるが、クレネストはすまし顔でぴっと指を一本立てて左右に振る。
「動けないのはあなたの体力が元に戻っていないからです。私は別に何もしてはいませんよ」
「体力じゃと?」
「いいですか? テスちゃん、よくお聞き下さい」
そう言ってクレネストは屈み込み、こちらの瞳を真っ直ぐに覗き込んでくる。
鼻腔をくすぐるよい香りに、奇妙な既視感を覚え、テスは一瞬たじろき――
「あなたは昨日の朝、酷い怪我をして浜辺で倒れていたそうです」
「う、うむ」
「骨はバキバキのボロボロ……腕も二つに折れて、内蔵はぐちゃぐちゃ――率直に申し上げまして、生きていたのが奇跡なくらいです」
「うっ! えっ?」
「ここの病院のお医者さんが懸命に処置してくれたのと、たまたま私が戻ってきたから良かったものの、そうでなければあなたはそのままお亡くなりになっていました」
「……う、うぅ」
「とにかく! 今は安静にしていてください。いいですね?」
「それはじゃ、そのぅ……」
「い・い・で・す・ね?」
「わ、わかった! わかったのじゃ!」
ジト目で接近してくるクレネストに、いつの間にか涙目になって、心がへし折れるテス。
なるほどゼクターの言うとおりだ。これはとても敵わないと悟った。
敵わないの方向性がちょっと違っていたが――
テスは息をついてしばし目をつぶる。
そうか、そんな状態になっていたのか。
今更ながらに身震いした。
「のぅ……質問いいかぇ?」
「なんでしょう?」
「ローデ……大きな男の姿は見なかったかえ?」
念のため聞いてみるが、クレネストは「はて?」と言って首をかしげている。
テス自身は、船から放り出されたところまでは記憶があるのだが、どうしても、そこから先が思い出せない。ローデスは逃げられたのだろうか?
「その方はご家族ですか?」
「あ、いや……うむ、そのようなものじゃ」
気まずそうに視線を泳がせるテス。
そこへ、
「クレネスト様。ああ、目を覚ましたのですね」
男の声がした。
赤毛の青年――顔はまあまあかなとテスは思ったが、その声を奇妙に思った。なんとなく聞き覚えがある。ただ、変に記憶が混濁していて、いつのことだったか、いまいちはっきりとはしない。
「ほう、意識が戻りましたか」
こちらは聞き覚えの無い声。
中年で眼鏡をかけ、白衣を着ているその姿は、絵に描いたような医者だ。
「おはようございます。どうでしょうか?」
医者は、「どれどれ」と言ってテスに近づき、その顔に手を触れようとする。
テスは思わず威嚇するように一瞬歯を剥いた。が、その横にいるクレネストにじーっと見られていることに気がついて、表情を凍らせた。
「顔色は悪くないな、熱もない、呼吸も安定してるし安静にしていれば、すぐに動けるようになるだろう」
「ですが、テスちゃんは今、極度に混乱しています。神経質になっていますので、みだりに事情を聞くのはお控えください。それで、今後のことなのですが――身元も分かっていないのであれば、しばらくは、私の担当で預かりたいのですが?」
「ふーむ、あなたがですか?」
難しい顔で思案している医者。
テスとしては、そうしてもらえれば大助かりである。
素性を知られては困るし、なんとか誤魔化して早いうちにローデスを探し出さなければ。
気は進まないが、ここは仕方が無い。
「お、おねーちゃんがいい……はなれたくない……てす、こわい……」
いつものおじいちゃん的な口調ではなく、舌ったらずな子供の真似をして、そう漏らす。
我ながら気持ち悪くて、最後の方がちょっと引きつってしまったが。
ただ、何故かクレネストが一瞬衝撃を受けたような表情をし、
「お、おねー……ちゃん」
ぼそっとそう漏らすと、顔を赤くしてへにょへにょっとしだした。
「先生、テスちゃんもこう言ってますし、ここはクレネスト様の言葉を聞き入れてくださいませんか?」
へにょっているクレネストの代わりに、赤毛の青年が横からそうお願いする。
「う、うーん、ライネス司教様にお伺いを立てなければなりませんが、それでよければ」
「エリオ君、私は全力でライネス司教様を説得してきます。そのあいだ、テスちゃんに何か消化の良いものを食べさせてあげてください」
そう言うクレネストの翠緑の瞳が、妙な眼光を放っている。
「え、ええ、かしこまりました」
たじろきながらも応じるエリオ。
クレネストはテスに向き直り、
「おねーちゃんは今大事な話をしてきますから、大人しくしていてくださいね。ちゃんと先生と、赤毛のおにいちゃん――エリオ君の言うことをよ~く聞くんですよー?」
そう言いつつ、テスの頭をこしこしと撫でてから、足早に病室を出ていった。
しばし、呆然とするその場の人々。
なんだかテスは、変な気分にさせられた。
撫でられた頭が心地良い。そんな自分に困惑する。
(なんでなんじゃろう? 嫌いなはずなのに、どうしてこんな気持ちになるのじゃ?)
黒くて、退廃的雰囲気でありながら、白のフリルやリボンが可愛いドレス。自分が前に着ていたものとそれほどデザインも変わらない。
リボンも洗ってくれたのだろう。それを結び、ポニーテールをふりふりとさせていた。
クレネストはというと、眠そうな瞳と半開きの口はそのままに、頬を赤くしながらテスの姿をじっくりと見回している。着せてくれたのも彼女だ。
ここは、星導教会の宿舎――自分にとっては敵地の真っ只中。
午後にはようやく動けるようになったものの、力がそれほど入らず、まだ本調子ではない。
しかも丸腰では、ゼクターとレネイドを退けたというこの娘には歯が立たないだろう。
一見ぼんやりとしているように見えるが、さきほどから全く隙というものがない。
そんなテスの緊張と警戒心を知ってか知らずでか、クレネストが口を開く。
「なるべく同じような物を揃えて頂いたのですが、どうでしょう?」
「ん、んむ……悪くはないのう」
「可愛いですよ」
クレネストにそう言われると、不思議と嬉しい。
星導教会に言われて嬉しがるなど、もってのほかなのに――
「ふんっ! このようなことは大きなお世話なのじゃ! 星導教会なんぞに借りを作ってたまるか!」
剣吞な声音で言おうとしたのに、声が上擦ってしまう。頬が熱い。
「そこなのですが、テスちゃんは何故、私達を嫌っているのでしょうか?」
「何故かじゃと!? そりゃあ!」
勢いこんで、ここぞとばかりに罵声を浴びせようとした。
振り返り、彼女の顔を睨みつけようとして、テスはそこで息を呑む。
一見、眠たそうに見えるクレネストの瞳。それが物凄く悲しげに見えて、帯びていた熱が急速に冷めて行くのを感じた。
何か悪いことでもしてしまったかのような気分で、テスはボソボソと続ける。
「それはその、ぬし等は星動力を使うであろう? それがこの星のステラという大事な力を奪って、星を壊すって――でも、ぬし等は私利私欲にかられて、そのことにも気がつけない愚か者じゃと……そのように聞いた」
両手の人さし指をつんつんとつつきながら、最後は上目遣いにクレネストを見た。
怒られるかと思ったが、意外にもクレネストは、静かにテスの話を聞いていた。
「はぁ……仕方ありません。テスちゃんには、このことを隠しておくわけにはいきませんね」
そう言ってクレネストは、テスの手をとり、その小さな手の平の上に何かを乗せる。
それを見たテスが、気抜けしたように肩をおとした。
「……なんじゃ、最初から知っておったのか」
「ええ、ゼクター・アルバートルさんと言いましたっけ? あなたもあの方のお仲間なのでしょう?」
白鳳と大蛇の紋章が刻まれた剣の柄。ゼクターが持っていたあの剣だとすぐに気がついた。
あれほどの男が、このような物を現場に残してしまうとは、相当に余裕がなかったと見える。
「ふー、ではテスの命運もここまでということなのじゃろうか?」
「いいえ、私はこのことを誰かに言うつもりはありませんよ」
テスはクレネストの言葉に耳を疑う。
「は? なんじゃと!?」
理解不能だった。自分はこの国から見れば大罪人である。そのような者を庇い立てするなど、それこそクレネストにとっても身が危うくなる行為である。得になるようなことなど全くない。
「どうしてじゃ? テスだってその……」
「言わないでください。ここ最近の事件のことでしょう? 何となく察しはついています」
そう言ってクレネストは、ぽふっとテスの体を後ろから抱いた。
「あ……」
「今のテスちゃんの話で、あなた達はあなた達なりの正義で動いている。そのことが分かっただけでもよいのです」
優しくて、なんという心地よい温もりなのか――
しかもこの香り、どこかで微かに嗅いだ気がするのだが、思い出せない。
いけない――流されそうだ。
テスはクレネストから、すっと離れて彼女と向き合う。
右手でびしっと指を差し、左手を腰に添え、半身になって睨みつけた。
「し、しかしぬしはどうなのじゃクレネスト・リーベルよ! ぬしだって私利私欲のために星動力を広めた元凶の仲間ではないか! 民衆をたぶらかし、星のステラを奪って破滅に追い込むことをどう思っておるのじゃ!」
テスがそう言うとクレネストは目を閉じ、少し考える素振りをみせてから口を開く。
「はぁ、そうですね――我々星導教会では、星の偉大なお力を信じていますから、星動力はいくら使ってもステラへと戻り、なくならないと言われています」
「そ、それは大嘘なのじゃ! 目先の利益しか考えない者達の屁理屈じゃ!」
星導教会の司祭であるクレネストなら、そのように答えるのは必然である。それは分かっているのに、そういう風なことを口にするクレネストに、どうしてなのか酷い失望感を覚えてしまう。
(なぜじゃ! なぜ、おぬしほどの者が気がつかないのじゃ!)
テスはやきもきする余り、目に涙が滲んでくるのを感じた。
「ごめんなさいね、でも、テスちゃんの言うことが嘘だとは思ってませんよ」
そう言ってクレネストは、テスの頭の上にポンと手を乗せた。
「ふぇえぇ?」
力んでいた体の力がふにゃっと抜ける。
「ただ――今はまだ、私だって言えないことも沢山あるのですよ」
そう意味ありげな風に言って、なでなでしてくるクレネスト。気勢を削がれ、テスは拗ねたように口を尖らせた。
クレネスト・リーベルはなんか変だ。妙だ。
少なくとも、自分が抱いていた星導教会のイメージとは遠くかけ離れている。
もっと悪どくて、汚くて、ずる賢いと思っていた。自分を実験動物同然に扱っていた、あいつ等みたいに。
だから徹底的に糾弾して、困らせてやろうと思った。
それなのに――テスのことを否定せず、それどころか優しく受け入れてくれる。
「い……命を助けてくれたことは感謝するのじゃ、だが心を許したわけではないぞ!」
そういうことを言いたいわけじゃなかった。でも、ついそう言ってしまう自分。
こんなことを言っていては、いつかクレネストに嫌われるのではないか? という恐怖感が心の奥底でくすぶる。
星導教会の犬に嫌われても、本来それは喜ばしいことなはずなのに、何故か怖い。
「はい、テスちゃんが無事ならそれで良いのです」
やはり、それでも優しいクレネスト。
(だめじゃ……テスはこやつを嫌いになれそうもない……)
そのことで、仲間達に対して背徳感を覚える。
できることならこの先、彼女と争うようなことが起こらないことを祈った。
★☆
その夜――
テスは起き上がると、なるべく音を立てないようにドレスへと着替える。
眠っているクレネストを見下ろして、
「すまぬ、だがテスはローデスを探さねばならぬ……探してみんなのところへ帰らなければならんのじゃ」
そう言い残すと、テスは窓を開け、夜の町へと消えていった。
しばらくして――クレネストは薄っすらと目を開ける。
「もう、しょうがない子です――」