●世界観B創世記・星の終わりの神様少女2

★☆3★☆

「クレネスト様は、何故あの子にそこまで入れ込んでおられるのですか?」

 エリオは星動車を走らせながら、欠伸をしているクレネストに尋ねた。

「あの子が可愛い――というのもあるのですが、少々気になることがありましてね……」

「気になること、ですか?」

「捨てる前に彼女の服を調べてみたのですが」

 と言ってクレネストが、二つ折りの紙を取り出す。それを広げて中のものを摘んだ。

 エリオは前方に気をつけながら、一瞬だけ視線を走らせて、クレネストが摘んでいるものを確認する。

「毛?」

「はい、何かの体毛ですね。かなり硬いです。ポッカ島に生息する生物で、このような毛を持った動物なんて、心当たりがありません」

 つまり、テスはその体毛の主に襲われた、ということなのだろうか?

 頑丈極まりないあの子を、あそこまで破壊できる生物。そんな生物が徘徊しているとしたら、これは一大事である。

「なるほど、その体毛の生物を駆除しに行くわけですか? ですが、それとあの子をつけることと、どのような関係があるのです?」

 エリオには他にも疑問があった。そもそも駆除するだけであれば、なにもこのような時間に出歩かなくてもよいし、討伐隊を編成したほうがよいだろう。

 教会側にも報告せず、個人的に動いている理由が全く分からない。

 テスも出て行ってしまう前に、引き止めることができたではないか。

「エリオ君……足を怪我していたとはいえ、あの子の戦闘力は人間のそれではありません。たとえ大熊でも一撃でしょう。あの子を倒せる野生動物なんているわけがありません」 

「ということは――つまりはその、ははは……すみません、どういうことですか?」

「その毛の主は野生動物等ではなく、何者かが意図して作った何かと考えるのが自然ではないかと思うのです」

「それはようするに、何かの実験生物みたいなものでしょうか?」

 確かに、テスみたいな超人がいるのだから、そういうことも考えられなくは無いが。

「現時点で判断はしかねます。が、もしかしたら、それよりも更にタチが悪いかもしれません」

「と、言いますと?」

「禁術――それもかなり、えげつない術です」

 そう聞いて、エリオは背筋に寒気が走った。ここまでくれば彼にも察しはつく。

「もしかして、生き物を化け物に変えてしまう術って、本当にあるんですか?」

「なるほど、知っていましたか……ええ、あります」

 苦々しい口調でクレネスト。

 いったいどこの誰だろう?

「それはまさか……マーティルの大樹の破壊に失敗したあの二人を、組織が制裁といった感じですか?」

 それでクレネストはテスを泳がせ、あの子を狙って現れた制裁者を捕らえる。

 それが狙いだろうか?

「いいえ違います。彼等のあの術式では、化け物に変えるような禁術は使えません。初歩の部分しか分かっていないようですから」 

「で、ですが……もしかしたら組織にはもっと詳しい人がいて、ということは?」

「それならあの時の眼鏡君が、もう少しはできる禁術を使っていたでしょうね」

「では……どこの誰なんですか?」

 クレネストはこめかみの辺りに手を添えて、陰鬱そうな表情をみせた。

「さぁ? 現状では特定できません。でも、嫌な予感がします」

(正体不明の相手か……)

 とにかく警戒することに越したことはなさそうだ。

「それであの子は?」

――あの子に関しては、ローデスさん……あの時の大きな殿方ですが、探しに行くと言っていました。でも、おそらくは……」

 クレネストの声が沈みこむ。

「お亡くなりになられていると、お思いですか?」

「可哀想にあの子、うわ言でしきりに『やめてくれ』と言っていました。あの子は最期を見ていたのではないかと……それで、それが受け入れられ……なく……て」

 怒りか悲しみか、クレネストの言葉の後半が震え掠れて――

「クレネスト様」

 エリオが心配して声を掛けると、クレネストは自分の両頬をパンパン叩いた。

「あの子には、あの子なりに納得できる形で終わらせてあげたいのですよ。ただ、あの子を狙って、またその者が現れるかもしれないのです。注意してください」

 しばらくして、星動車は海岸沿いの道に辿りついた。

 ひとまず道路脇に車を止め、近辺を眺めて見るが、暗くてなにも見えない。

 テスが発見された時の状況。服も塩で汚れていたことを考えると、おそらく船か何かで沖に出たところを襲われ、海へ転落したのだろう。

 星動力を使うことを嫌っていることから、あの紋章の組織は、通常の交通手段は使わない。

 とすれば、この海岸のどこかに合流地点があって、秘密裏に、ポッカ島を独自の交通手段で、出入りしていると考えられた。

 テスは再び、その場所へと向かった可能性がある。

「それで、どうやって探すおつもりですか?」

 海岸線といってもかなり広いし、テスがここへ向かった、という絶対の確証性はない。あてが外れて、まだ町中にいるのかもしれない。

 クレネストはしばらく考えるように、ぼぅっと星空を眺め――

――はぁ、考えてませんでした」

「ちょっとクレネストさまぁ!?」

★☆

 月明かりの下、テスはローデスの姿を探して海岸線を歩いていた。

 岩場を身軽に移動して、夜目も利く。体の調子はかなり回復している。

 あとは彼を探して、そして帰るだけ――

 なのに、

 時々大声で彼の名を呼んでみるも、見つからない。

(どこにおるのじゃ、ローデスよ)

 あの夜、仲間と思っていた謎の三人組みに襲われて、うち一人が化け物と化して襲ってきた。

 化け物にローデスが捕まったが、彼はきっと上手く逃げているはずだ。

 そうテスは自分に言い聞かせていた。

 不測の事態ではぐれた時は、ここで落ち合う約束だった。

 だからきっと、この場所で待っているはずだと――

 一人でいるのがとても心細く、時間が過ぎていく毎に、テスはいいしれない不安と恐怖を感じた。

 と――人の気配を感じた。

 女の、なにやら物がつまったような、そういうくぐもった悲鳴。

(なんじゃろう?)

 テスは物音を殺し、そちらの方へと近づいていった。

 星動灯の明かりが見える。

 岩陰に四人ほど、体格からみると男だろうか? 三人は屈み、うち一人は何かに乗っかっている。

 なるほど、とテスは思った。

 男達の足元には少女がいた。衣類は辺りに散乱し、大事な部分を荒々しく弄られて身をよじっている。

 口には布のような物を突っ込まれて、恐怖と絶望の表情で涙を流していた。

「つまりは、強姦シーンという奴かのう~」

 そう声を上げ、テスは不敵な笑みを浮かべながら男達に近づく。

 全員の視線がこちらを向いた。

「あ? なんだ? ――子供?」

 テスの姿を、意外なものを見る目で男達が立ち上がった。

 が、すぐに下卑た笑いを漏らした。

「お嬢ちゃん、迷子? こんなところに一人で来たら危ないよ?」

「おいおい、ガキは趣味じゃないぞ? 俺は」

「いや、案外俺はいけるぞ? どうなっちゃうのか興味あるなぁ」

「まだ生えてないから丸見えだろ」

 口々にそんなことを言いながら、テスの方へと近づいてきた。

 転がっている少女を助けるつもりでもないのだが、これはこれで気晴らしにもなる。

 もっとも、こいつらの顔を見ていたら、なんだか下らなすぎてイラっとしてきたが。

「さて、おこちゃまパンツはどんなんかなぁ?」

「やかましい! ロリコンが!」

 屈んでスカートをめくろうとした男の顎に、テスの蹴りが炸裂する。

 男はぐるぐると回転しながら、空高く打ち上げられた。

 それを残りの三人が呆然と見上げて、その視線が次第に下がり――

 生々しく、砕け潰れる音がして、岩の上に男の体が転がった。間を置いて、トロトロとした液体が流れ出る。

 現実味がない光景――三人は真顔になったまま、テスの方へ顔を動かした。

 うち二人はテスの姿を見失い、真ん中にいた一人には、

「何年生きた? 何人の人生を奪った? おのれは人生楽しかったかえ? ここで死んでも悔いはなさそうなツラじゃのう」

 テスの壮絶に楽しそうな顔が間近に映った。

 それに気がついた二人は引きつった悲鳴を上げ、左右に割れるように倒れた。腰を抜かしながらも這うように逃げ出す。

 テスに睨まれた一人は動けず、露出した下半身から失禁し、

「汚いのう」

 渋面になりつつそれをかわす。クレネストに貰ったドレスを、こんな下らない理由で汚したくはない。

 テスはちょっと離れてから、足元の岩をこづく。

 はじけ飛んだ岩が、つぶてとなってその男の顔面をとらえた。うち数発が両目に潜り込み、文字通り血の涙を流しながら男は前のめりに倒れて動かなくなる。

 次に、這って逃げている一人に近づき、テスはその頭を踏みつけた。潰してしまっては服が汚れる。

 手加減しながら数回踏みつけると、いい具合に大人しくなった。トドメに心臓を踏みつけて潰しておく。

 完全に動かなくなったその男を、つまらなそうに見下ろしていると、

「こ、こいつを殺すぞー!」

 少女の髪の毛を引っ張り上げ、その喉元にナイフを突きつけながら、男がズレた脅迫をしてくる。

 お定まりのような展開に、テスは少々興ざめしかけていた。

 が、ふと少女の方を見ると――

 喉の奥で引きつった悲鳴を上げ、懇願するような瞳でテスを見つめていた。

(テスも昔は、こんな目をしておったのじゃろうか?)

 力も無く、どうにもならない。施設で幼い体を弄くられ、薬物を投与され、覚めない悪夢に苛まれた。連れてこられたばかりの子供達も、こんな風だった。

「そやつを殺したら、おぬしの運命が変るとでも思っておるのか? やってみるがよい……ただし、そやつを殺したら、なぶり殺しにしてくれる」

 凶暴に目を見開いて犬歯を見せるテス。

 それを見た男の体がガクガクと震えだし、すっと髪をつかんでいた手が離れた。少女の体が前のめりに倒れる。

 恐怖を顔面に張り付かせた男。

 テスは凄まじい破裂音と共に低空を跳躍した。

 その顔面を捕まえて、そのまま男の体を岩へ叩き伏せると、数十歩分の距離を引きずった後、空中へと放り投げる。

 建物数階に相当する高さから岩へ落とされた男は、最初の男のように、だらしなく液体を流しながら絶命した。

 最後にテスは、裸身のまま体を震わせて怯えている少女を見据える。

「普通の町娘か……」

 さて、こんな姿を見られてしまった。

 この少女は感謝するどころか、こちらを化け物を見るような目で見ている。

 後々面倒なことになりそうだ。やはりここは始末しておくべきか……と動こうとしたその時。

 テスの脳裏にクレネストの、悲哀に歪む顔が思い浮かんだ。

――まいったのぅ)

 星動灯を踏み潰し、辺りが闇に沈む。テスは怯える町娘に、静かに背を向けた。

「ここにいる者達は化け物に殺された――それだけじゃ、早く行くがよい。ぬしは恐怖で混乱しておるから、化け物がこのような姿に見えておるのだ」

 そう声をかけると、少女は脱がされた衣服を拾うことすら忘れて、ほうほうのていで逃げ出していった。

(ふう、らしくもないのう。はやくローデスを探さねば)

 再び、テスは夜の海岸を彷徨いだした。

★☆

 珍しくクレネストは頭を抱えて、慌てていた。

「ああぁぁ、どうしましょうどうしましょう」

「クレネスト様、落ち着いてください!」

 おそらくは、マルネリオ町からそれほど離れていない海岸だと思う。

 問題は東か西かということなのだが。念のため、今はテスが発見されたという西側の海岸にいる。

 時々星動車を停めては、辺りの岩場を探ってみるも、あの子の姿は見当たらない。

「もう少し先に行ってみましょうか?」

「……はい……です」

 こんなにしょんぼりとしているクレネストは見たことがない。

 やはり、彼女にもこのような心はあるのだ。

 感情よりも具体性を優先するところは確かにあるのだが、サイシャの言うような冷たい娘ではない。

 エリオは、クレネストがテスに入れ込む理由など、段々とどうでもよくなってきていた。

 彼女に、こんな顔をさせたままではいけない。

 海岸を注意深く見ながら、ゆっくりと星動車を走らせる。

(でも、これは厳しいかもしれない……)

 そう思っていると、

「エリオ君ブレーキ!」

 鋭いクレネストの声に反応して、エリオはブレーキを踏んだ。

 音を立てて急停止する星動車。その前哨灯の明かりの中に、何かがいる。

 エリオは良く目をこらしてみた。

 黒と思われる長い髪に、ちょっとあどけない顔立ちの少女。それが驚きの表情で目を見開いている。

 顔から徐々に下へ目線を移すと、二つのほどよい膨らみに突起がが――

「って! なんだぁ!」

「エリオ君、良い子は見てはいけません。あなたのローブを借りますよ」

 と言って、クレネストは横から手を伸ばして、エリオの両目を覆い隠した。

★☆

 テスは、ひときわ大きな岩の上で足を抱えて縮こまり、ぐずっていた。

(どこにおるのじゃローデス)

 いくら探しても、その名を呼び続けても、彼は一向に姿を現さない。

 テスを一人置いて、帰ってしまったのだろうか?

 いや、彼ならそんなことをするはずがない。

 仲間達はみな、テスに優しくしてくれたが、その中でもローデスは、特にテスのことを気にかけている。

 まるで実の娘のように――

 単に優しいだけではない、かなり叱られたこともある。でも、彼は生きるために大切なことを色々と教えてくれた。

 テスは自分のリボンにそっと手を添える。

 これはローデスが、誕生日に初めてくれたプレゼントだ。

 無くしてしまわなくて良かった。

 テスは闇の中、再び勇気を奮い起こすと、その場に立ち上がる。

 ――その時だ。

「あぁ、代償にするからと、念のためくだらないゴロにヤらせてあげたらあのザマだ。あの時のお前が生きていたとはね。どうしてあのまま綺麗さっぱり死んでくれないかな? 面倒だ、全く面倒だよ」

 頭からつま先まで、ぞわりという感触。陰鬱にボソボソと腐れた声。

 恐怖か怒りか、むしろ歓喜か――複雑な感情が渦巻き体がわななく。

 激しく歯軋りをし、目を血走らせ、不愉快極まりない空気を放つ声の主をテスは見下ろした。

 そこには風呂敷を担いだ銀髪赤コートの青年。

「ききき、きさまぁ! よくもこのテスの前に姿を現したな! なぶり殺しにしてくれるぞ!」

 激しいテスとは正反対に、覇気のない表情でテスを見返し、青年は疲れたように口を開く。

「いや知らんし、でさ……君等さ、邪魔なんだよ……なに価値のないウジ蟲共に、星動力以外の動力お勧めしてるのさ? 無意味に死んだあの男みたいに無意味に死んでくれないかな? 君だってどうせ生きてる価値がないんだからさ」

 興奮していたテスの顔に、一気に影が落ちた。

 心の芯が砕けていくような、おぞましい気配。感触。

「貴様、いまなんと?」

「自分達の計画を何で知ってるの? とか頭の悪いこと聞……」

「あの男みたいに――なんじゃと?」

 感情の篭らない平坦な声音で、テスが遮って問いただす。

 青年は一瞬きょとんとした表情を浮かべて、それから心底失望したように溜息をついた。

「君だってギャーギャー喚きながら見てただろう? 手足をもいで、頭から食べたの……ああ、ひょっとしてグロすぎて記憶が飛んだ?」

「おい……」

 ドス黒い殺気が辺りに立ち込める。

 テスはまるで、血管の中を虫が這うような酷い不快感に襲われ、その場に両手両膝をついた。

 そして、吐いた――

 胃の中の物を全て吐き出し、それでも尚収まらない。

 だが、吐くほどに頭の中にかかっていた霧が晴れ、ローデスの最期が鮮明に見えてくる。

 何処かを噛み切ったのか、テスの口の端から血が流れ、指が岩にめり込み砕いた。

 黒い殺気の炎を燃え上がらせながら、ゆっくりと立ち上がる。

 異様にぎらつく目。

 絶望に涙を流し、魔物となったテスは殺しの咆哮を上げた。

「あぁ、面倒だなぁ」

 つまらなそうにそう言って、青年は風呂敷を下ろすと、中の物を取り出す。例によって、それは女性の生首。

 それを置いて印を切り始めた。青年の周りに描かれる紫色の術式。

 それを見下ろすテスは、砕けた岩を拾い上げると、青年目掛けて豪腕を振るった。

 岩は、青年とテスの間で急速に力を失うが、同時に大気が激しくうねり、見えない圧の波紋が広がる。

「やはり破られるか、こうなるとあまり役に立たないかなぁこの術」

 青年の防御術を打ち破ると同時にテスが跳躍した。

 印を切っている最中の青年を、直接この手で引き裂いて、ローデスと同じように食ってやろうと。

 その拳が青年を捉えて――

「ぬう!?」

 唸るテス。手ごたえが無かった。

 殴ったその箇所から煙を突くように穴があき、青年の姿は粒状となって虚空に溶け消えていく。

 テスは青年の姿を一瞬見失うが、すぐ横に気配を感じて、ゆらりとそちらへ体を向ける。

「投影術さ……暗くないと使えないから面白くはないけどね」

 生首が術式へと分解され、青年を取り巻く術式へ加わる。禁術が完成してしまった。

 同時に、不気味な音を立てて変化する肉体。

 赤黒い強靭な皮膚、凶悪な筋肉、所々から延びている銀色の剛毛。

 牙を剥き邪悪に微笑む悪鬼の姿。

 あの夜の化け物が再びテスの前に現れた――

「そぅダネェ? こんどは、おいしくおこさまランチにしようとおもい……まス!」

 術の影響なのだろう。覇気のない性格から一転、急激にハイになる青年。

 テスとの体格差は絶対的。加えて今テスは、銃剣という武器も持ち合わせていない。

 それでもテスは、獣を思わせる低い体勢で、化け物の隙をうかがっていた。

 両者の咆哮――

 化け物が岩を蹴る。あまりの重量と筋力に、蹴られた岩がすり鉢状に陥没する。

 テスを間合いに入れた化け物は、小さな体を潰そうと手を突き出した。

 これを軽く上に飛んでかわすと、延びきったその腕の上に降り立つ。テスはその腕を蹴り、化け物の顔面へ向かって一気に駆け上がった。

「死ぬがいい……」

 ボソっとそう言うと、テスは化け物の顔面目掛けて渾身の突きを放った。

 激しい衝突音と、波紋状に広がる空圧。

 化け物は仰け反り後退したが、この重量物の体勢は大きく崩せない。すぐに立て直し、空中に飛んだテスを見つけると、そこへ凶悪な速度の蹴りを放つ。 

 テスは、蹴りが当たる瞬間に化け物の足を両手で叩き、その表面を滑るように回転して威力を殺した。傍目には蹴りで吹き飛ばされ、きりもみしているだけのようにも見えただろう。

 ダメージは殆どない、テスは猫すら凌駕する平衡感覚で、足から大地に降り立った。

 同時に猛烈な爆発音を立てて、化け物の足元目掛けて跳躍する。

 化け物はまだ、蹴りを放った体勢から戻っていない。その軸足を蹴り飛ばすと、化け物はあっけなく転倒してしまった。

 細く甲高い呼気が、転倒した化け物の顔面に迫ってくる。

 テスはその顎の上に降り立つと、鼻面目掛けて容赦なく踏みつけた。

 悲鳴とも泣き声ともつかないテスの罵声。

 打ち下ろされる靴底。

 何度も。何度も。何度も。

 ローデスの仇をいたぶっている。なんと心地よいことか。

 そのことがテスをより高揚させ、恍惚の表情へと変えていく。

 だが、冷静な判断力を完全に奪ってしまっていた。

(しまっ!)

 思った時にはもう遅い。

 左横から唐突に延びてきた手が、テスの幼い体を捕まえた。

 抜け出そうと苦悶の表情で暴れるテス。

 化け物はその巨大な体躯を起こすと、握った手を天高く振り上げて――

 空気を割る音と共に、テスの幼い体は岩の地面へと叩きつけられた。

「がはっ!」

 ぶつけられた岩が陥没し、跳ね飛んだテスの体が無残に転がる。

(ああぁ、なんと愚かなことを……)

 空が見えた。綺麗な星空だ。

 手足を動かそうとすると、体がバラバラになりそうな激痛が走った。

 それでもなんとか動くことには動くのだが、これではもう戦えない。逃げることもできない。

 憎しみにかられ、冷静さを失った挙句、自分は結局ローデスの仇も討てないのだろうか? 

 岩の上に大の字になっているテス。その前に化け物が立ち、足を振り上げた。

 さっきの仕返しをしようというのだろう――

(すまぬローデス――もうすぐテスも……)

 この化け物にしては、いささか手加減気味の一撃が振り下ろされた。

 テスは両腕で体を守るものの、さらに化け物の攻撃は続く。

 一撃ごとに骨がきしみ、今にも役をはたさなくなりそうだった。

 全身に激痛が走り、歯を食いしばって耐えるも、目からとめどなく涙が溢れてしまう。

 そんなテスを見て、化け物の顔が笑っているような気がした。

 無意味で無価値で無残に死んでいく自分を笑っている――

 今度はテスを踏みつけたまま、徐々に力を込めていく化け物。テスは両手でそれを支えるが、力が思うようにはいらなかった。

 このまま惨めに潰され、化け物に食われていくのだろうか?

 そう思うと、体の底から言いようのない恐怖がこみ上げてきた。

 こんな終わり方は――こんな死に方は嫌だ――

 テスは血で濡れた喉の奥から声を絞り出す。

「し、しにとうない……たすけ……て」

 その時、ふいに辺りが静かになった。

←小説TOPへ / ←戻る / 進む→