★☆4★☆
全てが静かだ。
テスの恐怖も悲しみも憎しみも、全て飲み込んで静まりかえった。
何が起きたのか分からず、呆然と星空を見上げていた。
なんと場違いな静けさなのか――
変な気分だ。
そうか……たぶん死んだんだ。
化け物の姿は忽然と消え去り、急激に痛みが消えていく。
死んだときはきっとこうなんだろうな。
が――
「不浄なる者、断罪の棘を以て、深遠なる星の御許へ還りなさい」
静寂の中心点――厳かな気を纏った者が、ゆっくりと近づいてくる。
テスは飛び起きた。
飛び起きて、自分の体がしっかりと動くということに驚く。
化け物は煙を上げて、かなり離れた所に転がっていた。
青銀の髪をなびかせて、恐ろしく蔑んだ表情で、転がった化け物を見つめているその者は――
「ク、クレネスト・リーベル!」
驚いているテスの方をちらりと見て、起き上がろうとしている化け物へ視線を戻す。
「――私の可愛い子を、よくもこのような目に合わせてくれましたね……」
静かだが凄みのある声音。
テスはその気配を敏感に察し、体の奥底から恐怖とは違う震えを感じた。
クレネストの息を呑む音――
彼女の声が美しい残響を引き、旋律を奏でる。指揮者の如く、鮮やか流麗な動きで刻まれる複雑な印。
肩口から煙をひきづり、起き上がってきた化け物が、それを見て驚愕した。
「コココココ、コウソクほうじゅツ?」
焦りの声をあげる化け物。術を完成させじと、数十歩分の距離を一気に詰めようとする。
(ムダじゃな)
案の定――
クレネストに近づいたその化け物は、あっさりとその動きを止めた。
しかも、この重量物の突進を受け止めて尚、防御術は霧散する気配をみせない。
化け物は、防御術をこじ開けようと足掻くが、勢い無く空をかきつづけるだけだ。
「なゼ、やぶレナイ!?」
疑問を投げかける化け物を見据えながら、クレネストは前方に手の平を突き出した。
それだけで化け物はバランスを崩し、よろめきながら後ろへ倒れていく。
(部分的に防御術の効力、密度を調節したということか)
あの術は柔らかい膜のような感触があり、近づくほどに強固な壁となって移動力を阻害している。クレネストは部分的にその効力を弱めたり強めたりを繰り返し、化け物のバランスを崩したのだ。
法術のことなどテスにはよく分からないが、たぶん、かなり高度な技術。おそらく、これを利用すれば内側からでも攻撃ができるのではないかとみた。
「その禁術――」
半身を起こす化け物に、ぽつりとクレネスト。
いつも以上に目を細め、心底くだらなそうに見下して――
「必要なのは非処女の頭部ですよね。なるほど、それでですか」
クレネストは手招きするようにすっと手を丸めた。
途端、化け物の体が宙へと跳ね上がる。
「さて、どのような外道でもいたぶって殺す趣味はありませんが……仕方ないですね」
そう言って彼女が手を下げると、化け物の体が突然急降下し、地面へと叩きつけられた。
テスにはどうしてそうなったのかよくわからないが、たぶんあの時の少年と同じ方法――
(同じ方法? いや、まさかの……)
再び印を切るクレネスト。実に容易く簡単に、淀みなく術を組み上げていく。
「コノていドでは、このカらだはコワァれ、まスッ!」
変なふうに言葉を間違えながら、化け物は全身のバネを使って起き上がる。
すぐさま、あたりの岩を砕き散らかし、滅茶苦茶にクレネストへ向かって投げつけた。
クレネストはテスを守るように前へ移動する。
(ぐ、これはまずいのじゃ!)
テスには防御術の状態が、違和感となって体に伝わってくる。まるでそれが目で見えているかのように、鮮明に分かる。
クレネストの防御術は強靭で、この化け物青年が使っていた術とはものが違う。
しかしそれでも、岩の猛攻を受け続け、歪み形状が変れば、密度の薄い部分ができあがり、やがて隙が生まれる。
この化け物も、それを知っていての攻撃。
大量の飛ばされた岩が空中に静止し、視界が塞がれていく。
「クレネスト・リーベル! 上じゃ!」
テスの言葉にクレネストは、後ろ手を組みながらその方向を見上げる。
月明かりに照らされて、巨大な物体の輪郭が闇に浮かび、その姿が急速に拡大し――
クレネストが、タンっと足の裏で地面を叩いた。
(なんじゃ?)
その途端、空間に張り巡らされた違和感が消失する。
同時に、耳を圧迫する大気の変化を感じた。
軽く風が流れる。
と、思った瞬間。
渦巻く豪風が吹き上げて、瞬く間に天と地を繋いだ。
大量の岩を巻き込みながら――
「ギ? ゴガボバァ!」
法術の竜巻にその身を捕らえられ、自ら放った岩に体を叩かれる化け物。
それが消えると化け物は、大量の岩とともに海の方へ墜落した。
盛大な水しぶきが上がる。
(こ、ここ、これがクレネスト・リーベルなのかえ?)
あの化け物が手も足もでない。
これではゼクターとレネイドが撤退するのも無理ないことだ。
テスには、戦うクレネストの姿が神々しくさえ思えた。
とはいえ、ある疑念がわく。
(こやつはこれで、まるで本気を出していない)
一体どういうことであろう。出し惜しみなのだろうか?
あの化け物も、痛手を受けた様子で立ち上がってくるが、戦闘不能というには程遠い。
クレネストから感じる並々ならぬ力の予感。神聖で厳かな気。
テスの見立てでは、あのような化け物など、苦もなく叩き潰せるはずだ。
「クレネスト・リーベルよ……何故ゆえ本気を出さんのじゃ?」
テスがそう聞くと、クレネストは困ったように首をかしげ、すっと化け物を指差した。
「まぁ、それはともかく、そろそろ時間です」
(時間?)
意味ありげな言葉に化け物へ視線を移す。
海から這い上がり、岩の上でよろよろと立ち上がる化け物。
と――その体が突然、力なく岩の上に倒れてしまった。
酷い臭気を撒き散らし、煙を上げている。
目をこらしてよく見ると、その背中がなにやらモゾモゾと蠢いて、やがて皮膚を破って中から何かが出てきた。
覇気の無い顔、銀色の髪、それは化け物になっていた青年だった。
残骸から這い出し地面に降り立つと、疲れたようにふらつく。
粗末な物を見てしまったのか、クレネストが眉をひそめつつ視線を逸らした。
青年は裸だった。
「あぁ、なんだ、そうか、終わりか――」
ボソボソとやる気なく言って、天を仰ぐ。
「星導教会司祭クレネスト・リーベル。なるほど、名前は聞いたことある。どうでもいいから今まで忘れてた」
「大人しく、投降して頂けますか?」
聞いているのか聞いていないのか、天を見上げたままの青年。
なにやらちょいちょいと手だけ動かしていたが、やがて顔を下げる。
クレネストを濁った瞳で凝視しながら、だらんと体の力を抜いた。
「――いや、無理」
ぽつりと吐き捨てる。
クレネストの眉がぴくりと動いた。
奇妙な違和感――
テスはとてつもなく嫌な予感がした。
「クレネスト・リーベル!」
迷わずその感に従い、彼女の体を抱きかかえると、猛然と地面を蹴って、できるだけ低空を跳躍する。
先ほどまでクレネストが立っていた位置に、一瞬青い光が落ちてくるのが見えた。
直後――
いびつに燃え膨れ上がる熱塊。
空気に生じた強烈な歪みが、猛風と化して二人を襲う。
膨大な熱と音を撒き散らしながら、周辺が吹き飛んだのだ。
吹き荒れる熱風に顔をしかめながら、青年の姿を探す。
と、その青年の体は空中に浮かんでいた。濁った目は、もうこちらを見てはいない。
抱き合ったまま、少女二人が唖然として見ている中、徐々にその高度をましていった。
その先には――
音も無く、月夜に浮かぶ飛空艇。
「い、いつの間に!」
さっきまではいなかったはずだ。
何処かに隠れて見ていたのであろうか?
船腹が開き、青年の姿がその中へと消えていった。
それを見上げながらクレネストが立ち上がる。テスはその場にへたり込んで、呆然としていた。
「――音を遮断し、明かりを消して、こちらを監視していたというところですか……」
言いながらクレネストが、杭のような物を手に持ち構えるが……首を横に振ってその手を下ろす。
飛空艇が何処かへ飛び去り、しばらくの間、二人は黙ってその方向を眺めていた。
しばらく波の音だけが続く――
「奴等、いったいなんなんじゃ!」
結局ローデスの仇は討てず、テスは悔しそうに拳を握って、岩へ打ち付けた。
銃剣さえあれば、クレネストの手を煩わすこともなかったかもしれないが、そんなことは失態の言い訳にもならない。
「――テスちゃん」
ボソりとクレネスト。
テスはその声に、上がっていた熱が急激に下がるのを感じた。
一瞬びくりとしてから、おそるおそる顔を上げる。
クレネストは――やはり眠たそうにテスを見下ろしていた。
テスは目を合わせることができず、うつむき、奥歯をきつく噛む。
衣擦れの音。クレネストがゆっくりと屈みこんだ。
……怒られる!
そう思って、テスはきつく目を閉じた。
が、突然顔を引き寄せられ、ぽふっと柔らかな感触に挟まれた。
「クレ……ネスト……殿?」
「ごめんなさい……私のせいでこんな目に」
クレネストの胸の中で、テスはその謝罪の言葉に戸惑う。
違う――悪いのは自分だ――
関係のない彼女を巻き込んでしまったばかりか、命の危険に晒してしまった。
「もっと私が早く来ていれば」
テスは何か言わなければならないと思いつつも、声が嗚咽に変り、言葉にならなかった。
情けなくて、情けなくて、彼女に寄りかかりながら泣き崩れる――
そんな子の頭を、クレネストは泣き止むまで優しくなで続けた。
★☆
化け物の残骸が残っていたことが幸いした。
なんの生物か分からないほどぐちゃぐちゃだったが、そういう動物がいたということを証明づけるには十分だ。
テスが惨殺した四名の男達については、この謎の動物に殺されたということで処理された。
保護した少女の方も、恐怖から記憶が混乱していたのだろうということで、納得する。
そもそも、こんな幼い容姿のテスが、男四人を素手で惨殺したと言っても、彼女の力を知る者以外は誰も信じないだろう。
クレネストに関しては、脱走したテスの行方を捜していたら偶然現場に居合わせたので、ついでに害獣を駆除した――というふうに話をつける。
若いとはいえ星導教会の司祭が相手なので、田舎の軍警察もあまり深くは追求しなかった。
★☆
星動車の後部座席――
すやすやと安心した顔で眠るテス。すっかり疲れきってしまったようだ。
「可愛いです――可愛いです――可愛いテス……あれ?」
クレネストも疲れているはずなのだが、その寝顔に少々浮かれ気味である。
後部座席の方を向いたまま、目を離さない。
「クレネスト様あのー、危ないですよー」
エリオが苦笑しながら注意する。
彼にはあの後、強姦被害にあっていたという少女を町まで送り届けてもらった。少女から得た情報を元に、クレネストは一人残って、テスを探していたのである。
「つん……つん……」
腕を精一杯伸ばし、テスのほっぺたをつついてみるクレネスト。
ぷにぷにの触感。テスが身をよじる。
「んにう……もぅたべられ……ないのじゃ」
「!」
テスのあどけない反応に、クレネストは頬を真っ赤にしながら、運転しているエリオの膝の上へ、ゆっくりと横倒しになった。シートベルトがびーっと音を立てて延びていく。
「うわぁ! クレネストさまぁ!」
エリオの叫びと共に、道行く星動車が蛇行した。