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ライネスが去った後、二人は部屋の掃除を終え、それぞれが荷物を運び込んだ頃には、すっかり日も傾いていた。
空調の効いていない部屋の外では、今の時間でも酷く暑い。
夕食を頂く前に、エリオは羽織っているローブを畳んでおき、クレネストの方も薄着に着替えてきた。
そんな彼女の姿を見て、彼はしばし呆ける。
「エリオ君……あの……やっぱり変でしょうか?」
自身の両肩を抱いて、恥ずかしそうに大きく目線を逸らすクレネスト。
彼女はいかにも涼しげな、フレア・ワンピース姿となっていた。
薄水色の軽そうな生地。清楚可憐な雰囲気をかもしだし、スカートの丈も短すぎず長すぎず、彼女を上手に引き立てている。
両肩から指先、首筋から胸元にいたるまで白肌を露出し、ふわりと広がるスカートからは、線の細い足がすっと伸びている。
その、どこか儚げな姿に、エリオとしてもつい目を奪われていた。
「ああ、いえいえ……とてもお似合いでしたので驚きました」
「はぁ、そうなのでしょうか?」
クレネストはそう漏らして、自信なさげに着ている服を見回す。
おそらくセイルの奴なら、感動のあまり卒倒するんじゃないのか? とも思うくらいなのだが、彼女は疑いの眼差しである。
「これはフェリス司祭から頂いた物なので、折角だから着てみたのですが、やはりこのようなお召し物は、私には……」
彼女の口から出てきた名前に、エリオは思わず苦笑い。
(ははは……あのお方の仕業か、どうりで)
普段のクレネストは、法衣を着ている時以外、地味で飾り気の無い格好ばかりをしていたはずである。彼女の性格から考えると、船室で見た寝間着姿といい、なにかが怪しいとは思っていたのだが……
フェリスの手回しの良さに呆れる反面、なんと良い仕事をしていることか。
「いえいえ、そんなことはありませんって! フェリス様だって、クレネスト様によく似合うと思ってよこされたのでしょう?」
そんなエリオを、クレネストは困った顔で上目遣いに見上げ、頬を赤くする。
「エリオ君が、そこまで言うのでしたら……」
消え入りそうな声でそう言うと、すぅっと彼の背後に回り、その背中を両手で押していく。
「あの~、クレネスト様?」
「あーもう、しょうがない子です……なんだか、恥ずかしくなってきたではないですか」
彼女の小さな手に押されながら、エリオも困った顔で再び苦笑した。このお方にも、こんな一面があるのかと、新鮮な気持ちになる。
結局クレネストは、食堂に着くまで彼の背中に張り付いていた。
――おいしそうな香りが立ち込める教会の食堂。
中は広く、決して明るすぎることはない星動灯が、落ち着いた空間を演出している。人も思った以上に沢山いた。皆並んで、それぞれの食事を受け取り、席についている。
「今日は結構、外来のお客さんが来てるみたいですね」
クレネストは食堂を見回しながら、そう口にした。好奇の視線が集まることを予測してか、胸元は腕を組んで隠している。もっとも、隠すほど無いのではないか? と、一瞬いささか無礼なことを考えてしまい、いかんいかんと、エリオは自分の頭をコンコン叩く。
数分の順番待ちの後、二人ともそれぞれ夕食を受け取り、空いている席へと移動した。
「こうして見ると、食料の方は大丈夫なのでしょうかね?」
出されたものは、テスタリオテ市とさほど大きくは変らない。違いといえば、この近海でよく取れる焼き魚が堂々と据えられているくらいである。
「ポッカ島は殆ど本土からの輸送や、南大陸からの輸入に頼ってますから、そこまで影響はでないと思いますよ」
そう答えてクレネストは、二本の棒切れのような食器を使い、とても器用に魚の身を分けて口に運ぶ。
エリオはしばしそれを眺め、自分はナイフとホークで食べようとした。
(うーん、ちょっとこれはなぁ)
この魚には骨が残っている。これはかなり食べづらい。
「クレネスト様、その食器は?」
「はい? ああこれですか」
そう言ってクレネストは、その食器でつまむ動作をしてみせる。
「箸という食器です。大陸南端やポッカ島では古くからある食器なのですが、見るのは初めてですか?」
「ええ、ちょっと僕も試したいので取ってきます」
エリオはそう言って席を立つ。
食器棚に置いてある箸を――とりあえず二本取ればよいのだろうか? と、沢山刺さっているそれを見て迷った。よく観察しても、特に色に違いがある物でもなさそうだし、多分これでよいのだろう。そうエリオは結論付けて、箸を取り席へと戻る。
早速、クレネストの真似をして使ってみようとするが、
(結構難しいな)
なかなか彼女のように固定して摘む動作ができない。箸がバツの字のようになってしまう。
彼が色々と箸の持ち方を変え悪戦苦闘していると、その腕の辺りに、ふわりとした心地のよい感触の物が触れた。いつの間にやらクレネストがこちらの隣へ移動し、手元を覗き込んでいる。
「エリオ君こうですよ」
言いつつ彼の手を取り、正しい持ち手の形に整えた。
「ああ、なるほど――ええと……はい……」
箸のことよりも、どちらかといえば彼女の身体が触れる感触や、服の隙間の方にどぎまぎしてしまうエリオ。
緊張しつつ、とりあえず簡単そうな食べ物から摘んでみる。
まだ変に力が入るが、ぎこちないながらもなんとか口まで運ぶことに成功した。
「慣れが必要ですが、便利です。でも別に、箸じゃなくても食べられますから、食べづらいのであれば無理しなくてもよいのですよ?」
そうエリオに声を掛けてから、クレネストは自分の席に戻り、食事を再開する。
その彼女の手つきのなんと鮮やかなことか。違和感だらけの自分の手先とは雲泥の差だ。
「いえ、ちょっと楽しくなってきたので頑張ってみますよ」
使い慣れないが、その斬新さに、エリオはどこか心にしみるものがあったようだ。それに、クレネストと一緒に食事をするのなら、自分も彼女と同じように使いこなしたい。そんな意地にも似た思いがある。
一生懸命に箸を操ろうとしているエリオ。
そんな彼を、クレネストはしばらく黙って見つめていた。