●世界観B創世記・星の終わりの神様少女2

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 朗報だった。あの資料に書かれていたことが本当だったとしたら――

 いや――どちらかと言えば、かなり信憑性は高いと見てもよい。どれも検証可能な方法で裏づけされ、事細かに調査資料が作られていた。

 マーティルの大樹は長年、星が放出するステラを浴び続けて変質した特異な巨木。それは単に見た目だけではなく、中身の方も変えてしまったらしい。

 エイダーの資料に書かれていたマーティルの大樹の特性……

 それは――

 ステラを星より吸い上げ、蓄え、成長する驚異の性質。

 成長と共に膨大な量のステラを蓄え続けた巨木は、周りの環境にまでステラの影響を与えるようになった。

 海流等によって運ばれた土砂を、流出させることなく次々と安定結合させ、最終的にはこの島を形成するに至ったのである。

 それはまるで、この星のあり方の縮図のようだった。

 衰退の原因はおそらく、星のステラ枯渇が原因だろう。

(この可能性を考慮していなかったなんて、私もまだまだです……でも)

 少なくとも、このことでは犠牲者を出さなくてすみそうだ。マーティルの大樹が衰え始めているという今ならば、むしろ良いことかもしれない。

 なぜなら、禁術「世界の柱」は、膨大な量のステラを固定維持する術。

 つまり、例えマーティルの大樹を代償にしたとしても、今度は世界の柱が保持するステラによって、この島は崩壊せずにすむ……そう、考えられるのだ。

(衰えたりとはいえ、その性質が変っているわけではないのです。あの巨木から抽出できる術式は、以前見た時のままでした……いけるはずです)

 クレネストは翠緑の双眸に意識を集中する。

 眠そうな顔が、余計に眠そうになった。

 視界は寸秒で闇に変り、ありとあらゆる物体全てが、彼女には術式となって見えるようになる。

 青く光る式が、絶えず物の形に沿って流れ、自分の体ですら、文字という模様がついた黒い塊に見えた。

 もし、常人が見たとすれば、非常に奇怪で気持ち悪い光景に映っただろう。実在の本質とは、結局どれも変わらない単なる情報の塊なのではないか? と悟ったつもりになり、世界に対して勝手な失望をするかもしれない。

 しかしクレネストにとっては、この光景が非常に心地の良いものに感じられた。

 私はこれを全て理解できる――

 クレネストは今、昼間の汗を流すため、サイシャの家の浴室を借りていた。

 式が浮遊しているだけの湯でも、その感触や熱はしっかりと身体に伝わってくる。

 彼女はゆっくりと、自分の身体で最も柔らかい部分。小さく膨らむ両胸に手を触れ、指に力を込めた。無機質な見た目に反し、その弾力感は確かに感じられる。

 クレネストはそこで集中をやめた。

 視界が切り替わるように元へと戻る。

 いかにも柔らかそうに、細い指が食い込んでいる肌が見えた。

 手から胸へ、胸から手へ伝わる双方向の感触。光りと陰、色、温度、それらの方が、よほどこの世の本質を明確にしている。式が物体を表現するのではなく、物体が式を伝えているのだ。式は決して本質ではない。

 それ故に、彼女はマーティルの大樹が衰退していると聞いて、わずかばかりの危惧を抱いていたのだが――

(あの巨木の本質が、衰退したとしても変わらないからこそ、術式も変わらないのですね)

 クレネストは手を下ろすと、湯船にずるずると肩までつかり、今にも寝落ちしそうな顔で天上を見上げた。 

 熱いお湯の心地よい感触に、自然と色づく少女の頬。

 ほぅっと長い息を吐いて――

 もう一つ、気になることについて考える。

 最近まで、それほど気にしてもいなかったことなのだが、外に出るとそれなりに見えてくることがあった。

 それは別に大したことではないのだが……

(それにしても、私……小さすぎですかね?)

 しばらくして、浴室から出たクレネストは、寝間着姿で居間へと続く廊下を歩いていた。

 その途中、台所の前を通過しようとすると、その中から男女の話し合う声が聞こえてきた。クレネストはなんとなく、その場で足を止める。

 声はエリオとサイシャのものであった。

 水の音が聞こえるところをみると、彼は洗い物を手伝っているのだろう。

 自分も手伝おうかと、声をかけようとして、

「ねえエリオさん。クレネストさんのことをどう思ってるの?」

 それを聞いたクレネストの動きが止まる。一瞬間を置いた後、素早く身を引いて、様子をうかがった。

(ええと、私は何をしているのでしょう?)

 自分のとった行動に納得がいかず、口を三角にして眉根を寄せるクレネスト。

 れっきとしたこれは立ち聞きである――

「え? ああ、えっと、まぁ、うーん、そうだなぁ……俺もまだ、あの方とは一ヶ月ちょっとしか付き合いないから、そのーなんだかな? はは」

 しどろもどろ気味のエリオの声。

 顔が見えなくても、なんとなく照れ臭がっているのが感じ取れた。

 実に可愛いらしい反応。それを見られたことを、本人は喜ばないかもしれないが……

「なにさー、はっきり言いなさいよ」

 サイシャがからかうような口調で焚き付ける。

「そうだなぁ、最初はもっと年上の厳つい人が出てくるかと思ってたから、かなりびっくりしたし、大丈夫なのかな? という不安もあったよ。だけど、あの方の仕事ぶりは他の司祭様達と比較しても引けを取らないし、やっぱりどこか普通の人とは違うんだなぁと思うね。今はあの方のお傍に仕えて光栄に思ってるよ」

 クレネストはその答えに胸を撫で下ろす。自分の仕事ぶりはちゃんと評価されていたようだ。

 権威は問題ではないにしても、威厳は必要と考えている。

 納得して、そのままこっそり立ち去ろうかと考えたその時、サイシャが更に口を開いた。

「いやさぁエリオさん。それは星導教会司祭としてのクレネストさんでしょ? そうじゃなくてさーほらっ! 例えばっ、例えばだよ? 一人の女の子としてはどうなの?」

 ――なんてこと聞くのですかあなたは!

 喉元まで出かかった言葉をクレネストはなんとか飲み込んだ。

 口元を押さえ、声のする方へ瞳をぐりっと動かす。

「いやぁちょっとそういうのは……」

 エリオの遠慮がちな声。

「司祭と言ったって、あの娘だって女の子でしょう? 年もそんなに離れてなさそうだし――どう?」

 逃がさないとばかりに、サイシャが楽しそうに絡んでいる。

「うーんまいったな……あえて言えば、そういう面では少し心配なところもあるかな?」

「と、言うと?」

「俺が見てきた限りじゃ、年の近い友達がいないんだよね。同じ年くらいの子だと階級が違うから萎縮しちゃうだろうし……クレネスト様自身、仕事以外の時間は殆ど誰とも話さず、お一人で過ごされているようだったから」

 躊躇い混じりにそう話すエリオ。

「ふーん、それは何となく想像がつくわ。あの娘、話しててもちょっと理屈っぽいし、どこか機械的で冷たいもの。司祭ということを差し引いても、あれじゃなかなか友達はできないよ」

 サイシャはずけずけと無遠慮に批判をするが、クレネストとしてはそう評されることに納得している。

 まず、自分の話は難解過ぎるのか、あまり理解されることはない。自分は楽しいのでつい喋ってしまうこともあったが、どこか皆、興味がないという空気が伝わってきてしまう。時間が経つにつれ、自分のしたい話は全くできなくなり、かといって他人の話は退屈で、やはり理屈っぽく返してしまう。

 自然と人がいる場所へ積極的に向かうことがなくなり、いつの日か、一人でいることの方が心地よいとさえ思うようになっていた。友達には、それほど大きな価値を感じることができなかったのだ。

 孤立気味なのは彼女の言うとおり、階級のせいばかりではない。

「誤解の無いように言っておくけどさ、俺のことも結構気にかけてくれてるし、聞く気になれば色々と熱心に教えてもくれる。確かに論理先行で、物事シビアに言い過ぎるところはあるけどさ……それは他の人以上に物事が見えているからであって、冷たいなんてとんでもない、心のお優しい方だよ」

 エリオが大真面目な声でそう言うと、サイシャの意地の悪い含み笑いが聞こえた。

「ふふ、私としてはちょっとだけど……でも、エリオさんにとってのクレネストさんはつまり、そういう優しくて賢い女の子ってわけだ」

「いや待て……なんか君の言い方は、ズレていないようで危険なズレ方をしているように思えるんだけど気のせいか?」

 不穏なものを警戒するかのようなエリオの声音。

「どうかなー? だって随分持ち上げるじゃない~あっやしいなぁ~」

「俺は! その……」

「その?」

――なんて言うか、あの方はまるで……一人でいることに慣れきっているというか、そういう印象があるんだ。それがとても不憫でならないというか、他人を頼ることができない、そういう危なっかしさというか」

 上手く表現できないのか、エリオの声に若干の苛立たしさが感じられた。

(慣れている……ですか)

 なるほど確かにそうだと、クレネストは視線を落とし、目をつぶる。

 でも、それはどうだろう?

 いつも一人で食事をしていると伝えた時の、彼の悲しそうな表情を思い出した。

 そんな顔をされるようなことだったのだろうか? と、クレネストは今更ながらに思う。そういう感覚が理解できない。また、仕事上のことであれば、自分の上司であるパトリック司教や、他の司祭達とだって協力をすることはある。全て一人で片付けるなどということはない。それとも、そういうことではないのだろうか?

「『というか』ばっかだね、エリオさん」

 サイシャに指摘され、エリオが小さく呻く。

「真面目に話してるんだよ……」

「あはは、ごめんごめん、続けて」

――君は機械的だと言ったけど、あの方はそんなご自身のことを良くわかっていらっしゃると思うし、短所であることも認めてるんじゃないかな? どこか浮世離れしてるのも、同世代の、特に同性の子と接する機会が殆どなかったからだと思う。でも人間一人じゃ……例えば同性じゃないと話しづらい悩みとかだってあるだろ?」

 どこか熱くなっているエリオの言葉に、少しばかりクレネストは顔を上げた。

 胸の奥で、小さなざわめきを感じる。長いこと忘れていたが、幼少の頃、何度も感じた感覚だ。

(いけない、私はそこまであの子に期待しては駄目なのです)

 今は必死に理解してくれようとしているのかもしれない。でも、きっと彼もいずれはそれに疲れ、自分の元から去っていく時が来るだろう。そうなった時自分は、やっぱりという諦観と絶望に苛まれることになる。それはまるで、心を虫にでも食い尽くされていくかのような感触で、おおよそ慣れるということはない。だから最初からそれを――心の繋がりなど期待してはいけない。期待していなければそうはならない。

 理性ではそう思いつつ、それでも彼ならもしかしたら? という期待感が消えない。

 彼は、彼女が人生をかけた大業に理解を示してくれた。そして、意外とエリオは自分のことを見ているという事実を知った。

(私はなんて嫌な娘です。でも、それを知っていて、それでもあえてエリオ君は……)

 クレネストのほろ苦い思いを他所に、エリオは熱く続けて語る。

「孤独に慣れているとしても、そういう人としての感情は消えるわけじゃないと思うんだ。人から理解されなかったりとか、それってやっぱりどっちにしたって苦しいだろうし……とにかく、俺はあの方にそうなって欲しくないんだよ!」

 彼の言葉が胸にしみる。期待してもいいのだろうか? だが、嬉しいという感情よりも、恐怖の方がどうしても勝ってしまう。なんだかもう、自分でも分からなくなってきた。

 悩み、暗い顔で廊下を見つめるクレネストとは対照的に、サイシャは呑気な声音で口を開く。

――ふーん、やっぱエリオさんって、あの娘のこと好きなの?」

 そう彼女が漏らした瞬間、エリオが酷い悲鳴を上げた。

 クレネストもその声に驚いて、体を縮こませる。危うく声を上げるところだった。

「あーあ、なにやってるのさ」

「包丁洗ってるときに君が急に変なことを言うからだよ! ざっくりやってしまったじゃないか」

 どうやらエリオが手を切ってしまったらしい。

 大丈夫だろうか?

「ぷっ、くく……そ、そこの、棚の上に……ぷふふっ……絆創膏があるから、使っていいよ」

 笑いに震えるサイシャの声。エリオが憮然と唸り声を漏らす。

「あーくっそ! 痛いなぁ……」

「でもさぁ、あなた達って法術とかで、その程度の傷ならあっさり治せちゃうんでしょ?」

「それは規則で、クレネスト様から許可貰わないと駄目なの」

「それくらいは別にいいじゃないの~、お堅いね~君は」

(ほんとまったくその通りです。エリオ君、許してあげるから治しなさい)

 と口に出して言いたくても、言えない。

「ほっといてくれよ――それと、俺とクレネスト様は上司と部下の関係なの。心配とかなんとか偉そうなことを言ってしまったけど、俺がそんなことを考えるなんて、それ自体がすっげぇおこがましくて恐れ多いこと。俺なんかとじゃ、まだまだ全然釣り合いが取れていないんだよ」

 へりくだるエリオの言葉に、クレネストは小さく首を振り、両手で胸の中央を押さえる。

(そんなことは……ないです)

 彼はむしろ平均的な助祭よりは仕事もこなすし、なにより真面目だ。少々負けん気が強いところがあるが、基本的には熱心で能力もあり、優秀である。

「まったくこの男は……でも、そうやって熱くなったり、真剣に迷ったりしてる君のそういうところは嫌いじゃないかなぁ? 顔もこうしてみたら結構いけてるじゃない? ルックスという点なら彼女と不釣合いってわけでもな……」

「だぁー! この話はもうしない! 終わり終わり!」

 サイシャの言葉を遮り、エリオがやけくそ気味に話を切った。

 廊下で話を聞いていたクレネストも短い溜息をつく。

 しばらく様子をうかがっていたが、それ以上二人は何か話すようなこともなく――

 クレネストは再び息をつくと、二人にばれないようこっそりと、その場を立ち去って行った。

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