●世界観B創世記・星の終わりの神様少女2

★☆3★☆

 豪雨から一転して快晴――それだけによく見えるその場所。

 朝っぱらからマーティルカント村は大騒ぎだった。

 昨夜の豪雨で、未だ水浸しの地面に立ち、頭を抱えながらサイシャは叫んだ。

「なんなのぉぉぉ! 御神木がっ! 御神木がぁぁぁ!」

 辺りに出てきているのは村人だけではない。多くの観光客もそれを見上げていた。

「おー、なんだこりゃぁ、随分とデカくなったなぁ」

「そんな呑気に言ってる場合じゃないでしょうが!」

 のんびりとした口調で眺めるエイダーに、サイシャは両拳を振り下げて怒鳴りつける。

 マーティルの大樹。それは確かにそこにあった。

 問題は、ただですら巨大なマーティルの大樹が、以前の比じゃないほどに成長しているということだ。

 一回りどころか三、四回りくらいは大きい。その枝葉の傘は、聖域の入り口を超えるほどに広がり、地上の辺りは、なにやら青白い光を発する怪しい霧に覆われている。

「そうは言ってもなぁ、デカくなっちゃったんだからしょうがないじゃないか! はっはっはっ」

 無意味に嬉しそうな父に、頭痛が増してくる。

 エイダーは、やりがいがありそうなテーマが増えて、嬉しいのだろう。

(この研究バカは!)

 心の中で毒づいたちょうどその時。

 道の向こうからクレネストとエリオが、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。

「おは……ょう……ござ……ぃま……す」

 なんだかフラフラとしながら、クレネストが挨拶し、エリオの方も気だるそうに無言で片手を上げる。

「な、なんだかその……眠そう? ね」

 サイシャが眉根を寄せながらそう聞く。元々眠そうな表情をしている少女とはいえ、こう頭をフラフラさせていては、さすがに本気で眠そうである。

「はい、昨夜はエリオ君と宿でその……夜遅くまで大変だったので、なかなか寝られなかったのです」

 その言葉に、サイシャの顔が凍りついた。

 クレネストの両肩をがっちりと掴み、目を血走らせながら前後に激しくゆする。

「ちょ、ちょっとまさか、その……エリオさんとヤっちゃったってこと?」

「あはぅぅぅっ」という、掠れた悲鳴を上げ、ぐてっと目を回すクレネスト。頬を叩くが反応がない。

 顔を引きつらせながら、今度は青い顔でぐったりしたまま立ち尽くすエリオに視線を移す。

「エリオさん!」

「えっ、何?」

 今のが耳に入っていなかったらしい。

 クレネストをポイっと脇に捨て、今度はエリオにつっかかる。

「あなた! どう責任取るつもり!」

「は? へ? 責任?」

 エリオもぼぅっとして、頭が回っていない様子だが、サイシャはお構いなしに言いつのる。

「だから彼女とその……そういうこと、しちゃったんでしょ?」

「……はぁ? そういうことって?」

 ボケている上に、サイシャはこの察しの悪さにイラっときて、彼の向こう脛を蹴り飛ばす。

 よろけたところ、襟首を捕まえて、ぐいっと引き寄せてから、彼の耳元で声を潜めて言った。

「だから、彼女とエッチしちゃったんでしょ?」

 エリオの動きがしばらく固まる。

 何かを考えるように、しばらく目が泳ぎ――

 次の瞬間、盛大に吹いた。

「ぎゃあっ! 何すんのさ!」

 至近距離で唾を吐きかけられ、サイシャは思わずエリオの頬をおもいきり引っ叩く。

 軽快なビンタ音が、朝の道端に鳴り響いた。

「き、君こそ何するんだよ! というか、なんだなんだその誤解は! ありえないっての!」

 さすがにいまので意識がはっきりとしたのか、エリオが抗議の声を上げた。

 その頬には、しっかりと赤く手形が残っている。

「はぁ? 何も無かったなんて、それこそありえないでしょ!」

「バカ言うな! そんなことしたら半殺しにされるわっ! 彼女の名誉もあるから言うけど、やましいことは一切してない!」

 彼の声音に本気の怒りの気配を感じ、むぅっとサイシャは口をつぐむ。

 クレネストは、夜遅くまで彼と一緒にいたみたいな口ぶりだったし、ましてやデートの夜だ。それで何もないというのは、とてもではないが信じられない。という風にサイシャには思える。

 クレネストが昨日、彼女に誤解させたことが、さらに変な誤解を招いてしまっていた。

(だいたい……そうじゃないなら、こんなに疲れるほど何してたっていうのさ)

 いつの間にかクレネストが、家の壁に寄りかかって、くーくーと愛らしい寝息を立てている。

「仕事! そう、昨日は仕事のことで大変だったの!」

「仕事ねぇ~」

 胡散臭いエリオの言い分。

 サイシャは腕を組み、大袈裟に首を捻りながら、いかにも疑わしそうな目つきでエリオを見る。

「と、とにかく! ……クレネスト様を寝かせてやってくれないか?」

「まあいいけどぉ~」

 ジト目でそう言って、クレネストを壁から引き離す。崩れ落ちそうになるその体を支えた。

 念のため、変な臭いがしないか嗅いでみるが、彼女の良い香りがするだけである。

 ひとまず、安堵して短い息を漏らした。

「エリオさん、ちょっと手伝って」

「あ、ああ」

 サイシャはエリオに手伝われながら、クレネストを背負う。

 小さく、痩せ気味の彼女は、見た目どおり非常に軽かった。もう少し食べなくては駄目であろうと、サイシャは心配する。

 とりあえず、彼女を家に運び込み、自分の部屋まで連れて行った。

「あとは私がやっておくから、エリオさんも疲れてるんでしょ? 部屋で休んでていいよ」

 ついてきたエリオにそう言うと、今にも死にそうな声で、「あーどうも」と言って頭を下げる。

 大丈夫なのだろうか?

 廊下をフラフラと行くその背を見送ってから、部屋の中に戻った。

 ベッドの上に降ろしたクレネストを眺め、腰に両手を添えながらふぅっと息をつく。

「これが星導教会の司祭様……なんだよねぇ」

 青銀の髪はともかくとして、こうして寝ている姿は、まるっきりただの可愛らしい女の子だ。

 サイシャは彼女の荷物を開け、中から寝間着を取り出す。衣類の他にも、なんだかよく分からないものが沢山入っているようだ。たぶん星導教会の儀式か何かで使う星動機の類だろう。

 数冊の本を見つけて中身をパラパラとめくってみるが、難しすぎて訳が分からなかった。パタンと閉じて中に戻す。

(普段地味だけど、寝間着はわりといい趣味してるのね)

 一通りしげしげとそれを眺めてから、気持ちよさそうに眠っているクレネストの衣類を脱がせていく。

 部屋に差し込む陽の光りを反射して、その肌が眩しく輝いているように見えた。

 サイシャは、何気なく彼女のお腹をつんつんとつついたり、太ももを撫でてみたりしてみると――

(ぷにぷにのすべすべ……)

 痩せ気味の体躯であっても、やはり少女の柔らかい肌だった。

 さらにほっぺたを引っ張ってみたり、胸をつついたり、その小さなお尻を撫でようとして――

「って、何変なことやってるの私」

 我にかえって、頭をかきながら独りごちる。これではまるで、スケベ親父ではないか。

 部屋のカーテンを閉めて光りを遮り、寝間着を着せてやった。

 されるがまま熟睡しているクレネストに、等身大の着せ替え人形を弄っているような気分になる。

「これでよし……」

 サイシャは、何かを完成したような、そんな妙な感覚でクレネストを眺めた。

 まったくこの大変な時に、憎たらしいくらい幸せそうな寝顔だ。

 彼女が体調を崩すといけないので、部屋の空調を高めに設定しなおしてから、サイシャは部屋を出る。

 エリオはちゃんとしているだろうか?

 気になって、エリオに貸した部屋の前に立ち、そっと中を覗いてみた。

(あーらまぁ~)

 思わずサイシャはにやけてしまう。

 床に膝をつき、上半身だけベットに伏せているエリオの姿が見えた。

 本人が聞いたら怒るかもしれないが、なんとも可愛い寝顔だとサイシャは思った。

 やはり空調が動いていないので部屋が暑い。静かに入室すると、それを起動して温度を調節した。

 彼の体は重たそうなので、これは無理に動かさないほうが良いだろう。

 サイシャはそう判断して、そっと部屋を出ていった。

「で……ええと、なんだっけ? そうだった!……ああもう、どうしよう」

 足早に居間へと降り、頭を抱えながら無意味にぐるぐるとその場を回りだす。

 この島が崩壊するという話だけでも悩みの種だったのに、御神木が巨大化するという意味不明な珍事に頭が混乱していた。

 こんな時、なんだかんだ言って、頼みの綱はあの父親だけ――なのだが。

(あの親父はこんな時に限って怪我してるんだからもう)

 家の前までは、ああやって這い出れても、調査となるともう無理だろう。

 ここは無理矢理にでも、クレネストの法術で怪我を治してもらうべきか? と考えた。

 結局――

 サイシャは考えがまとまらないまま、昼になってしまった。

 もっとも、自分がいくら考え悩んだところで、どっちにしても今は何もできない。

 食事を終え、テーブルに突っ伏しながら、考えあぐねた末、ぼーっとしていると、

「サイシャさん」

 ささやきにも似た少女の声がかかる。

 軽い音を立てて、二階から降りてきたのはクレネストだった。

 いつもの服装からマントだけを外し、肩を大きく露出させている姿。

「あ、あー起きたんだー……いやぁ、あなた道端でいきなり寝ちゃうもんだからさぁ、よく眠れた?」

「はぁ……そうだったのですね。これはご迷惑をおかけいたしました」

 そう言って彼女はサイシャの脇に立ち、両手を揃えて頭を下げる。

「おかげさまで、もう大丈夫です」

「どういたしまして……エリオさんの方も部屋でへたばってるからね」

「これは、重ねがさねお世話になりまして」

「そこ、座ったら?」

 サイシャは自分の隣の席を指差した。

 クレネストは頷くと、床を傷つけないように注意しながら椅子を引き、その上へふわりと座る。

「あなた達も見たよね、御神木」

「……はい、少々記憶が飛んでいますが、見たと思います」

「どう思う?」

 あまり期待はしてないが、あれだけ難しい本を読んでいるのだ。念のため聞いてみる価値はある。

 そんなサイシャをクレネストはしばし、はぁと掠れた声を吐きつつ見つめて――

「大きくなって、願ったり叶ったりでは?」

「なによそれ……」

 べしゃっとサイシャがテーブルに突っ伏した。

 あまりに呑気な物言いに、無意味に混乱している自分の方がバカバカしく思えてくる。

「あー、クレネストさん、それ食べていいからぁ、お腹空いてるでしょ?」

 突っ伏したまま、母が作っておいたクレネストの分の料理を指差す。この島独特の、冷たい麺に辛味のある汁、この辺りで取れる山菜や海の幸を合わせた料理だ。エリオの分も置いてある。

「はい……美味しそうですね。頂きます」

 少し嬉しそうな感じで麺を食べ始めるクレネスト。そんな彼女を顔だけ起こして眺めつつ、サイシャは鼻で息をつく。

 クレネストの瞳が、そんな彼女をちらりと見るように動いて、それに気づいたサイシャは目線を外した。

 さて、どうしたものかと思っていると、

「ああ、クレネスト様、起きていらっしゃったんですか」

 後ろからエリオの声がした。サイシャは上体を起こし、彼の方を見る。

 疲れた感じはあるものの、さっきよりはだいぶ良くなった様子。

「おそようさん~。エリオさんも、それ食べなさい」

 サイシャが皮肉交じりにそう言うと、「えっ? ああ……どうも」と漏らして、彼はクレネストの真向かいの席に腰を下ろす。

 ぎこちないながら箸を取って、料理に手をつけ始めた。

 サイシャはそんな彼に身を乗り出して、先ほどクレネストにしたのと同じ質問をしてみる。

「で、エリオさんとしてはどう?」

「……見たけど……なんだかよく覚えてないなぁ。どっちにしても、俺にはそういうことはよく分からないし、クレネスト様はいかがですか?」

 麺を口に運んでいるクレネストの手がぴたりと止まる。

「ほぉふそぉうおわあうえうおわ、あわいよぉふわいあへんお」

「憶測を並べるのは、あまり良くありませんよ……だそうです」

「い、今のでよく分かったね……えっとさぁ――それ、そんなに美味しい?」

 麺を口にぶら下げたままクレネストが頷き、サイシャが額に汗しながら、苦笑する。 

 なんというか、美味しそうでなにより――

 サイシャは気を取り直して、別の質問をしてみる。

「ああなっちゃったけど、あなた達はこれからどうするのさ? 調査にきたんでしょ?」

「はぁ、その点で言えば困りました」

 口元を、どこから取り出したのかハンカチで拭きながら、クレネストがそうこぼす。

「ですがどうなのでしょうか? 今まで衰弱していたのに急成長したわけです。その原因はともかくとしまして、もし、力を取り戻しているのだとすれば、ひとまず島が崩壊するのだけは避けられるのではないでしょうか?」

 その答えにサイシャは、あっとなる。

 もし本当にそうであれば、それほど嘆くようなことではないのかもしれない。

「例えば、そうですね……塩わき現象は、すぐに変化が出ないかもしれませんけど、南海岸における土砂の流出具合の方を調べれば、なんらかの変化が分かるかもしれません」

「そのとおりだ青っぽい少女よ!」

 そう言って、居間に這ってきたのはサイシャの父親、エイダーだった。

「あんたはイモ虫か!」

 サイシャが両肩を吊り上げながら精一杯、突っ込みを入れる。

 エイダーは、居間の端にあるソファの方へ這い寄ると、それをよじ登り、体をねじってこちらを向いた。

 彼女は顔面を手で覆って頭を左右に振る。我が父ながら、激しくみっともない。

「あー、足が使えんと不便でなぁ」

「さっさとそこの彼女に法術で怪我、治してもらいなさいよ鬱陶しい。そしたら直接調査に行けるでしょ?」

「はっ! いらんいらんっ! それにな、長老連中が若い衆と見に行ってきたらしいが、あの青白い霧? あの中は入れないって話してたぞ」

「入れない?」

 サイシャの片眉が跳ね上がる。

「入ろうとすると弾き返されるってよ。それは後で調べておきたいが、とりあえず御神木まで行けないんじゃしょうがない」

 手を左右に広げ、肩を竦めるエイダー。

「四日ほど前に、ペルネチブ半島に謎の巨柱が出現しましたけど、その時も、そのような霧に覆われて、柱には近づけないと言われてましたね」

 クレネストがそう言うと、サイシャとエイダーの視線が彼女に集中する。

「な、なにそれ! そんな話聞いてないよ?」

「ほう、興味深いな……そんなことがあったのかね?」

 二人の反応に、クレネストがかくんと首をかしげて、しばらく何かを考えるかのように制止した。

「新聞は読んでらっしゃらないのですか?」

「この辺りは地方新聞しかないんだなこれが。だから、情報が遅れて入ってくる」

「……とかクソ親父が言ってるけど、うちはそもそも新聞とってないからねぇ、読む人いないし」

 と、サイシャが呆れた調子で付け加えた。クレネストは目を閉じながら頷く。

「そうでしたか……まぁ、だからどうという話でもないのですけど、それよりもエイダーさん」

「ああ、そうだな」

 クレネストが先ほど言っていた南海岸の状態。これは確認しておく価値はありそうだった。

 彼女の言うとおり、塩わき現象の方はすぐに変化はないだろうが、土砂の方であればなんらかの変化が見られるかもしれない。

「今から行くと言ったら、行けるかね?」

「運転するのは私でしょ? まあいいけどさ」

 言ってサイシャは立ち上がる。

「じゃあ早速……」

「いえ、今すぐにはいけません」

 ぽつりと言ったクレネストの言葉に、サイシャが訝しげな表情を見せた。

 寝ても尚、眠そうなその瞳。それが切実に、こちらをじっと見つめている。

 なんだろう? と思っていると、彼女は食べかけの丼に視線を落とし、

「これ……まだ食べてませんから」

 ぽつりと切なそうに言ったその言葉に、サイシャがきょとんとする。

「俺もまだなんだ……これなんだ、美味い……美味すぎるよ? これ」

 エリオの方もエリオの方で、麺料理に夢中になっていた。

 それ、そんなに美味しいものだったんだと、サイシャは乾いた笑いを漏らしつつ一言。

「美味しそうでなにより――

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