●世界観B創世記・星の終わりの神様少女3

二章・黄昏のゴラム市

 テスは元気にすっぽんぽんだ。別に彼女の頭がおかしくなったわけではない。

 ここは、ゴラム市きっての温泉大浴場。ゴラムパレス。

 クレネストは前をタオルで隠しつつ、辺りを見回した。

 白い大理石で覆われた広大な浴場に、コンセプト様々な浴槽が備えられている。

 セレスト星導教会風。自然豊かな南大陸風。木造の浴槽で、深さが特徴の西岸地方風。豪雪地帯の山々をイメージした北の雪山風。

 結構な客足だが、無理も無い。

 星動力が止まっている中、まともに風呂に入れる場所があまりないのだろう。

 それでも情報が早かったおかげで、すぐに入れたのは幸運だった。

「どうじゃ、これが新動力の力じゃ!」

 ない胸をはって、テスが自慢げに言う。

 そう――

 あのあとグラディオルから聞いた情報、それは……

「ゴラムパレスさんも困ってましてね。そこで私どもが、星動機のポンプを新動力で動かせるように手配した次第でございまして――本日無事、営業を再開するそうですよ」

 星導教会としては、ありがたくはない話としても、クレネストにとっては朗報である。

 昨夜も身体を拭いただけで、とても疲れが癒せるものではなかったのだ。

「はぁ、それにしても凄いですね――

 前回の巡礼では、教会宿舎の風呂場を使っていたし、立ち寄る暇もなかった。今回も、こんなことでもなければ、立ち寄ることはなかっただろう。

 テスはもう大はしゃぎだ。

 熱気で顔がぽぅっと赤い。そんなクレネストの手をとり催促する。

「あれじゃ! あれに入ろうぞ!」

  『北の雪山風』を指差すテス。

「はいはい、わかりましたから、走っちゃだめですよ?」

 テスに注意しつつ、そちらの方へと足を運んだ。

「ふにゃぁ~!」

 掛け湯をされ、声を上げるテス。

 クレネストも掛け湯をすませ、長い髪はタオルでまとめた。

 湯船に肩までつかり、ひとまず呆ける二人。

 薄水色の浴槽に、樹氷の壁画。

 そんな寒々しい雰囲気の中で、熱い温泉を楽しむ。なんとも不思議な風情であった。

「この絵、木にまとわりついとる白いのはなんじゃ? 花かの?」

 樹氷の壁画を指差して、テスが聞いてきた。テスはそのままお湯の中を進んで、壁画の前で立ち上がる。クレネストから見て、可愛いおしりが丸見えになった。

「ははぁ、テスちゃんは雪を見たことがないのですか?」

 そう言うと、テスがこちらを振り返る。瞳がぱっと大きく広がった。また壁画に目を戻す。

「ユキ……? ユキというのかえ……?」

 見上げ、感心したようにしきりに唸っている。

 クレネストはその様子を見て――おや? っと思う。

「テスちゃんはもしかして、南大陸から来られたのですか?」

「ふぇ? おー、そういえば言っておらんかったかえ? そうじゃよ」

 なるほどと、クレネストは納得して頷いた。

 南大陸は温暖で、全く雪がふらないらしいのだ――

 ノースランド国でも、雪が降らない土地はあるが、雪を知らないという子はまずいない。

 彼女の仲間が、化石燃料を使う車を使用していたのも、これで合点がいった。

 テスがこの浴槽を選んだ理由は、この雰囲気がとても珍しかったのだろう。

「クレネスト殿は、その……ユキ? を見たことあるのかえ?」

「はい」

 答えながら、クレネストはヴェルヴァンジーの野山を思い出した。

 あの辺りは冬になると、この壁画のように樹氷で覆われる。冬は厳しく、小さい頃は、よく雪かきを手伝ったものだ。

「白くてふわふわしてて冷たくて、空から沢山降ってくるのですよ」

「おおぉ!? そんなことがあるのかえっ? テスも見てみたいのう~!」

 壁画の方へ近寄り、食い入るように眺めるテス。

 その土地に住む人にとっては、あまり有難いものではないので、クレネストは苦笑する。

 自分も何回、雪に埋まったことか。

「ふぅ……」

 芯まで温まる。湯の感触に息を漏らし……

 ふと――クレネストは視界の端に、何か見覚えのあるものが映ったような気がした。

 そちらに目を向けると、

(あの子は……)

 そこにいたのは小さな女の子。肩の辺りまで伸ばした栗毛に茶色い瞳。桃色の肌をタオルで隠し、眠そうな半目でオロオロと周りを見回している。

「あらまぁです」

 教会学校で話をした――確か名前はミイファ。見れば親も友達も、そばにはいない様子。

 この広い大浴場で、これだけの人混みである。もしかして迷子にでもなっているのだろうか?

 クレネストは立ち上がり、声をかけてみることにした。

「ミイファちゃ~ん、どうしたのですか~?」

 精一杯の、掠れた感じの声。法術を使わなければ、いまいち大きな声がでないのだ。内心、なんだか情けなく思ったが、ミイファはこちらに気がついてくれた。重たそうな目蓋を広げ、瞳を精一杯大きくしている。

 驚いた様子で固まっていたが、クレネストが手招きすると、そそくさとこちらへ歩み寄ってきた。

「クレネスト先生」

「このようなところで奇遇ですが……どうしたのです? 迷子ですか?」

 ミイファは小さく首を振った。

「他に、誰かと一緒ではないのですか?」

 今度はためらいがちに頷く女の子。

「はぁ、つまりはお一人ですか……」

 クレネストがそう言うと、ミイファは握り締めたタオルで口元を隠した。

 特別、保護者同伴でなければならない――ということもないのだが、時間的にはそろそろ暗くなる。

 暗い中、子供の一人歩きというのは、いささか感心しない。街灯だって、今はつかないのだ。

 とはいえ、ミイファはどうみても真面目でおとなしそうな子。非行少女というわけでもあるまい。そんな子が、どうしてこの時間に、このような場所に一人でいるのか――

 当然、何かの事情がありそうだった。さて、それを聞いて良いものだろうか?

 クレネストが迷っていると、

「あのっ、あのっ……ご一緒しても、迷惑ではないでしょうか?」

 たどたどしくミイファ。

 特に断る理由もないし、彼女をほっとくのも心配だった。

「はい、かまいませんよ?」

 言って、自分の横に来るよう手招きする。

 ミイファは安堵の表情を浮かべた。髪をタオルでまとめ、掛け湯をする。

 あらわになった幼い裸身は、痩せすぎず太りすぎず。胸は膨らんでいるような、いないような。少女が動くたびに肌の柔らかさ、ぷにぷに感が伝わってくる。

 おそるおそる湯に入ったミイファは、静かにクレネストの横に移動すると、すーっと湯船に身を沈めた。

 ――

 しばし無言の二人――

 先に口を開いたのはミイファだった。

「……あのっ、やっぱり良くないですよね。先生……ごめんなさいです」

 ぽそぽそとした声音。

 クレネストは正面を向いたまま、瞳だけを彼女の方へ向けた。

「まぁ……そうですね。一体どうしたのですか? 保護者の方は?」

 クレネストがそう聞くと、ミイファは寂しそうに目を落とす。

 やはり、あまり聞いてはいけなかった――だろうか?

 小さな子は、顔に影の気配を見せつつ、静かに口を開いた。

「お母さんは……仕事でこられなかったんです。それで、行っておいでって言われて――

「はぁ、ではお父様の方もですか?」

 ぴくっとミイファが身体を揺らした。湯めんに小さな波紋が広がる。

――お父さんは……」

 困った顔で言いよどむミイファ。うつむいて、いかにも気まずそうな空気を出している。

「ええとですね……言いづらいことであれば、別によろしいのですよ?」

 クレネストが、心配そうに様子をうかがいつつ言った。

「……捕まってるんです」

 ためらい気味に、小さな呟き――

 クレネストは疑問符を浮かべた。

「捕まっている? ですか……」

「はい――私のお父さんは、人に怪我をさせてしまいまして……その」

 ちぢこまるミイファ。

 クレネストは宙を見上げつつ、肩を落とした。

「はぁ、それはそれは――でも、ミイファちゃんが悪いことをしたわけではないのでしょう? そんなに警戒せずとも、あなたのことを嫌ったりはしませんよ」

 そう言ってみるが、ミイファの表情は晴れなかった。

「いいえ、お父さんが捕まったのは、私のせいなんです。だから本当に悪いのは私なんです」

 小さな体から、強い罪悪の気配が感じられ、瞳を細めるクレネスト。

 なにか複雑な事情がありそうだった。

 慰めにはならないかもしれないが、そっとミイファの頭を撫でて問いかける。

「ミイファちゃんはお父様のこと、好きなのですか?」

 そう聞くと、ミイファがこちらを見上げて、それから強く頷いた。

「なるほど、愛されているのですね? でしたら、やむを得ない理由があったのでしょう」

「先生――

「それにですね――私には、あなたが悪い子には見えませんよ」

「でも……」

「ミイファちゃん? そんなに自分を責めなくてもよいのです。あなたが好きだというお父様のこと、私も信用します。そして、あなたはそんなお父様のことを、誇りに思ってあげればよいのですよ」

 クレネストが言い終えると、ミイファはしばらく宙を見つめた。

 彼女なりに心の中で、色々と考えているのだろう。

 時折こちらの様子をうかがい――うつむき――宙に視線をさまよわせたり、肩をすくめたり。

 やがて、ミイファが頭を下げた。 

「はい……ありがとうございます先生」

 微笑む女の子に、クレネストは内心胸を撫で下ろす。

 ちゃんと言えたのだろうか? これでいいのか? 不安だった。

 どう言っても、彼女の置かれている現状が変えられるわけでもない。

 こういう時に、ただ理屈を言えばいいのか、それとも心を打つ一言か――後者は特に苦手である。

 昔の自分だったなら、まったくなにも言えなかったのかもしれない。

 言葉なんて、たとえ真実を語ったとしても、人を納得させられるかどうかには、なんの保障もないのだ。

「今日先生に会えて、本当によかったです。それに、実はお父さんも、もう少しで帰ってくるんですよ」

 すこし嬉しそうにミイファ。

「はぁ、それはそれは……」

「先生は博識ですから、ゴラム監獄のこともご存知かと思います。そこにいるそうなんです。あと三ヶ月ほどで、刑期が終わって、帰ってくるんですよ」

「…………」

 クレネストは息が詰まった。湯に使っているはずなのに、血の気が引き寒気が走る。

 聞き間違い……そんな都合のいい現実があれば、なんと甘美なことであろう。

 だが、自分の耳はしっかりと、それを鮮明に捕らえていた。

「……先生?」

「え、ええ……そうなのですか……ゴラム監獄ですか、大変でしたね」

 内心の動揺をさとられまいと、震える口元を手で隠す。

 ここが浴槽でなければ、完全に青ざめていたことだろう。

 変わりに緊張で、血管が縮まったせいなのか、頭がクラクラとした。

 と――

「おう? なんじゃ~この娘は?」

 テスが、ふよふよと泳ぎながら戻ってきた。おしりが湯からはみ出している。

 並んで入浴している二人の目の前で止まり、興味ぶかげにミイファの顔を眺めた。

 クレネストは、詰まった息を整えて言う。

「今朝、教会学校で少々縁がありまして……ミイファちゃんと言うのです」

「ふむ」

 テスはミイファの傍へ、ぐいっと寄り付いた。

 ミイファは口元で量こぶしを握りしめ、困った顔で、テスを上目遣いに見ている。

 少々心配であった――

 テスはこうして、自分には心を開いてくれてはいる。

 されど、それ以外の――特に星導教会がらみの者には、嫌悪の感情が強い。

 ただ、見る限り不機嫌そうな様子はないようだ。

「ミイファというのか? わしはテスじゃ」

「えっあっ、テス……ちゃん?」

 そう名乗るとテスは、何を思ったのか、いきなりミイファの身体をぺたくたと触りだす。

 びくっとして身をよじるミイファ。

(ええと……)

 意図がわからずクレネストも戸惑う。

 ただ、テスの瞳は妙に真剣で、何かを観察しているかのようでもあった。

「ミイファ殿は何歳じゃ?」

「……わ、あっ、んぇ? じゅ、十歳です」

「うーむ、テスの方が二歳年上か……にしては、テスとさほど変わらんのう~、やはりレネイドの言うとおりか……」

 テスはどうやら、同じくらいの年の娘はどうなのか――他の子の身体はどうなっているのかを、気にしているようだった。

 しきりに自分の身体と比較しては唸っている。

 ノースランド国へ対する嫌悪以上に、今は圧倒的に興味の方が勝っているようだった。

 この子の特殊な事情を考えれば、それも仕方のないことかもしれない。

 見た目とその能力、力は一致せず――同年齢の子に、はたして友達はいたのだろうか?

「テスちゃん、ミイファちゃんが困ってますよ」

 無遠慮に、ミイファの両胸を触るテスに、さすがにクレネストが注意する。

「おぉ、これはすまなんだ。お返しに、テスのも触ってよいぞ!」

 得意げに胸をはり、テスが言った。

 ミイファはきょとんとしてから――もうなんだか仕方なしに苦笑を浮かべた。

 帰り道――

 クレネスト達は、ミイファを家まで送り届けるため、小型星動灯を片手に、夜道を歩いていた。

 大きな通りなどであれば、多少は星動力をまわしているのか、少ないながらも灯かりがついている。

 けれど――そこからちょっとでも外れると、やはり街灯の明かりはなく、人の気配も少ない。

「エリオさんは羨ましいです。クレネスト先生の初めての助祭さんなんて……」

 ミイファが言った。

 エリオはクレネストの助祭ということで、先ほどからミイファに質問攻めにあっていた。

 特にセレスト大震災以後の話には、ただ聞いているばかりではなく、自分なりの意見もぶつけてきた。

 いつもは見た目どおりの内気な女の子。でも今は、どちらかと言えばミイファの理屈にエリオの方がたじたじである。芯は思っていた以上に強く、賢そうだ。

(いい子です……とてもいい子です。それなのに私は――

 クレネストは今すぐにでも、一人になって考え事をしていたい気分だ。

 今も頭の中は、思考との会話が飛び交っている。なんとかならないのだろうか? と。

 ミイファの父親が出てこれる三ヶ月後――などという期間は、とても待ってはあげられない。

 せめて数日後というのであれば、予定を先延ばしにすることも、できなくはなかっただろうが――

 いや、そもそも彼女のことだけを特別扱いするなど、あっても良いことなのだろうか?

 そして、そんなことを考えている自分。

 これは揺らぎだ――心の揺らぎ――罪悪感など問題ではない。その揺らぎこそが危険。

 自分がやるべきことは、あくまでも世界観B計画の達成。私情など入り込む余地は無い。

 クレネストは、心中を悟られないよう無表情のまま、暗い路地に視線を落とす。

「おう、なんじゃーあれは?」

 間延びしたテスの声。全員が顔を上げた。

 暗いはずの夜空が、赤黒く染まっている。その光に照らされて、城壁もはっきりと見えていた。

 あの向こうは、壁の内側だ――たしか星導教会本堂のある方向のはず。

「クレネスト様! あれはっ!?」

「どうやら火事……みたいですね」

 そう漏らすとクレネストは、三人に向き直った。

「私は戻ります。テスちゃんとエリオ君は、ミイファちゃんを頼みますよ」

←小説TOPへ / ←戻る / 進む→