●世界観B創世記・星の終わりの神様少女3

★☆2★☆

 気は進まないが、クレネストに頼まれては仕方がないかと、テスは思った。

 子供の送り迎えなど、エリオだけで十分だろうし、本当はあっちの方へ行ってみたかった。

 あっちの方というのは、当然火事が起きている方だ。どうなっているのかが気になる。

 さっさと終わらせて、見物へ行きたい。

「家はここからまだなのかぇ?」

 頭の後ろで手を組みつつ、テスは聞いてみた。

「えっと……もうすぐです」

 ミイファはぽーっとした表情で、その半開きの口からポソっと言葉を発した。

 エリオの左手を両手で握って、どこか心細い感じである。

 やはりクレネストがいないと不安なのだろうか?

「ミイファちゃんを送ったら、すぐ戻らないとな」

――あの……すみません」

 申し訳なさそうに、あやまるミイファ。

「えっ? あっ! あはははは、いやいやいいんだよ!」

 エリオが愛想笑いを浮かべつつ、慌ててそう言った。

「彼女も忙しいし、こういう時のための助祭なわけで……つまり~」

「……?」

「仕事! ああ、これも助祭の仕事なの! わかるかな? ミイファちゃん」

 いささかに、しどろもどろ気味のエリオ。

(な~にやっとんじゃ~)

 と、テスは思ったが、当のミイファは重そうな目蓋をかすかに起こした。

 しばらくエリオを見上げ、それから道に視線を戻す。

「助祭の仕事――なるほどです」

 と呟いて、真剣な面持ちのミイファ。

 それを見ているエリオの顔が、いきなりだらしなくゆるけた。

 テスはやーれやれと、わざとらしい溜息をついて――ふと路地の向こうに、何かの影を見つけた。

 こちらをじっと見ているようだが、暗くてよく見えない。

「む、変なのがおるのぅ」

 テスは前に進みでて、額に手のひらをかざしながら言った。

 エリオがその方向へ星動灯を向ける。

「……何もいない――じゃないか?」

 と、エリオが訝しげな表情で言う。

 が――テスの目には、その僅かな光で十分だった。今、相手の姿がはっきりと見えた。

 スカートの裏側に隠していた銃剣を二本抜く。

「えっ? えっ? テスちゃん?」

 戸惑いの声を上げるミイファ。エリオも困惑の表情。

 しかしあれはどう見ても――

「化け物じゃ……」

 見た目の大きさに反して、軽い足音でそれが近づいてくる。

 ある程度距離が縮まり、ようやく確認できたのか、エリオとミイファの顔が引きつった。

 なんとも形容しがたい姿の化け物……

 しいて言えば、焼けただれた狼男。大きさは、エリオの倍くらいはあろうか?

 醜く、だらだらとよだれを垂らし、長い舌を口からはみ出させながら――その身体は凶悪な筋肉の鎧と、異常に発達した牙と爪を備えていた。

 それがまっすぐに、こちらへ向かって走ってくる。

 荒い呼吸……とても友好的には見えない。

 殺気は感じられないが、変わりに感じるものは――食欲?

 先頭に立つテスに、狙いを定めている。

 幼い子供の柔らかい肉。といったところか。

(そんなに美味しそうに見えるかのぉ?)

 飛び掛ってくる醜いそれを見据え、テスは呑気にそんなことを考えた。

 動きは俊敏だが、あまりにも隙だらけだ。

 大きく彼女は身をひねり――

「そりゃっ!」

 豪快な腰の回転と共に、銃剣を叩き込んだ。

 喉元に命中し、そこを支点にひっくりかえる化け物。

 犬とさほど変わらない悲鳴を上げる。

 勢いのまま滑ってくる巨大な身体を、テスは横に飛んで避けた。

 見れば仰向けになり、四肢をばたつかせている。

(ふむ、タフじゃな)

 すぐに起き上がってきたそれは、今度ははっきりと怒りの目でテスを睨みつけている。

 突き刺さったままの銃剣が見えたが、致命傷になっている様子がない。

 テスは低い姿勢で身構えた。

 が――

 青い光が、狼に似たその頭を打ち抜いた。

 さすがにこれにはたまらず、人狼の肉体がゆっくりと地面に倒れこむ。

 だらだらと、頭から大量の血を流し――

 テスは銃剣を仕舞い、ふーっと長い息を漏らす。なるほど、今のが本物の星痕杭。

「テスちゃん、大丈夫かい?」

 がくがくと青い顔で震えているミイファを宥めながら、エリオが言った。

「うむ、心配ないぞ――じゃが、こいつはなんじゃ? 例の赤コートの仲間か?」

 銃剣を引き抜き、その血を払う。

 あの時の青年よりも、強さで言えば数段劣るが、こんな生き物がまっとうなはずがない。

「うーん、僕は見ていないからよくわからないけど……」

 と、エリオ。彼は周囲を警戒しつつ、続けて口を開く。

「そんなことよりもそいつ……一匹だけなのかな?」

 問いかけに、首を捻るテスと、身体を強張らせるミイファ。

 その言葉を待っていた――とばかりに、辺りから悲鳴が聞こえてきた。

 物がぶつかる音。何かが砕け割れる音。走る音。

 唸り声や鳴き声も、不気味に混ざっている。

 テスは面倒そうに、頭の後ろを掻いた。

「エリオ殿……どうするのじゃ?」

「ミイファちゃんを家に残すのは心配だし、このまま見過ごすというわけにも――

「あのっ!」

 突然ミイファが大声を上げた。二人の視線がそちらを向く。

 自分の身体を抱きしめて、酷く怯え――いや……どちらかといえば、切迫したような雰囲気の女の子。

「お、おか、お母さんが――そろそろ帰ってくる時間なんです」

 泣き出しそうに、目を潤ませながら、ミイファが必死に声を絞りだした。

「あぁ、なんてこったい……」

 エリオが顔面を手で覆って、頭を左右に振る。なんと間が悪いことか。

 着替えを入れていたバッグから、彼は手早くローブを取り出して、それを羽織った。

 ジャラジャラという音を立てている所をみると、星痕杭を隠し持っているのだろう。

「お母さんはどこで働いているのかわかるのかい?」

「わかりません。でも、いつも向こう側から帰ってくるのは見えました」

 小刻みに震えながらも、小さな人差し指で、暗く続く路地を指差した。

「テスちゃん」

「あー、わかっておるわ、つき合おうぞ」

 エリオの言葉に応えつつ、銃剣を逆手に持ち替える。

 ノースランド国の者がどうなろうと、本来は知ったことではない。今まではそうだった。

 されど、あのような化け物に食いちぎられるミイファの姿――そんなことを想像すると、なぜかとてつもなく、嫌なものがこみ上げてきた。

 彼女の体のやわらかさが、まだ手の中に残っている。それだけなら、紛れもなく自分と同一のもの。

 それを知ってしまったからなのだろうか?

「ミイファちゃん、走れるかい?」

 エリオが聞くと、ミイファはきつく目を閉じる。

「無理なら俺が背負って――

「い……いえ――はしれ……ます」

 か細い声でミイファが言う。

 酷く怖いはずなのに、精一杯の勇気をふりしぼっているのだろう。

 エリオはしばらく、彼女の様子をうかがっていたが、やがて頷く。

「急ごう……」

 闇に沈む暗い路地――そこには血の臭いが漂っていた。 

★☆

 クレネストの周りには三匹の化け物が転がっていた。

 ふぅっと息を漏らし、そのうちの一匹に近づいていく。

 他の二匹は完全に絶命させたが、この一匹だけは生かしておいた。

 もっとも手足はつぶれ、虫の息ではあったが――

(禁術……ですけど、元に戻りませんね――

 死んでいる二匹はともかく、禁術が切れるはずの時間が来ても、生きているこの一匹が元に戻らない。

 焼けただれた狼男のようなそれは、がうがうと唸るばかりで、話しかけても言葉を発することはなかった。

 人としての知性は、持ち合わせていないようである。

 どうしたものかと考えていると、死んだ二匹の身体が黒ずみはじめ、やがてボロボロに崩壊した。

「……はぁ」

 なんとはなしに声を漏らし――見れば完全に炭化している。

(まぁまぁ、なんとぬかりのないことですね)

 仕方なく、生け捕りにした一匹を調べることにした。

 クレネストは、翠緑の瞳に秘めた能力を使う。

 ありとあらゆる物体が、術式となって見えるその瞳。他人には見ることができないが、彼女にはまったく別世界に見えている。

 暗闇に沈んでいたはずの路地が、術式の光で埋め尽くされた。

「これは……」

 思わず声が漏れた。

 当然、目の前で唸っている人狼も、術式となって見えている。

 やはり禁術なのだが――問題は首の裏辺り、頚椎にめり込んでいる物体だった。

 常に動き、流れていく術式と違い、そこだけは完全に停止し、整列している。

(これは、術式回路――

 間違いない。

 星動機の回路に組み込まれた式を見ると、ちょうどこのような感じになるのだ。

 問題なのは、そこに組み込まれた式が禁術であるということ。しかも、相当にそれは細かく見づらい。

(術式回路に、星動力が供給されつづける限り戻らない――ええと、この式は――

 クレネストは次々と、回路に組み込まれた式を読み解いていく。

(なるほど――宿主の死亡、あるいは一定の星動力が減ったら、自動的に宿主ごと消滅する……ですか)

 なんと悪趣味な物を作るのか。

 とはいえ、禁術は複雑で容量が大きく、こんな小さな基盤に書き込みきれるものではない。

 術式回路を極限まで細く細く作ることで、密度を上げ、大幅に書き込める量を増やしたのだろう。

 使われ方は残念だったが、素晴らしい業物。これは純粋に、精細極まりない職人技によるものだ。

 式が細かいのはそのせいだろう。

(人間が変化したもので間違いなさそうですが……それにしては、おかしいですね)

 クレネストは首をかしげて思った。

 この式では、化け物に変化するだけで、知性にはそこまで影響しない。多少ハイになるだけだ。

 にもかかわらず、目の前のこれは獣と大差がない。

(やはり、あの者の仕業でしょうか?)

 滅亡主義者ならば、精神的に壊れている者が多数いてもおかしくはない。中には薬物に手を染め、頭が狂ってしまった仲間もいるのかもしれない。

 それを捨て駒に、術式回路へ禁術を組み込む実験をした。考えられないことでもない。 

(術式回路を破壊……あるいは回路を摘出……いえ、だめですね)

 隠れて見え難いが、奥に予備らしき術式が書かれていた。

 どこまでも手の込んだことを――と、クレネストは嘆息する。

(しかたありませんね……せめて安らかに、星の御許へお還りください)

 クレネストの瞳に映る世界が元に戻る。同時に印を切って、術を施行した。

 すぐに変化は現れない。攻撃をしたわけではないので、当然。

 しばらくの間を置いて、化け物の身体が小刻みに痙攣を始めた。

 クレネストはその横を通り過ぎ、振り返りもしない。

 彼女の後ろで、やがて動かなくなるその身体。

 徐々に黒ずみ、崩れていった。

(やはり、星動力を阻害するだけでそうなりますか――

 元に戻すのは、禁術でも使わないかぎり難しそうだった。が、倒すだけであれば、この方法がよさそうだ。

 暗い路地を一人、後ろ手を組んで早足に歩き、赤黒い煙が上がっている教会方面へ向かう。

 途中、道端に転がる人間らしき残骸をなるべく見ないようにしながら。

 近づくにつれ、赤い光も強く、焼ける臭気も強くなっていった。

 人の声が聞こえる。

「ちょっとあんた達! 全然当たってないじゃないの! いつまでもステラは残ってないのよ!」

「こっちも必死にやってんだよ!」

「ああぁ、くるなぁ!」

 一つは聞き覚えのある声だった。うんざりするほどに……

 見れば燃えているのは観葉植物――かがり火が倒れて燃え移ったのだろう。

 おかげで周囲は明るく、様子がはっきりとわかる。

 教会の玄関前には、あのアステナを含む三人の司祭と、助祭が数名。

 扉のすぐ前には女性達が――それを守るように男性の司祭と助祭達が、やや前に出て半円陣を組んでいた。

 その教会員達を、五匹の化け物が取り囲み、隙をうかがっている。

(これはまずいですね)

 様子は見えるが、まだ距離があった。

 クレネストはスカートをたくし上げ、走り出す。

 急がなければ――

「し、司祭様! 早くおいはらってください! 子供達が怯えているんです!」

「うっさいわねぇ! なんとかするから扉閉めてひっこんでなさい!」

 玄関扉の隙間から、顔を除かせる一般市民を、アステナが蹴りを入れて引っ込める。 

 助祭の一人が、その様子を横目で見て……

「ひぃっ!」

 迂闊にも目を離した助祭に、忍び寄った一匹が猛然と襲いかかった。

 助祭が慌てて星痕杭を放つが、狙いが大きく外れる。

 醜悪な牙が獲物を捕らえ――

 そこへ男性司祭が星痕杭を向けた。

 撃たれる前に、後方へと跳躍する人狼。

 助祭の肩口を咥えたまま。とらえた獲物をずるずると奥へ引きづっていく。

「あぁ、たすけっ! あぁっ!」

 硬直する男性司祭。

 星痕杭を握り締めたまま――

 ちぎれる皮――――血しぶきが石畳を染めていく。

 まるでお菓子の袋でも破き、中のものを取り出すかのようなその動作。

 ブチブチと音を立てて、ちぎれる細長い袋状の物。

 悲鳴が途絶えた。

 人狼は、オオカミづらを真っ赤に染めながら、助祭の中身を両手に握り締め、それを口へと運ぶ。

 それを見ていた人々が、震え青ざめた。

 失禁し、その場に腰を落とす女性司祭。胃の中のものを戻し、うずくまる者。意識を保てず倒れる者。

 悲鳴混じりの泣き言も、連鎖的に広がっていった。

「い、いい、いやだぁ! 中にいれてくれぇ!」

「俺もだぁ! 死にたくないー!」

 二名の助祭が、玄関扉の方へ逃げてくる。

「こらぁ! 前をみなさい前を!」

「パニックを起こすな! やられるぞ!」

 アステナが、逃げてきた助祭の髪の毛をひっつかみ、男性司祭も周囲を叱咤する。

 混乱が収まらない。

 それを見た人狼達は、次々と襲いかかってきた。食事中の一匹を除いて――

「くそっ!」

 男性司祭は後退しつつ、星痕杭を放った。

 一本一本――

 俊敏なそれらには、かすりもしない。

 彼は半ばヤケクソ気味に、同時に四本の星痕杭を放つ。

 思い切りが功を奏したのか、二匹が避けきれず、青い光に貫かれて転がった。

 彼は快心の笑みを浮かべ、さらにローブの内側へ手を伸ばし――その表情が固まる。 

 おそらくは、星痕杭が尽きたのだろう。

「誰か私の援護をお願い!」

 そう言ってアステナは、自ら前へと飛び出した。

 彼のおかげで少しは時間が稼げた。法術は既に組みあがっている。

「んにゃろー!」

 そう吠えると共に、両手を前に突き出した。

 醜悪な獣へ向け――正確にはその足元。

 一匹の足がもつれ、そのまま転倒し、顔面から石畳を滑った。

 強化法術の逆作用で、筋力を低下させたのだ。

 それも、範囲を狭め、効果時間を一瞬にすることで、効力を倍加させた。

 技術の冴える一撃。

 が、しかし――これでは一匹しか抑えられない。

「お願いっ! もう一匹を!」

 アステナはそう声をかけたが、後ろの誰一人として、まったく法術を組んでいなかった。星痕杭すら向けていない。

 助祭たちはただやみくもに、教会の扉をこじ開けようとしているだけだ。

 彼女は前方で孤立した。

 その自覚から、アステナの顔がみるみるうちに蒼白になる。

 容赦なく眼前に迫りくる化け物。

 凶悪な爪を振りかぶりつつ、アステナへ向けて飛びかかる。

 彼女が被っていた司祭帽子が、高々と宙へ舞った。

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