★☆2★☆
気は進まないが、クレネストに頼まれては仕方がないかと、テスは思った。
子供の送り迎えなど、エリオだけで十分だろうし、本当はあっちの方へ行ってみたかった。
あっちの方というのは、当然火事が起きている方だ。どうなっているのかが気になる。
さっさと終わらせて、見物へ行きたい。
「家はここからまだなのかぇ?」
頭の後ろで手を組みつつ、テスは聞いてみた。
「えっと……もうすぐです」
ミイファはぽーっとした表情で、その半開きの口からポソっと言葉を発した。
エリオの左手を両手で握って、どこか心細い感じである。
やはりクレネストがいないと不安なのだろうか?
「ミイファちゃんを送ったら、すぐ戻らないとな」
「――あの……すみません」
申し訳なさそうに、あやまるミイファ。
「えっ? あっ! あはははは、いやいやいいんだよ!」
エリオが愛想笑いを浮かべつつ、慌ててそう言った。
「彼女も忙しいし、こういう時のための助祭なわけで……つまり~」
「……?」
「仕事! ああ、これも助祭の仕事なの! わかるかな? ミイファちゃん」
いささかに、しどろもどろ気味のエリオ。
(な~にやっとんじゃ~)
と、テスは思ったが、当のミイファは重そうな目蓋をかすかに起こした。
しばらくエリオを見上げ、それから道に視線を戻す。
「助祭の仕事――なるほどです」
と呟いて、真剣な面持ちのミイファ。
それを見ているエリオの顔が、いきなりだらしなくゆるけた。
テスはやーれやれと、わざとらしい溜息をついて――ふと路地の向こうに、何かの影を見つけた。
こちらをじっと見ているようだが、暗くてよく見えない。
「む、変なのがおるのぅ」
テスは前に進みでて、額に手のひらをかざしながら言った。
エリオがその方向へ星動灯を向ける。
「……何もいない――じゃないか?」
と、エリオが訝しげな表情で言う。
が――テスの目には、その僅かな光で十分だった。今、相手の姿がはっきりと見えた。
スカートの裏側に隠していた銃剣を二本抜く。
「えっ? えっ? テスちゃん?」
戸惑いの声を上げるミイファ。エリオも困惑の表情。
しかしあれはどう見ても――
「化け物じゃ……」
見た目の大きさに反して、軽い足音でそれが近づいてくる。
ある程度距離が縮まり、ようやく確認できたのか、エリオとミイファの顔が引きつった。
なんとも形容しがたい姿の化け物……
しいて言えば、焼けただれた狼男。大きさは、エリオの倍くらいはあろうか?
醜く、だらだらとよだれを垂らし、長い舌を口からはみ出させながら――その身体は凶悪な筋肉の鎧と、異常に発達した牙と爪を備えていた。
それがまっすぐに、こちらへ向かって走ってくる。
荒い呼吸……とても友好的には見えない。
殺気は感じられないが、変わりに感じるものは――食欲?
先頭に立つテスに、狙いを定めている。
幼い子供の柔らかい肉。といったところか。
(そんなに美味しそうに見えるかのぉ?)
飛び掛ってくる醜いそれを見据え、テスは呑気にそんなことを考えた。
動きは俊敏だが、あまりにも隙だらけだ。
大きく彼女は身をひねり――
「そりゃっ!」
豪快な腰の回転と共に、銃剣を叩き込んだ。
喉元に命中し、そこを支点にひっくりかえる化け物。
犬とさほど変わらない悲鳴を上げる。
勢いのまま滑ってくる巨大な身体を、テスは横に飛んで避けた。
見れば仰向けになり、四肢をばたつかせている。
(ふむ、タフじゃな)
すぐに起き上がってきたそれは、今度ははっきりと怒りの目でテスを睨みつけている。
突き刺さったままの銃剣が見えたが、致命傷になっている様子がない。
テスは低い姿勢で身構えた。
が――
青い光が、狼に似たその頭を打ち抜いた。
さすがにこれにはたまらず、人狼の肉体がゆっくりと地面に倒れこむ。
だらだらと、頭から大量の血を流し――
テスは銃剣を仕舞い、ふーっと長い息を漏らす。なるほど、今のが本物の星痕杭。
「テスちゃん、大丈夫かい?」
がくがくと青い顔で震えているミイファを宥めながら、エリオが言った。
「うむ、心配ないぞ――じゃが、こいつはなんじゃ? 例の赤コートの仲間か?」
銃剣を引き抜き、その血を払う。
あの時の青年よりも、強さで言えば数段劣るが、こんな生き物がまっとうなはずがない。
「うーん、僕は見ていないからよくわからないけど……」
と、エリオ。彼は周囲を警戒しつつ、続けて口を開く。
「そんなことよりもそいつ……一匹だけなのかな?」
問いかけに、首を捻るテスと、身体を強張らせるミイファ。
その言葉を待っていた――とばかりに、辺りから悲鳴が聞こえてきた。
物がぶつかる音。何かが砕け割れる音。走る音。
唸り声や鳴き声も、不気味に混ざっている。
テスは面倒そうに、頭の後ろを掻いた。
「エリオ殿……どうするのじゃ?」
「ミイファちゃんを家に残すのは心配だし、このまま見過ごすというわけにも――」
「あのっ!」
突然ミイファが大声を上げた。二人の視線がそちらを向く。
自分の身体を抱きしめて、酷く怯え――いや……どちらかといえば、切迫したような雰囲気の女の子。
「お、おか、お母さんが――そろそろ帰ってくる時間なんです」
泣き出しそうに、目を潤ませながら、ミイファが必死に声を絞りだした。
「あぁ、なんてこったい……」
エリオが顔面を手で覆って、頭を左右に振る。なんと間が悪いことか。
着替えを入れていたバッグから、彼は手早くローブを取り出して、それを羽織った。
ジャラジャラという音を立てている所をみると、星痕杭を隠し持っているのだろう。
「お母さんはどこで働いているのかわかるのかい?」
「わかりません。でも、いつも向こう側から帰ってくるのは見えました」
小刻みに震えながらも、小さな人差し指で、暗く続く路地を指差した。
「テスちゃん」
「あー、わかっておるわ、つき合おうぞ」
エリオの言葉に応えつつ、銃剣を逆手に持ち替える。
ノースランド国の者がどうなろうと、本来は知ったことではない。今まではそうだった。
されど、あのような化け物に食いちぎられるミイファの姿――そんなことを想像すると、なぜかとてつもなく、嫌なものがこみ上げてきた。
彼女の体のやわらかさが、まだ手の中に残っている。それだけなら、紛れもなく自分と同一のもの。
それを知ってしまったからなのだろうか?
「ミイファちゃん、走れるかい?」
エリオが聞くと、ミイファはきつく目を閉じる。
「無理なら俺が背負って――」
「い……いえ――はしれ……ます」
か細い声でミイファが言う。
酷く怖いはずなのに、精一杯の勇気をふりしぼっているのだろう。
エリオはしばらく、彼女の様子をうかがっていたが、やがて頷く。
「急ごう……」
闇に沈む暗い路地――そこには血の臭いが漂っていた。
★☆
クレネストの周りには三匹の化け物が転がっていた。
ふぅっと息を漏らし、そのうちの一匹に近づいていく。
他の二匹は完全に絶命させたが、この一匹だけは生かしておいた。
もっとも手足はつぶれ、虫の息ではあったが――
(禁術……ですけど、元に戻りませんね――)
死んでいる二匹はともかく、禁術が切れるはずの時間が来ても、生きているこの一匹が元に戻らない。
焼けただれた狼男のようなそれは、がうがうと唸るばかりで、話しかけても言葉を発することはなかった。
人としての知性は、持ち合わせていないようである。
どうしたものかと考えていると、死んだ二匹の身体が黒ずみはじめ、やがてボロボロに崩壊した。
「……はぁ」
なんとはなしに声を漏らし――見れば完全に炭化している。
(まぁまぁ、なんとぬかりのないことですね)
仕方なく、生け捕りにした一匹を調べることにした。
クレネストは、翠緑の瞳に秘めた能力を使う。
ありとあらゆる物体が、術式となって見えるその瞳。他人には見ることができないが、彼女にはまったく別世界に見えている。
暗闇に沈んでいたはずの路地が、術式の光で埋め尽くされた。
「これは……」
思わず声が漏れた。
当然、目の前で唸っている人狼も、術式となって見えている。
やはり禁術なのだが――問題は首の裏辺り、頚椎にめり込んでいる物体だった。
常に動き、流れていく術式と違い、そこだけは完全に停止し、整列している。
(これは、術式回路――)
間違いない。
星動機の回路に組み込まれた式を見ると、ちょうどこのような感じになるのだ。
問題なのは、そこに組み込まれた式が禁術であるということ。しかも、相当にそれは細かく見づらい。
(術式回路に、星動力が供給されつづける限り戻らない――ええと、この式は――)
クレネストは次々と、回路に組み込まれた式を読み解いていく。
(なるほど――宿主の死亡、あるいは一定の星動力が減ったら、自動的に宿主ごと消滅する……ですか)
なんと悪趣味な物を作るのか。
とはいえ、禁術は複雑で容量が大きく、こんな小さな基盤に書き込みきれるものではない。
術式回路を極限まで細く細く作ることで、密度を上げ、大幅に書き込める量を増やしたのだろう。
使われ方は残念だったが、素晴らしい業物。これは純粋に、精細極まりない職人技によるものだ。
式が細かいのはそのせいだろう。
(人間が変化したもので間違いなさそうですが……それにしては、おかしいですね)
クレネストは首をかしげて思った。
この式では、化け物に変化するだけで、知性にはそこまで影響しない。多少ハイになるだけだ。
にもかかわらず、目の前のこれは獣と大差がない。
(やはり、あの者の仕業でしょうか?)
滅亡主義者ならば、精神的に壊れている者が多数いてもおかしくはない。中には薬物に手を染め、頭が狂ってしまった仲間もいるのかもしれない。
それを捨て駒に、術式回路へ禁術を組み込む実験をした。考えられないことでもない。
(術式回路を破壊……あるいは回路を摘出……いえ、だめですね)
隠れて見え難いが、奥に予備らしき術式が書かれていた。
どこまでも手の込んだことを――と、クレネストは嘆息する。
(しかたありませんね……せめて安らかに、星の御許へお還りください)
クレネストの瞳に映る世界が元に戻る。同時に印を切って、術を施行した。
すぐに変化は現れない。攻撃をしたわけではないので、当然。
しばらくの間を置いて、化け物の身体が小刻みに痙攣を始めた。
クレネストはその横を通り過ぎ、振り返りもしない。
彼女の後ろで、やがて動かなくなるその身体。
徐々に黒ずみ、崩れていった。
(やはり、星動力を阻害するだけでそうなりますか――)
元に戻すのは、禁術でも使わないかぎり難しそうだった。が、倒すだけであれば、この方法がよさそうだ。
暗い路地を一人、後ろ手を組んで早足に歩き、赤黒い煙が上がっている教会方面へ向かう。
途中、道端に転がる人間らしき残骸をなるべく見ないようにしながら。
近づくにつれ、赤い光も強く、焼ける臭気も強くなっていった。
人の声が聞こえる。
「ちょっとあんた達! 全然当たってないじゃないの! いつまでもステラは残ってないのよ!」
「こっちも必死にやってんだよ!」
「ああぁ、くるなぁ!」
一つは聞き覚えのある声だった。うんざりするほどに……
見れば燃えているのは観葉植物――かがり火が倒れて燃え移ったのだろう。
おかげで周囲は明るく、様子がはっきりとわかる。
教会の玄関前には、あのアステナを含む三人の司祭と、助祭が数名。
扉のすぐ前には女性達が――それを守るように男性の司祭と助祭達が、やや前に出て半円陣を組んでいた。
その教会員達を、五匹の化け物が取り囲み、隙をうかがっている。
(これはまずいですね)
様子は見えるが、まだ距離があった。
クレネストはスカートをたくし上げ、走り出す。
急がなければ――