★☆3★☆
突き上げたテスの拳が、オオカミづらのあごを粉砕した。
あまりの衝撃に、人狼の身体が一瞬宙へ浮いて――そのまま後ろにひっくり返る。
いかに化け物といえど、これではひとたまりもないだろう。
テスは音すら立てずに着地し、倒れた人狼の喉笛を、ためらいなく踏み潰した。
(でも、どういう風の吹き回しなんだろうな?)
さきほどから彼女は、銃剣を使っていなかった。
使うまでもない相手と判断したのか、それとも――血を見て怯えるミイファに配慮したのだろうか?
襲い掛かってくる人狼達を、素手でことごとく潰していった。
なんにせよ大助かりだ。彼女の力は大きくあの化け物を上回っている。
エリオもまた、ミイファを庇いつつ、接近してくる敵には容赦なく星痕杭を叩き込んだ。
動きが素早く、暗くて見え難いので、遠くからでは当てづらい。
けれども、襲いかかってくる一瞬。至近距離であれば、意外と余裕で当てられる。
「なんでこやつらは、灰になってしまうんじゃろかな?」
死ぬと黒ずみ、ボロボロと崩れてしまう肉体に、テスが首を傾げた。
「うーん、なんでだろうね」
エリオには、もちろんさっぱり分からない。
が、ともかく今は、ミイファの母親を探すのが先決だった。
「む、エリオ殿……またじゃ」
これで何体目だろう、犠牲者とおもわしき遺体。それをテスがいち早く発見する。
ミイファにはとても見せられないので、まずは男性か女性かを確認した。
男性であればそのまま脇にどけ、女性であれば、母親の特徴と一致しているかどうかを調べた。
「男じゃな、避けておくぞ」
テスの言葉にエリオはうなづく。ミイファはエリオのローブを強く握り締めた。
暗がりに隠されたそれに、星動灯を当てないようにしながら――淡々と通り過ぎていく。
(テスちゃんはほんと動じないな……俺もかなりきついというのに)
皮膚をズタズタに引き裂かれ、中身を食われた人間の身体。
彼とて胸元がムカつき、非常に気分が悪い。
遺体を発見するたびに、心臓が急激に冷やされる思いだ。
(もしそれが、この子の――いや、それを考えるのはやめよう……)
無事を祈り、暗い路地を突き進む。
星動灯を右手に、左手にはミイファの手をひいて――
★☆
不思議そうな顔で、空を切った爪を見ている化け物。
その股ぐらをこそこそとくぐり抜け、アステナがこちらへと這ってきた。
執念なのか幸運なのかよくわからないが、間一髪――アステナは地面に尻餅をついて、一撃をかわしたのだった。
人狼はその場で、キョロキョロと彼女の姿を探し始める。
「アステナ司祭、お怪我はありませんか?」
「あ、ああああ、あんだばぁ……」
相当怖かったのだろう。濁った声で、顔面蒼白なのにも関わらず、だらだらと汗まみれだった。
涙目で地面に這いつくばる彼女を見下ろし――
(はぁ……まぁ、大丈夫そうですね)
クレネストは安堵の息をつく。
それからすうっと息を吸いなおし――鮮やか流麗な指裁きで、高速の印を切りはじめた。
化け物が、ようやくこちらに気がついて振り向く。
周りで転がっていたそれらも体制を立て直し、怒りの形相で二人を睨んだ。
クレネストが手傷を負わせたわけではないが、とりあえず、何かに八つ当たりをしなければ気がすまないのだろう。
人狼は、二人の周囲を一定の距離で取り囲むと、徐々に間合いを詰めていった。
今度こそ、取り逃がしてなるものかという慎重さ――
「こっちこないでぇ! いやぁぁ!」
アステナは、クレネストの足元にしがみつき、まるで無駄な懇願をする。
昨日の強気な彼女はいったいどこにいったのやら。
少々足元が鬱陶しいが、法術は完成した。
それを静かに施行する。
と――人狼達が、ぴたりと足を止めた。
それを見て、アステナが身を硬くし、鋭く息を飲む。
次の瞬間には、無残に引き裂かれ、むさぼられる。
そのような悲惨な光景、最後を予想したのかもしれない。
緊張の数秒が流れ――
しかし、それらはそのままで動かない。
「……どうして?」
さすがに様子がおかしいと感じたのか、アステナが訝しげに声を漏らした。
その途端。
人狼達はひっくり返り、苦悶の呻きを上げはじめた。
「なにっ!? えっ? なんで?」
周囲を戸惑いの表情で見回すアステナ。
逃げていた助祭達や、男性司祭も呆気に取られている。
やがてそれらは動かなくなり、徐々にその身体が黒ずみ始めた。
「…………」
灰となり崩れ去っていく化け物……。
理解が追いつかず、皆一様に放心していた。
クレネストただ一人を除いて。
「まだ残ってますね」
食事を終え、こちらに近づいてくるオオカミづらが一匹。
クレネストは印を切り、あっさりと法術を組み上げる。
「あなた、それってまさか……」
アステナの言葉には答えず、燃えさかる木へ向けて、少女は手をかざした。
炎がもぎ取られ、大きな火球となって宙を飛行する。
風に煽られる、旗にも似た音を立てて。
それを見た人狼が、慌てたように立ち止まった。
武器となりえる力の発生源があれば、禁術でなくとも技量次第でこのようなことはできる。
クレネストは火球を操り、立ち止まっているそれ目がけて投げつけた。
巨大な身体が軽々と吹き飛び、火に巻かれた人狼が、石畳の上を転がっていく。
しばらくの間、のろのろと起き上がろうとしていたが、やがて突っ伏すと、そのまま力尽きてしまった。
「高速法術……」
アステナは愕然とそう呟く。
今さら何をと思ったが、そういえば、彼女との勝負の時には使っていなかったのを思い出した。使うと余計に面倒なことになりそうなので伏せていたのだ。
「あの……あまりしがみつかれると痛いです」
未だ自分にしがみついたままのアステナを見下ろし、緊張感のない寝ぼけ顔でクレネストが言った。
「え? あ、ああそうね」
なんだか照れくさそうに、彼女が離れる。
それから、すぐに立ち上がろうとしたので、クレネストは慌ててその肩を押さえた。
いま立ってもらうには、いささか不都合が見つかっている。
「なによ?」
気がついていないのか、訝しげにアステナ。
「ええとですね……」
ちらりと『それ等』に目を落とし、次に玄関付近の方を見やる。
人々の視線――主に男達の目を気にしつつ、少女はそっと耳打ちした。
「おっぱい……見えちゃってますよ」
「…………」
一瞬何かを考えるかのように、アステナの目玉がぐるりと一周し――自身のデカ物にストンと落ちた。
法衣どころか、中の下着まで引きちぎれ、ただですら圧力の大きい両胸が、外へ飛び出していたのだ。
人狼の爪を避けた時に、引っ掛けられていたのだろう。
「っんひゃあぁうぁあ!」
妙な悲鳴を上げながら、アステナが慌てて両腕で胸を隠した。クレネストは、「はぁ……」っと声を漏らす。
周辺には犠牲者が数人――さきほど食べられた助祭だけではない。
上出来とは言えない状況の中、玄関の方へ彼女は歩いていく。
きまりが悪そうな表情で、アステナも後ろからついてきた。その途中で、落ちていた帽子をアステナが拾う。
「あなたは確か昨日の」
「巡礼中のクレネスト司祭よ」
男性司祭にアステナはそう答えつつ、情けない助祭たちに次々と教育的指導を施していく。
逃げた男の助祭達は、叩かれた頬や頭を押さえてうずくまった。
「燃え広がるような物もありませんし、消火は後回しですね。いま教会にいるのはあなた達だけですか?」
クレネストがそう聞くと、男性司祭はうなずいて、
「あと、中には多数の一般市民がいます」
その答えに、彼女はしばし口元に手を当てて考える。
「安全が確認できるまでは、皆さんで中にいてもらったほうがよさそうですね」
「安全ですか……星動力が停止してますので、他の教会との連絡もとれません。討伐しようにも連携ができない状態です」
(困りましたね……)
クレネストは思った。
軍警察の装備では、あの化け物を倒すことはできないだろう。
星痕杭が頼みの綱であったが、人手がたりない。
加えて、彼等は実戦経験どころか、真面目に練習もしてないのだろう。星痕杭の扱いが、まるでなっていなかった。
「こんなところでおっちゃべってないで、中にはいりましょうよ。あいつらが寄ってきたら困るでしょ」
失禁していた女性司祭を気遣いつつ、アステナが言った。
「そうですね……」
クレネストもうなずき、ひとまず全員が教会の中へと入る。
男性司祭が、扉にかんぬきをかけた。
アステナは、女性司祭をつれて奥の方へと消えていき、助祭達は床へと腰を落とす。
クレネストは、礼拝堂の様子を眺めた。
日が落ちれば真っ暗になるというのに――いまだ本堂に沢山の人々がいる。
ロウソクの炎がぼんやりと照らし、皆不安そうにうつむいていた。
「ク、クレネスト先生!」
聞き覚えのある、男の子の声がした。
こちらに走り寄ってくる金髪の子達。
確かミイファの友達の――レニスにリヴィアだ。
「ご無事でしたか先生!」
「なんなんですか! なんなんですか! あの変な犬人間は!」
リヴィアがクレネストに抱きつき、あわただしく言った。
犬ではないだろう――と思いながらも、口を開く。
「あなたたちこそ無事でなによりです……保護者の方ときているのですか?」
そう聞くと、二人は頷いた。
親に連れられて、礼拝に訪れたというところか……。
「それよりも先生、ミイファのやつが一人なんです! 今日はゴラムパレスに行ってくるからって……」
レニスが青い表情で訴えた。
「あのご……おいぢぞーだから、すぐたべられぢゃうよぉ!」
ミイファの名前が出た途端、泣きじゃくるリヴィア。
「ああ、はいはい、大丈夫ですから、大丈夫ですから……泣かないでください~」
胸の中に顔をうずめる彼女を、クレネストは背中を叩いて宥める。
少し落ち着いてきたのを見計らってから、話を切り出した。
「ミイファちゃんなら、さきほど会いました。私の助祭がついてますので大丈夫です」
それを聞いて、レニスとリヴィアが顔を見合わせる。
と、同時にヘナヘナと崩れ落ちた。
「よかったぁ~!」
「ありがどぉございまずぜんぜぇ~!」
どっちにしても泣いてしまうリヴィア。
クレネストは、困り顔で肩をすくめた。
★☆
「お母さん……」
ミイファの静かな呟き。
エリオは痛恨の表情で奥歯をかみ締め、テスは怒りの形相で、人狼をなぶり殺しにしている。
「なぜじゃ! なぜこんなにも腹が立つのじゃ!」
そんなことを叫びながら、オオカミづらを、オオカミとわからないほど変形するまで踏み潰した。
ああは言っているが、彼女だってわかっているのだろう。怒りの原因。
理不尽――あまりの理不尽――
ミイファは無表情に、道に横たわっているそれを見下ろす。
無残に引き裂かれた母親の亡骸を……
間に合わなかった。
エリオは自分のふがいなさを悔いると同時に、彼女になんと声をかけてよいのか、途方にくれた。
人狼を灰へと帰したテスも、荒い息をつきつつ、その背中にどこか恐れの気配が感じられる。
ミイファの口が小さく動き、
「ありがとうございました……」
テスとエリオは、揃って身を硬くした。
「お母さんは……動かさない方がいいんですよね?」
泣きじゃくるわけでもなく、へたり込むわけでもなく――ただ、あまりに冷静な言葉に、逆に背筋が凍りついた。
いまのミイファは、まるで感情が飛んでいるかのようだった。
声は平坦でボソボソと暗く、目にはまったく光が灯っていない。
似たような人を知っているからエリオには分かる。それは、偽りの冷静さだ。
「ミ、ミイファ殿は、母上を家へ連れて帰りたくはないのかえ?」
テスが信じられないといった面持ちでそう言うと、
「軍警察の方が調べます。勝手に動かしてはご迷惑になります。それに、連れて帰っても私にはなにもできません」
「エリオ殿っ!」
たまらなくなったのか、テスはエリオに向かって叫んだ。
むしろテスの方が、いまにも泣きだしそうな顔になっている。
ミイファの内心を察しているのに、彼女の行動がそれに伴わず、理解ができないのだろう。
連れて帰りたいにきまっている。なぜ連れて帰りたいから、運んで下さいと頼まないのか? と――
(テスちゃんの気持ちはわからなくもない。でも、気持ちだけじゃミイファちゃんは救われないんだ)
エリオは遺体を、今度は念入りに確認してみた。
腹部を裂かれてはいるものの、顔の方は綺麗なものだ。
単純に、致命傷を負っただけの状態である。
中身を食べられてしまう前だったのは、まだ良かった方――とでも言えるのだろうか?
少し考えてから、口にした。
「…・・・確かにそうだ。だけど、お母さんをここにそのまま放置、というわけにもいかないな」
「ですがそれは」
「ミイファちゃん? 俺は聖職者だ。これはエゴかもしれないが、せめて安らかな埋葬をさせてあげたい。これ以上、お母さんのご遺体を、奴等なんかに傷つけられてたまるか」
「…………」
押し黙るミイファ。
「テスちゃん、きっとクレネスト様がなんとかしてくださる! それまでここで守りきるぞ!」
「……そうじゃな、あぁまったくその通りじゃ――」
エリオの言葉に、壮絶な瞳でテスが呼応する。彼女とて、まだまだ腹の虫はおさまるまい。
(クレネスト様、お許しください。規則を破ります)
印を切り、法術を使うエリオ。もちろん許可など取っていない。
この暑い夜。ただですら腐敗は進みやすい。その進行を抑えるための法術だ。
その代わり、新鮮な血の臭いに誘われて、化け物達が集まってくることだろう。
(なんのことはない。全て片付ければいいだけの話だ)
星痕杭を両手に握り締める。
武器はまだまだ十分。
(ああ、きっとやれるさ……)
暗い路地の向こうに、奴等の気配を感じつつ、エリオは覚悟を決めた。