三章・一人の子のために
クレネストは無表情で、同じく無表情なままのミイファの後ろに立ち、その両肩に手を添えていた。
エリオは彼女等のすぐ傍らに控え、テスはというと、彼の手を掴んで離さない。口元を強く結んでうつむいていた。
「では、検死に回しますのでお預かりさせてもらいます」
軍警察の言葉に、ミイファが小さく頷く。
彼女の母親を収納した遺体袋が運ばれていった。
「エリオ君、テスちゃん、ご苦労様でした」
クレネストが疲れたように声を漏らす。実際に疲れているのかもしれないが、そこへきてこの訃報。言いようのない重苦しさがのしかかっているのかもしれない。
「クレネスト様、申し訳ありません……その、法術を――」
「いえ、よいのです……それでよいのです」
ミイファの心中を考えれば、彼女とて気が沈むのは当然とも思える。でも、どうしてだろうか? クレネストの声音の裏に、なにか別の違和感を彼は感じていた。
その声のまま、クレネストがミイファに尋ねる。
「ミイファちゃん、親族の方は?」
「……はい、父方のおじいちゃんとおばあちゃんがオーランズピーク市に、母方はポッカ島のアルネモリカ村に」
(オーランズピーク市にポッカ島か――遠いな)
オーランズピーク市はエリオの出身地でもあった。北大陸中央より、やや南側に位置する湖畔の街。
ゴラム市からは、星動車で二泊は考えなければならない距離だった。
(でもなんでだ? ミイファちゃんのお父さんはいないのか?)
そんな彼の疑問を他所に、二人の会話が続く。
「そうですか……連絡には時間がかかりますね――今夜は私の部屋に泊りますか?」
「いいえ、家に帰りたいです」
「わかりました。では、あなたのことを伝えておきますので、明日までに身を寄せる場所を決めて、自宅で待っていてください。それと、まだ化け物の残党が徘徊している可能性があるので、絶対に外を出歩かないようにしてくださいね」
「……はい」
事務的に淡々と言葉を発するクレネストに、ミイファが小さく頷いた。
二人はどちらともなく歩き出し、エリオとテスも顔を見合わせると、その後に続く。
家は、それほど遠くはない距離だった。
「お一人で大丈夫ですか? 私になにかして欲しいことは?」
「はい、お気持ちだけで結構です。先生、ありがとうございました」
そう言って頭を下げ、家の中に消えていくミイファ。表情一つ変えない幼い顔が、脳裏に余韻となってくすぶる。
クレネストは、静かに閉められた玄関扉を見つめ……しばらくの沈黙が過ぎた。
「クレネスト様?」
「ぁ……あ、そうですね――まだ帰れません。見回らなくては……見回らなくては……」
そう言った彼女は、どこか上の空だった。
振り返り、歩き出すも足取りがおぼつかなく、ただ疲れているだけというには、あまりにも辛そうだ。
彼は長いため息をつきながら、首を左右に振る。
「いいえ、今日はもうお休みください。僕が代わりに見回っておきますから」
「ですが――」
クレネストがエリオを見上げる。
なんと弱々しい瞳だろうか。眠そうな表情どころではない。まるきり死んでいる。
それでも彼女は口を開き、食い下がろうとしてきた。
「そういうわけにもいかないです……私がやらないと……私がやります」
「いえ、ですから、ご無理をされては」
「私は大丈夫です!」
「クレネスト様っ!!」
エリオは思わず怒鳴ってしまった。クレネストが驚いて肩をちぢこませる。
そのことに若干の後悔を感じつつも、彼女の両肩を掴み、真正面から顔を覗き込んで言った。
「何か、あったのですか?」
今度はできるだけ、声をおとして聞いた。
だがその途端、それまで無表情だったクレネストの顔が、みるみるうちに歪んでいった。
エリオは呆気にとられ、掴んでいた手の力が一瞬抜ける。
その隙に、クレネストは彼の手を払いのけ、素早く背をむけると逃げるように走りだした。
呆然と固まるエリオ。そこへテスの叱咤が飛ぶ。
「エリオ殿! 追わんかっ!」
「あぁもぅ! くそったれ!」
慌てて彼はクレネストの背中を追いかける。
本当に我ながら、なんて不器用なことか。慌てずとも、それとなく聞き出せばよかったではないか。
ましてや怒鳴る必要なんてなかった。彼女は彼女で、なにかを抱えているのかもしれないのだ。そんなことは彼女の態度で明白だったではないか。
「エリオ殿、こっちじゃこっち!」
テスが彼女の向かった方を指差す。
狭い路地を走りまわり――
やがて行き止まりのところで、クレネストはうずくまっていた。
「クレネスト様」
「いやですっ!」
頭を抱え、左右に振る少女。
追ってきたはいいが、なにがここまで彼女を追い詰めているのだろう。
思い当たることと言えば、ミイファの母親が殺害されたことを知らされた時。彼女の様子に違和感を感じ始めたのはその辺りから――だったと思う。
とはいえ、それだけで理由になりえるだろうか?
「……ミイファちゃんに、なにか関係していることなのですか?」
エリオがそう聞くと、クレネストが動きを止めた。否定も肯定もせず、沈黙している。ただ、その体が小さく震えていた。
「僕にはちゃんと話してください。あなたは大事な身です。僕にはそれを守る義務があります」
クレネストの体の震えが止まった。
何か小声でぶつぶつと呟いていたが、やがて力なく立ち上がり、ゆっくりとこちらを振り返る。
うなだれて、影を背負っている彼女。エリオは、そっと星動灯を下げた。
「わかりましたから――もう、わかりましたから……後のことはエリオ君にお任せします。このような場所では話せませんので、後で私の部屋にきてください」
憔悴しきった声音でそう言って、ふらふらとした足取りでこちらに歩いてくる。
エリオも彼女に歩みより、後ろから肩に手を添え、支えた。
エリオが宿舎に戻る頃には、殆どの人が寝静まるはずの時間だった。
ぐぅぐぅとお腹を鳴らしてうるさいテスに、まずは食事を取らせ、自分はというと、何も食べなかった。クレネストのあの様子では、食事を取っているとは思えない。自分だけ食事を取るなど、気が引けたのだ。
パンを数個袋につめ、水筒を手に、ひとまず自分の部屋に戻る。ローブは部屋に脱ぎ捨てた。
「さてと……」
いつもは自分が注意していたが、非常時なのでおかしな勘違いはされないだろう。と、都合よく解釈する。
エリオはクレネストの寝室へと足を運んだ。
これで返事をしてもらえなかったらどうしようか――などと思いつつ、彼女の寝室の前に立つ。
ひとつ深呼吸をしてから、扉を叩いた。
「……はい」
意外とあっさり返ってきた返事に拍子抜けする反面、エリオはほっと胸をなでおろした。
「僕ですクレネスト様」
「はい、開いてますので、どうぞ中へ」
静かなクレネストの声。エリオとテスが顔を見合わせた。
「ええと、テスちゃん……」
「あーはいはい、テスはぬしの部屋で待っておるわ、二人でゆっくりと話すがよい」
「ありがとうテスちゃん」
気を使ってくれたテスに礼を言ってから、エリオはクレネストの寝室へと足を踏み入れた。
部屋の中は真っ暗だ。星動灯で中を照らすと、ベッドの上に座っているクレネストが見えた。
憂いを帯びた瞳が自分を追っている。寝間着は乱れ、髪の毛もぐちゃぐちゃだった。
エリオはそんな彼女に、強い光が当たらないよう、星動灯を下げてから近づいた。
「ご苦労様です……大事はありませんでしたか?」
薄明かりの中、か細い声でクレネストが言った。
「はい、あれから十数匹の化け物が見つかりましたが、無事駆除しました。とりあえず、目撃情報もなくなったので、今は被害者の散策が殆どのようです。教会の方々は、持ち回りで今後も警戒を続けていくとのことですが」
「そうですか……」
彼女の小さな呟き――そして沈黙――
エリオは特に何も言わず、持ってきた水筒の水をカップに入れ、パンと一緒に彼女に差し出した。
クレネストはしばらくそれを見つめていたが、やがて深くため息をつく。仕方なさげにそれらを手に取った。
「その……先ほどは怒鳴ったりして申し訳ございませんでした。あなた様のお気持ちを考えずに」
「いいえ、悪いのは私の方なのです。あんな我侭を言ってしまって」
少女はそう言って、パンを一口かじった。
当然――食欲など沸いているはずもないだろう。それでも彼女は小さく口元を動かし、じっくりと噛み締めてから水と一緒に飲み込んだ。
はぁ……っと――いつものように吐息をもらす。
「こんなことは、本当は思ってはいけないことだと、私は考えてました。でも……このままではミイファちゃんを、私はどこまでも不幸にしてしまいます」
苦しそうに、搾り出すように、重い言葉をクレネストは吐き出した。
「クレネスト様。どうか、お話ください」
エリオはベット脇にひざまずき、そんな彼女の顔を見上げて言った。
息を呑み、少女もまた、切なそうな瞳で彼を見下ろしている。
数度の呼吸の後、クレネストは口を開いた。
「ミイファちゃんのお父さんは、ゴラム監獄で服役中なのです。刑期は残り三ヶ月……あと少しだと、ミイファちゃんは、とても嬉しそうでした」
彼女の言葉に、エリオの表情が強張る。
それが意味するところを理解するにつれ、暑苦しさとは違う冷たい汗が流れるのを感じた。
「今日、あの子は母親を亡くしました。そして私は、あの子から父親を奪わなくてはならないのです」
静かなのに、どこか悲鳴のような響きのある言葉だった。
(……なんてこった……)
次の世界の柱を建てるには、ゴラム監獄の囚人を代償にしなければならない。ミイファの父親も、それに巻き込まれてしまうということなのだろう。
だが、それではあまりにもミイファが不憫でならない。
「私のことをあんなに慕ってくれて、助祭になるのが夢だって言っていたのです。そんな子に私は……」
そう口にしたクレネストの声が震えていた。
彼女も幼き頃に両親を失っている。強く共感してしまうのも仕方のないことだろう。
「あの子のお父さんだけでも、ゴラム監獄から救うことを考えませんか? まさか、一人くらい減ったからといって、術が使えない、ということはありませんよね?」
「はい……私だってそうしたいのです。ですが、沢山の人の命を奪うのです。そのように特定の誰かを特別扱いするなど、あってはいけないと思いまして――」
「わかります。わかりますけど、クレネスト様は救いたいのですよね?」
「私がしたいかしたくないかで、決められることではないのです」
そう――いつもの彼女らしく感情を押し込めて、一見冷徹とも思えるその言葉。非常に合理的であり、正しい。
だが、彼には別の声が聞こえていた。殆どの人が聞こえないであろう、心という内面の叫び声。
傍にいることが多いおかげで、最近、なんとなくそれがわかるようになってきていた。
エリオはそっと、クレネストの右手を両手で包み、そして言う。
「それではミイファちゃんはおろか、クレネスト様も報われません。救うことができるのなら、そうするべきです」
「いえ、ですからそれはエゴというもので……」
「それの何がいけないのか僕にはわかりません。この先も、そのことで心を患わされるくらいなら、そうしたほうがずっとすっきりとしませんか? 僕はそれだけで意義のあることだと思います」
クレネストは無表情で口を閉じた。
ただ、何かをじっくりと考えている風でもあった。
暗い方へ気持ちが流れないことを祈りつつ、エリオはそんな彼女の様子を、緊張の面持ちで見守る。
やがて彼女は、彼が触れている手の上に、そっと左手を重ねてから口を開いた。
「はぁ……助けたいなどと……そのような不甲斐ないことを言っていては、あなたに怒られると思ってました。まさか、あなたの方からそう進言されるとは」
「僕が? そんなことで怒るわけないじゃないですか」
まさか、救うことをためらっていたのは、それが一番の原因なのだろうか? エリオは一瞬表情を曇らせた。
確かにこれは、ほんの些細な救いなのかもしれないし、ミイファのような子が、他にもいないとは限らない。その全ては救えない。たまたま知ってしまったからといって助けようとする。それは彼女の言うように、エゴなのかもしれない。
けれども――
「クレネスト様は、ミイファちゃんのお父さんを救う方法はないとお考えですか?」
エリオの言葉に、クレネストは少し考えるように目を伏せた。
「いえ、ないこともないです」
「それは著しく困難なことですか?」
「……簡単なことです」
「でしたら、僕としては救うことになんの異論もございません。と言いますか――」
エリオは彼女の手を包んだまま立ち上がり、身を乗り出した。
「特別扱いがどうとか理由をつけて、ご自身の気持ちを粗末にしないでください! それに僕はちゃんとついていきますから! お一人で考えてばかりいないで、もう少し頼ってくださいよ!」
もちろん星のことや自分の家族のこと、それらも大事だ。でも、なによりも彼女のことが大切だった。
その自分の存在が、彼女の身や心を傷つけるなど、あってはならない。それはとても耐え難いことだ。
熱を帯びるエリオの視線。
「は、はい……その、ごめんなさいです」
彼女もこちらを見上げ、どこか気恥ずかしそうにしつつ、そう答えた。
エリオはようやく安堵し、短い息を漏らす。
化け物騒動に、ミイファのこと、クレネストのことと、今日は気を張り詰めてばかりだった。
「……エリオ君……」
少女が消え入りそうな声で自分の名を呼ぶ……どこか息苦しそうに目を細め。
エリオはおもわずドキリとした。
今さらながらに気がついたが、彼女の顔がすぐ目の前である。
しかもその寝間着が、いささかはしたない状態だった。
右肩から襟がズリ落ち、胸元のボタンも外れている。上から見下ろす形なのは少々嬉しい……もとい、まずい状態だった。
エリオは視線を外すタイミングを逸し、口元を引きつらせ――不思議に思ったのか、クレネストが首を傾げた。
互いに手を繋いだまま、しばし見つめあい。
そして――
突然部屋が真っ暗になった。
★☆
クレネストは、真っ暗になった部屋の中で、手に残った温もりを確かめるように胸の中で抱いていた。
(はは、なんだか一人でバカみたいですね、私)
自分勝手に、そうしなければならない、そうするのが道理とばかり考えていた。そのためには、自分の心など持ち出してはいけないと必死だった。
彼にしても、余計なリスクを背負いかねない行動を、ただ救いたいからというだけでは、絶対に許してはくれない。そう思っていたのに……
だが、現実にはこの有様である。
一人でカラ回りしていただけであった。
(エリオ君……)
彼の顔を思い浮かべた。
はぅ……、っと恥ずかしさに吐息がもれ、なんだか頬が熱くなる。
今に思えば酷い醜態だ。呆れられてないだろうか、嫌われていないだろうかと、変に心配をしてしまう。
(なんだかもう、だめだめです)
考え過ぎでああなってしまったのだ。そんな自分を戒めて、クレネストは丸くなって目を閉じた。
と、あることに気がついて、すぐにうっすらと目を開ける――
(そういえば、テスちゃんはどうしたのでしょう?)
★☆
エリオは、クレネストに貸してもらった星動灯で、ベッドの上を照らしていた。
半眼でそれを眺め、呟く。
「どうしてこうなった」
そこには大の字になって、ぐーすかと眠るテスの姿があった。