●世界観B創世記・星の終わりの神様少女3

三章・一人の子のために

 クレネストは無表情で、同じく無表情なままのミイファの後ろに立ち、その両肩に手を添えていた。

 エリオは彼女等のすぐ傍らに控え、テスはというと、彼の手を掴んで離さない。口元を強く結んでうつむいていた。

「では、検死に回しますのでお預かりさせてもらいます」

 軍警察の言葉に、ミイファが小さく頷く。

 彼女の母親を収納した遺体袋が運ばれていった。

「エリオ君、テスちゃん、ご苦労様でした」

 クレネストが疲れたように声を漏らす。実際に疲れているのかもしれないが、そこへきてこの訃報。言いようのない重苦しさがのしかかっているのかもしれない。

「クレネスト様、申し訳ありません……その、法術を――

「いえ、よいのです……それでよいのです」

 ミイファの心中を考えれば、彼女とて気が沈むのは当然とも思える。でも、どうしてだろうか? クレネストの声音の裏に、なにか別の違和感を彼は感じていた。

 その声のまま、クレネストがミイファに尋ねる。

「ミイファちゃん、親族の方は?」

「……はい、父方のおじいちゃんとおばあちゃんがオーランズピーク市に、母方はポッカ島のアルネモリカ村に」

(オーランズピーク市にポッカ島か――遠いな)

 オーランズピーク市はエリオの出身地でもあった。北大陸中央より、やや南側に位置する湖畔の街。

 ゴラム市からは、星動車で二泊は考えなければならない距離だった。

(でもなんでだ? ミイファちゃんのお父さんはいないのか?)

 そんな彼の疑問を他所に、二人の会話が続く。

「そうですか……連絡には時間がかかりますね――今夜は私の部屋に泊りますか?」

「いいえ、家に帰りたいです」

「わかりました。では、あなたのことを伝えておきますので、明日までに身を寄せる場所を決めて、自宅で待っていてください。それと、まだ化け物の残党が徘徊している可能性があるので、絶対に外を出歩かないようにしてくださいね」

「……はい」

 事務的に淡々と言葉を発するクレネストに、ミイファが小さく頷いた。

 二人はどちらともなく歩き出し、エリオとテスも顔を見合わせると、その後に続く。

 家は、それほど遠くはない距離だった。

「お一人で大丈夫ですか? 私になにかして欲しいことは?」

「はい、お気持ちだけで結構です。先生、ありがとうございました」

 そう言って頭を下げ、家の中に消えていくミイファ。表情一つ変えない幼い顔が、脳裏に余韻となってくすぶる。

 クレネストは、静かに閉められた玄関扉を見つめ……しばらくの沈黙が過ぎた。

「クレネスト様?」

「ぁ……あ、そうですね――まだ帰れません。見回らなくては……見回らなくては……」

 そう言った彼女は、どこか上の空だった。

 振り返り、歩き出すも足取りがおぼつかなく、ただ疲れているだけというには、あまりにも辛そうだ。

 彼は長いため息をつきながら、首を左右に振る。

「いいえ、今日はもうお休みください。僕が代わりに見回っておきますから」

「ですが――

 クレネストがエリオを見上げる。

 なんと弱々しい瞳だろうか。眠そうな表情どころではない。まるきり死んでいる。

 それでも彼女は口を開き、食い下がろうとしてきた。

「そういうわけにもいかないです……私がやらないと……私がやります」

「いえ、ですから、ご無理をされては」

「私は大丈夫です!」

「クレネスト様っ!!」 

 エリオは思わず怒鳴ってしまった。クレネストが驚いて肩をちぢこませる。

 そのことに若干の後悔を感じつつも、彼女の両肩を掴み、真正面から顔を覗き込んで言った。

「何か、あったのですか?」

 今度はできるだけ、声をおとして聞いた。

 だがその途端、それまで無表情だったクレネストの顔が、みるみるうちに歪んでいった。

 エリオは呆気にとられ、掴んでいた手の力が一瞬抜ける。

 その隙に、クレネストは彼の手を払いのけ、素早く背をむけると逃げるように走りだした。

 呆然と固まるエリオ。そこへテスの叱咤が飛ぶ。

「エリオ殿! 追わんかっ!」

「あぁもぅ! くそったれ!」

 慌てて彼はクレネストの背中を追いかける。

 本当に我ながら、なんて不器用なことか。慌てずとも、それとなく聞き出せばよかったではないか。

 ましてや怒鳴る必要なんてなかった。彼女は彼女で、なにかを抱えているのかもしれないのだ。そんなことは彼女の態度で明白だったではないか。

「エリオ殿、こっちじゃこっち!」

 テスが彼女の向かった方を指差す。

 狭い路地を走りまわり――

 やがて行き止まりのところで、クレネストはうずくまっていた。

「クレネスト様」

「いやですっ!」

 頭を抱え、左右に振る少女。

 追ってきたはいいが、なにがここまで彼女を追い詰めているのだろう。

 思い当たることと言えば、ミイファの母親が殺害されたことを知らされた時。彼女の様子に違和感を感じ始めたのはその辺りから――だったと思う。

 とはいえ、それだけで理由になりえるだろうか?

「……ミイファちゃんに、なにか関係していることなのですか?」

 エリオがそう聞くと、クレネストが動きを止めた。否定も肯定もせず、沈黙している。ただ、その体が小さく震えていた。

「僕にはちゃんと話してください。あなたは大事な身です。僕にはそれを守る義務があります」

 クレネストの体の震えが止まった。

 何か小声でぶつぶつと呟いていたが、やがて力なく立ち上がり、ゆっくりとこちらを振り返る。

 うなだれて、影を背負っている彼女。エリオは、そっと星動灯を下げた。

「わかりましたから――もう、わかりましたから……後のことはエリオ君にお任せします。このような場所では話せませんので、後で私の部屋にきてください」

 憔悴しきった声音でそう言って、ふらふらとした足取りでこちらに歩いてくる。

 エリオも彼女に歩みより、後ろから肩に手を添え、支えた。

 エリオが宿舎に戻る頃には、殆どの人が寝静まるはずの時間だった。

 ぐぅぐぅとお腹を鳴らしてうるさいテスに、まずは食事を取らせ、自分はというと、何も食べなかった。クレネストのあの様子では、食事を取っているとは思えない。自分だけ食事を取るなど、気が引けたのだ。

 パンを数個袋につめ、水筒を手に、ひとまず自分の部屋に戻る。ローブは部屋に脱ぎ捨てた。

「さてと……」

 いつもは自分が注意していたが、非常時なのでおかしな勘違いはされないだろう。と、都合よく解釈する。

 エリオはクレネストの寝室へと足を運んだ。

 これで返事をしてもらえなかったらどうしようか――などと思いつつ、彼女の寝室の前に立つ。

 ひとつ深呼吸をしてから、扉を叩いた。

「……はい」

 意外とあっさり返ってきた返事に拍子抜けする反面、エリオはほっと胸をなでおろした。

「僕ですクレネスト様」

「はい、開いてますので、どうぞ中へ」

 静かなクレネストの声。エリオとテスが顔を見合わせた。

「ええと、テスちゃん……」

「あーはいはい、テスはぬしの部屋で待っておるわ、二人でゆっくりと話すがよい」

「ありがとうテスちゃん」

 気を使ってくれたテスに礼を言ってから、エリオはクレネストの寝室へと足を踏み入れた。

 部屋の中は真っ暗だ。星動灯で中を照らすと、ベッドの上に座っているクレネストが見えた。

 憂いを帯びた瞳が自分を追っている。寝間着は乱れ、髪の毛もぐちゃぐちゃだった。

 エリオはそんな彼女に、強い光が当たらないよう、星動灯を下げてから近づいた。

「ご苦労様です……大事はありませんでしたか?」

 薄明かりの中、か細い声でクレネストが言った。

「はい、あれから十数匹の化け物が見つかりましたが、無事駆除しました。とりあえず、目撃情報もなくなったので、今は被害者の散策が殆どのようです。教会の方々は、持ち回りで今後も警戒を続けていくとのことですが」

「そうですか……」

 彼女の小さな呟き――そして沈黙――

 エリオは特に何も言わず、持ってきた水筒の水をカップに入れ、パンと一緒に彼女に差し出した。

 クレネストはしばらくそれを見つめていたが、やがて深くため息をつく。仕方なさげにそれらを手に取った。

「その……先ほどは怒鳴ったりして申し訳ございませんでした。あなた様のお気持ちを考えずに」

「いいえ、悪いのは私の方なのです。あんな我侭を言ってしまって」

 少女はそう言って、パンを一口かじった。

 当然――食欲など沸いているはずもないだろう。それでも彼女は小さく口元を動かし、じっくりと噛み締めてから水と一緒に飲み込んだ。

 はぁ……っと――いつものように吐息をもらす。

「こんなことは、本当は思ってはいけないことだと、私は考えてました。でも……このままではミイファちゃんを、私はどこまでも不幸にしてしまいます」

 苦しそうに、搾り出すように、重い言葉をクレネストは吐き出した。

「クレネスト様。どうか、お話ください」

 エリオはベット脇にひざまずき、そんな彼女の顔を見上げて言った。

 息を呑み、少女もまた、切なそうな瞳で彼を見下ろしている。

 数度の呼吸の後、クレネストは口を開いた。

「ミイファちゃんのお父さんは、ゴラム監獄で服役中なのです。刑期は残り三ヶ月……あと少しだと、ミイファちゃんは、とても嬉しそうでした」

 彼女の言葉に、エリオの表情が強張る。

 それが意味するところを理解するにつれ、暑苦しさとは違う冷たい汗が流れるのを感じた。

「今日、あの子は母親を亡くしました。そして私は、あの子から父親を奪わなくてはならないのです」

 静かなのに、どこか悲鳴のような響きのある言葉だった。

(……なんてこった……)

 次の世界の柱を建てるには、ゴラム監獄の囚人を代償にしなければならない。ミイファの父親も、それに巻き込まれてしまうということなのだろう。

 だが、それではあまりにもミイファが不憫でならない。

「私のことをあんなに慕ってくれて、助祭になるのが夢だって言っていたのです。そんな子に私は……」

 そう口にしたクレネストの声が震えていた。

 彼女も幼き頃に両親を失っている。強く共感してしまうのも仕方のないことだろう。

「あの子のお父さんだけでも、ゴラム監獄から救うことを考えませんか? まさか、一人くらい減ったからといって、術が使えない、ということはありませんよね?」

「はい……私だってそうしたいのです。ですが、沢山の人の命を奪うのです。そのように特定の誰かを特別扱いするなど、あってはいけないと思いまして――

「わかります。わかりますけど、クレネスト様は救いたいのですよね?」

「私がしたいかしたくないかで、決められることではないのです」

 そう――いつもの彼女らしく感情を押し込めて、一見冷徹とも思えるその言葉。非常に合理的であり、正しい。

 だが、彼には別の声が聞こえていた。殆どの人が聞こえないであろう、心という内面の叫び声。

 傍にいることが多いおかげで、最近、なんとなくそれがわかるようになってきていた。

 エリオはそっと、クレネストの右手を両手で包み、そして言う。

「それではミイファちゃんはおろか、クレネスト様も報われません。救うことができるのなら、そうするべきです」

「いえ、ですからそれはエゴというもので……」

「それの何がいけないのか僕にはわかりません。この先も、そのことで心を患わされるくらいなら、そうしたほうがずっとすっきりとしませんか? 僕はそれだけで意義のあることだと思います」

 クレネストは無表情で口を閉じた。

 ただ、何かをじっくりと考えている風でもあった。

 暗い方へ気持ちが流れないことを祈りつつ、エリオはそんな彼女の様子を、緊張の面持ちで見守る。

 やがて彼女は、彼が触れている手の上に、そっと左手を重ねてから口を開いた。

「はぁ……助けたいなどと……そのような不甲斐ないことを言っていては、あなたに怒られると思ってました。まさか、あなたの方からそう進言されるとは」

「僕が? そんなことで怒るわけないじゃないですか」

 まさか、救うことをためらっていたのは、それが一番の原因なのだろうか? エリオは一瞬表情を曇らせた。

 確かにこれは、ほんの些細な救いなのかもしれないし、ミイファのような子が、他にもいないとは限らない。その全ては救えない。たまたま知ってしまったからといって助けようとする。それは彼女の言うように、エゴなのかもしれない。

 けれども――

「クレネスト様は、ミイファちゃんのお父さんを救う方法はないとお考えですか?」

 エリオの言葉に、クレネストは少し考えるように目を伏せた。

「いえ、ないこともないです」

「それは著しく困難なことですか?」

「……簡単なことです」

「でしたら、僕としては救うことになんの異論もございません。と言いますか――

 エリオは彼女の手を包んだまま立ち上がり、身を乗り出した。

「特別扱いがどうとか理由をつけて、ご自身の気持ちを粗末にしないでください! それに僕はちゃんとついていきますから! お一人で考えてばかりいないで、もう少し頼ってくださいよ!」

 もちろん星のことや自分の家族のこと、それらも大事だ。でも、なによりも彼女のことが大切だった。

 その自分の存在が、彼女の身や心を傷つけるなど、あってはならない。それはとても耐え難いことだ。

 熱を帯びるエリオの視線。

「は、はい……その、ごめんなさいです」

 彼女もこちらを見上げ、どこか気恥ずかしそうにしつつ、そう答えた。

 エリオはようやく安堵し、短い息を漏らす。

 化け物騒動に、ミイファのこと、クレネストのことと、今日は気を張り詰めてばかりだった。

「……エリオ君……」

 少女が消え入りそうな声で自分の名を呼ぶ……どこか息苦しそうに目を細め。

 エリオはおもわずドキリとした。

 今さらながらに気がついたが、彼女の顔がすぐ目の前である。

 しかもその寝間着が、いささかはしたない状態だった。

 右肩から襟がズリ落ち、胸元のボタンも外れている。上から見下ろす形なのは少々嬉しい……もとい、まずい状態だった。

 エリオは視線を外すタイミングを逸し、口元を引きつらせ――不思議に思ったのか、クレネストが首を傾げた。

 互いに手を繋いだまま、しばし見つめあい。

 そして――

 突然部屋が真っ暗になった。

★☆

 クレネストは、真っ暗になった部屋の中で、手に残った温もりを確かめるように胸の中で抱いていた。

(はは、なんだか一人でバカみたいですね、私)

 自分勝手に、そうしなければならない、そうするのが道理とばかり考えていた。そのためには、自分の心など持ち出してはいけないと必死だった。

 彼にしても、余計なリスクを背負いかねない行動を、ただ救いたいからというだけでは、絶対に許してはくれない。そう思っていたのに……

 だが、現実にはこの有様である。

 一人でカラ回りしていただけであった。

(エリオ君……)

 彼の顔を思い浮かべた。

 はぅ……、っと恥ずかしさに吐息がもれ、なんだか頬が熱くなる。

 今に思えば酷い醜態だ。呆れられてないだろうか、嫌われていないだろうかと、変に心配をしてしまう。

(なんだかもう、だめだめです)

 考え過ぎでああなってしまったのだ。そんな自分を戒めて、クレネストは丸くなって目を閉じた。

 と、あることに気がついて、すぐにうっすらと目を開ける――

(そういえば、テスちゃんはどうしたのでしょう?) 

★☆

 エリオは、クレネストに貸してもらった星動灯で、ベッドの上を照らしていた。

 半眼でそれを眺め、呟く。

「どうしてこうなった」

 そこには大の字になって、ぐーすかと眠るテスの姿があった。

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