●世界観B創世記・星の終わりの神様少女3

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「ぁ、おはようございますクレネスト先生」

 玄関から顔を覗かせたミイファは、元気のない声でぽそぽそと言った。

 髪の毛はボサボサで、寝巻き姿のまま、寝ぼけ眼でこちらを見上げている。

 クレネストは屈んで、目の高さを合わせた。

「おはようございます。おひとりで大丈夫でしたか?」

「はい、先生」

「ちゃんと食べてますか?」

「……いえ」

「と、思いました。中、入ってもよろしいですか?」

「かまいません、どうぞ」

「では、おじゃまします」

 クレネストはミイファの家へとあがり、案内する彼女の後ろについていった。

 石造りで、これといった特徴はないものの、家族三人で暮らすには、申し分のない広さの家。

 居間へ通されると、部屋の真ん中に食卓が見えた。その周りには、三つの椅子が置かれている。

 一家が揃う日を楽しみにしていたかのように――

「これ、ここに置いてもよろしいですか?」

「あ、はい」

 ミイファが小さくうなずく。

 クレネストは、手にぶら下げていた袋を、食卓の上に置いた。

「それは?」

「一緒に食べようと思いまして」

 朝早くに、宿舎の食堂を借りて作ってきたのだ。

 色とりどりの小箱がテーブルの上に並べられていく。その中には、クレネスト自身の手料理が入っていた。

 一通り並べ終えてから、クレネストはミイファに向き直る。ぼさぼさになっている彼女の頭の上に手を置いた。

「ミイファちゃん……お気持ちはお察ししますが、やるべきことを忘れてはいけませんよ?」

「えっ? ふええ……」

「洗面所はどちらですか?」

「こ、こっちです……あっ、すみません、こちらです」

 言い直すミイファと手を繋ぎ、引っ張ってもらう形でクレネスト。

 広い――とは言えない洗面所で、彼女の髪の毛を整える。部屋で着替えを手伝ってから、居間へと戻ってきた。

 二人は食卓に向かい合う形で座り、クレネストが小箱のフタを開ける。

 目玉焼きにサラダ、ウィンナー、サンドイッチといった定番品から、山菜を使った炒め物や揚物等――盛り付けも美しいそれらに、ミイファが口を真ん丸くした。

「これ、先生が?」

「はい、お口に合うかどうかわかりませんけど」

 ミイファはどこかためらうように、しばらくそれ等を覗き込んだ。

 クレネストの顔を一度見上げて、また料理に視線を戻す。

 やはり、まだ食欲がでないのだろうかと心配していると、ミイファが口を開いた。

「はい、あのっ……ありがとうございます。いただきます」

 意外と、はっきりした声でミイファが言った。

 表情には出さず、クレネストは心の中でほっと一息する。思っていたほど、この女の子は落ち込んでいないようだった。

 二人はそれぞれ席について、少々遅くなった朝食を取りはじめる。

「先生、あのですね」

 食べ始めてすぐに、ミイファが口を開いた。

 クレネストはウィンナーを口にくわえつつ顔を上げる。

「私はどこにも行かないことにしました。お父さんが帰ってくるまで、この家を見ています。でも私、まだ子供ですから……」

「この街の孤児院へ――ですか?」

 ウィンナーを飲み込み、ハンカチで口元を拭きながらクレネスト。

「だめ、でしょうか?」

「そうですね……孤児院へ入る必要性はありません。すぐにお父様が戻られますから」

「はい?」

 ミイファが瞳を大きくした。口に運ぼうとしていたサンドイッチが、ぽとりと卓に落ちる。

「あのっ、お父さんは捕まっていると……」

「ええそうなのですけども、ミイファちゃんは、刑の執行停止というのを、ご存知ですか?」

「あ……いえ……すみません」

 うつむいて謝るミイファに、クレネストが説明する。

「親族の葬儀や介護、命に関わる病気等、止むを得ない事情がある場合に限り、一時的に刑の執行を停止することができるのですよ。ただですね、通常は葬儀といった理由程度では、懲役を解かれるということは稀です。保護する者がいないならばともかく、あなたにはまだ、頼れる親族もいるようですから。ですが――

 そこで翠緑の双眸がすぃっと細まり、一言。

「ねじまげます」

 ボソっと言って、怪しげな眼光を放つ。ミイファは口をぱくぱくとさせた。

「ここへ来る前に、カシア司教様を説き伏せてきました。星導教会の権力ならば、その程度は容易いでしょう。いま、エリオ君にも色々と根回ししてもらってます」

「いえっ、あのっ……どうしてそんな」

「昨夜のこと、殆ど私が片付けてしまいましたし、犯人も私が捕まえましたからね。司教様も体面というものがありますから、私の頼みとあらば、おいそれと断れないのでしょう。人道的でもありますし」

「いえいえいえ、そうじゃなくてです! どうしてその……私のためにそんなことまで」

 胸に両手を重ね、戸惑いの色を見せながらミイファが聞いてきた。

 クレネストは、わざと首を傾げて知的に考えるふりをしてから、愛くるしいこの子に語りかける。

「私は星導教会の司祭ですよ? 星の子達が苦しんでいるのを、黙って見過ごすことはできません。昨夜の元気がないミイファちゃんの顔を見て、私が辛くなかったとでも思いますか?」

 多分に方便を含んだその言葉。我ながら嫌な性格だと痛感している。されど、少なからず本心も含んでいた。

 ミイファは肩をちぢこませ、みかけよりも豪腕な司祭様に唖然とした様子。

「私がそうしたいからそうしてるだけなのです。ですから、どうか気にしないでください。それとも迷惑でしたか?」

「そ、そんなことはありません!」 

 そう言って、ミイファは慌てて首を振った。

「昨日の夜は……お母さんが突然死んじゃって、頭の中がぐちゃぐちゃで――でも、なによりお父さんが、一度もお母さんにお別れを言えないまま、埋葬されちゃったらって思うと――でもそれは……私がいくら考えても、どうしょうもないことで――

 言葉が進むうちにうなだれて、伏せた瞳の光が沈む。無力すぎる子供の諦観を感じた。

「胸の中が痛かったのですね?」

 クレネストがそう尋ねると、ミイファがびくっと体を震わせた。

「それは……そんなことは……だって、しょうがないですから」

 昔の自分の姿が、一瞬この子とダブって見えた。クレネストは、ゆっくりと席から立ち上がる――

 なんだか不思議な気分だった。なんの根拠も理由もないのに、ミイファがどう苦しんで、どう自分を抑えているのか、それが鮮明にわかった。

 しょうがないのだから、諦めなければならない。だから泣いてはいけない。駄々をこねてはいけない。理性的であれと。

 歩み寄り、小さな体を包み込む。

「先生……」

「しょうがないのかもしれませんけど、悲しむことまで我慢しなくてもよいのです。お父さんのことは、私達に任せて、今はお母さんのことを素直に悲しんであげてください。ミイファちゃんが心配することは、なにもないのです」

 そういい終えると、ミイファの瞳が揺いだ。嗚咽を漏らし、それでも堪えようとしたのか、口を両手で覆い隠す。

 身を硬くして、震えて――それも束の間。

 ついには、喉の奥底から悲痛な思い。本音が吐き出された。

「お、おとうさん……かえったら――また、三人で暮らせるって……なのに、おか……さん」

 小さな手が、クレネストの服を強く握り締めていた。ぎこちなく、引き絞ったような声を苦しげに吐き出していく。

「私がわるい……のに、お母さん、優しくて――すぐ、戻ってくるから、二人で待ってようって」

 クレネストは、抱いたその手に力を込めた。冷たいものが、服の中にしみこんだ。

 もうすぐ幸福だった頃の生活が戻ってくると、この子はそう信じていたに違いない。

 それを突然打ち砕かれた喪失感と悔しさ、耐え難い沈痛が伝わってくる。

 すがりつくミイファに引きづられて、彼女自身も涙腺がゆるみそうになった。

(私は司祭。私は泣いてはいけない)

 そう言い聞かせ、凛として威厳を保った。

 もはや支離滅裂になった言葉が、ミイファの口からこぼれ落ち続ける。

「大丈夫です。大丈夫ですから――

 クレネストは、感情のままに泣きじゃくる子の頭を、幾度も幾度もなでた。

 やがて――

 静かになった部屋の中。

 泣き疲れたのだろうか、ミイファはクレネストの胸の中で、ぽーっと眠そうな表情に戻っていた。

 苦しいものが、やっと全部出て行ったのだろう。今にも本当に眠ってしまいそうなこの子からは、安心感が伝わってくる。

 クレネストはゆっくりとしたリズムで、その背中を優しく叩きながら、語りかけた。

「お父さんは、明日あたりには帰ってこられるでしょう。ですが、親族の方が集まるまで時間がかかりますね。葬儀の方は少々遅れますが、それを見届けてから私はこの街を発つことにします」

 ミイファが顔をあげた。すこし寂しそうに――しかし、理性を灯したこの子の瞳には、引き止めるような気配は見えない。納得したのか、小さくうなずく。

「そうですか、巡礼ですよね先生」

「はい。星動力が補給できませんので、次の巡礼地へいけなかったのですが、明後日くらいにはどうにかなるそうです」

「……私、先生に会えて本当によかったです。絶対に先生の助祭になりたいです」

 クレネストは目を伏せて微笑む。それは叶わない願いだとわかっていた。

 それでもクレネストは、せめて本心からの言葉を残そうと、口を開いた。

「はい……ミイファちゃん、どうかお幸せで――

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